当ブログはおそらく学生さんだろうなぁという方が読んでいる形跡がありますので、こういう記事を書かせていただいています。
今回は全3回の2回目です。できれば1回目から読んでいただけましたら幸いです。
また内容としては前回分の記事を含め、大きく5つに分けているので、今回は③からの始まりになります(そういう意味でも全3回の1回目の記事から読んでいただけることを推奨しています)ぺこり。
③「今」はダメだけど「未来」は自分で作れる
最近の若い方に結構多くみられるのですが、寄り道、遠回りを徹底して排除して、最短で効率よく自分の理想に向かう方が多いです。
これは勿論賢い選択ですし、悪いことではありません。
でも「理想の業界」に行くために、自分のスペックが不足しているなら、道は二つだと思うのです。
一つは諦める。
もう一つは、そのスペックになれるよう努力する。先の項目(先の記事参照)の「変化する」の一つの形だったりします。
ただ、一般的にはそのスペックになるには「資格」が要ったり、「経験」が求められたり、あるいは専門的具体的経験ではなく「今のあなたは頭が固い状態なので(上の見出しの内容の状態)、もう少し色々経験して大人の精神になってから」みたいなこともあるかもしれません。
例えばですが、必ずではありませんが、学芸員になる際に私が学生の頃なんかは「外国語2種の能力必須」でした(例えば英語と中国語を業務上滞りなく使える、みたいなことです。特に我々の頃は氷河期ですから)。こういう能力は一朝一夕ではどうにもならないことなので、そもそもに大学入学時から勉強して就職に臨みます。「就活の時期だから」で頑張るのではなく、「もともと就職したい」のなら、どうして前々から準備しないの?ということです。
勿論人によって諸事情もあり、前々から準備できなかったのなら、今から努力すべきです。そしてそれは他の仕事をしながらでも大丈夫なはずです。
私の知人で学芸員さんは何人かいますが、他業種から転職して学芸員さんになった方なども少なくありません(学芸員さんに関わらず、不動産、流通、金融、法律、製造関係など、色々30代以降の知人男性などがいますが、転職経験有りの方が私の周りには多い)。
「なりたいものに、今すぐなりたい」は子供すぎかなぁと思います。気持ちはわかるけれど。
しかも他の人が努力していた時間にぼーっとしていたくせに、なんの努力もなく「そのお仕事に就きたい!」は、よほど能力がない限りはありえないかなぁと?
自分のスペックが足りないなら、それを足す努力をしなければ。天才なら時間は要らないでしょうが、凡人にはそれなりの努力の時間が必要です。それをしないままに「入りたい!入れて~!」はその会社さんなり業界なりに対して失礼ですよね?
なので、今は「今の自分のスペックで何とかなる業界」に一度入ってみて、そこで同時に自分のやりたい仕事への努力をすることをお勧めします。
この提案は私たち超氷河期世代ではできない話で、今の、「一度会社に入ったら定年までいなければならない」わけではない世代だからこその提案です。
希望する会社ではないが一度社会人になる。「社会」「会社」が求めるものは何なのかというのを、他業種、他会社に入って冷静に考えてみる、というのも一つです。
いわば、仮面浪人的(一度大学に入りつつ本命の大学に入学できるよう準備する)ではありますが、意外と仮面浪人って一度大学入学をしてしまっているため力が抜けているのか、「何のために勉強するのか」を知るためか、本命の大学に入れることも稀ではありません(実際の理想ではない社会を知るので、そういう意味でも履歴書書きや面接がしやすくなる利点もあります)。
他業種や他の会社に入っちゃったら、本当に入りたい業界に行くための勉強なんてできないよ、というのは甘えです。
確かに実際就職すると、学生時代にいかに時間があったのかを痛感するはずです。でも、「本当に入りたい!」ならば、一時期だけでも必死になれると思うのです(私自身、2年間ほど平日4日は睡眠3時間をつづけました。他3日は5~6時間)。
また、なんらかの会社に入ってみると、それはそれで自分の得意なこと、苦手なこと、新しい面が見えてきます。そこから数年かけて理想を追ってもよいはずです。
本当に自分がその「業種」その「会社」に入りたいなら、そういう努力もできるのではないでしょうか?
努力はしたくない、でも今すぐ内定欲しいって…、そんな奇跡を待つより、少しずつ自分自身でできる努力や経験を重ねるほうが建設的じゃないかなぁと思うのです。
④自分の求める仕事に誰しもが就けるわけではない
例えばアイドルや俳優、オリンピック選手など、誰しもがなれるわけではありません。
上記と就活は違うと言われそうですが、なんといいますか、それでも「したい仕事」と「できる仕事」は違うのです。
上記の例は極端な例を出していますが、それが一般的な職においても、なぜ同じと思えないのだろうか?アイドルや俳優になるのはおこがましくても、会社員は誰でもなれる?そんなこともないですよ(^^;)。
すでにその職に就いている方、あなたの理想の会社に勤めている方の目からあなたを見て「向いていない」「わが社には合わない」と思われる何かがあるから「落ちる」のだから、「向かない」か「足りない」か「合わない」かの何かがあるはずなのね。
それならばその職がいくらアイドルとかではなくとも、「今のあなたには何かが足りない」職業なのかもしれないし、単純にその会社なり業界において「一緒に働きたい」と思ってもらえない何かがあるのかもしれない。
なんらかの憧れの会社や業種がある学生さんで、就活がうまくいっていない学生さんの場合、「誰でもできる仕事は嫌」とか「学んだことが生かせる仕事がいい」とか主張されることがあるのですが、実際この世に100人が100人全員できる仕事なんてありません。
いかなる仕事でも向き不向きがあるからです。あなたが職業に貴賤をつけて、「卑しい仕事」だと思うものだとしても、誰でもできるものではないのです。
よく「事務職なんて誰でもできる」みたいにいう方がいますが、全く不向きな方、当然います。あるいは「できる」のかもしれませんが、一緒に働く方の「働きやすさ」が全く違います。そういうのも向き、不向きです。「同じ仕事をしている」、でも、「あの人が担当の時がダントツいいよね」っていうのが絶対的にある。
加えて「学んだことが生かせる仕事」なんて、そうそうありません。
学んだことをお仕事に生かせる極地のお医者さんだって、研修医とかの段階だと医師とは名ばかりの、看護師さんより断然使えない立場です。「お勉強」と「お仕事」は違う。
逆説的に、奇妙に聞こえるかもしれませんが、いかなる場面でも「学んだこと」は役立ちます。大学で学ぶことは「教養」であって、一見専門的なことではあるのだけれど、広い視野で考えると「あの学びで言いたいことはこれだったのか」と専門外のあらゆる場面で役立つのです(それは大概社会人10年位ではっとすることかもしれませんが)。
そういう意味ではいかなる学部出身であろうとも、いかなるお仕事でも自分が学んだことがゼロになることはありません。必ず役に立ちます。
お医者さんになるための医学部でも、100%お医者さんになるわけでも(なれるわけでも)ありません。それが文系とかの学部に入って、自分の学んだゼミに近い職業に就ける人って幸せな人であって、「必ずなれる」ものではないのです。
世の中の大人を見てみてください。出身学部とお仕事が一致している人のほうが珍しいですよ。
そして人生一貫して一つのことができている方は、努力もされたでしょうが、運や縁もあった、コネがあった、家系がそうだった、いろんなことがあったはずです。その内の一つ「努力」をせめて数年してきただろうか?ということも自問自答してみてほしいことだったりします。
本日のまとめ的なもの
大学の学びとしてもそうだし、就活としてもそうなのですが、「高い評価を受ける人」「よい結果を出す人」というのは総じて共通点があります。
成績がいい、というのは、まぁまぁ、それはそうなのですが(^^;)、総じて大人とコミュニケーションがとれるというのがそうです。ただし、要領の良さの有無は関係ありません。
なんていうんでしょうね、ただ先生のところに「たむろできる」「お友達感覚で話せる」という話ではなくて。「これは先生に相談すべき」「これだけ調べて考えてみたけど、わからないから先生に聞いてみるべき」みたいな、線引きが解る、「話したり、伝えたり、話したほうがよい」と判断できることが「できる」学生という言い方が正しいのか。
「先生と話すことなんて」というのは、そりゃそうだなぁとも思うのですが、実は私自身は大学時代くだらない相談なんかでもゼミの先生に聞いてもらっていました。当時の先生はご多忙でいらっしゃいましたが、仕事をしながらでありながらも耳を傾けて下さったことを今も覚えています。
なんというか、媚を売れとかそういう話ではなくて。
成績の良さなんかも、ゼミとかに入っている場合は、担当教員の求めるものがコミュニケーションで分かればある程度のことはできるはずで、それができないのは「コミュニケーション」がとれていない結果かなぁと思ったりするのです(勿論個人の能力の高さ故に、教員抜きでものすごく頑張れる子もいるかとも思います)。
だからまぁ、コミュニケーションがとれる学生ほど成績がよい、という循環があるのはあるあるでもあるわけですが…。
一番身近な大人の他人がゼミや大学の先生であって(勿論相性や合う合わないがあるので、無理は禁物ですが)、そういう人とコミュニケーションが取れない人が、初見の面接ですらすら話せるのかというと、ありえないと思うのですね(あるいは本人が「コミュニケーションできる!」と思っていても、実のところ周囲の努力あってのものだったり…)。
勿論先生と気が合わないと思いつつ、でも表面的にはうまく対応している方もいるでしょう。それはそれで「気が合わない人とも円滑に話せる努力」を積み上げているわけで、おそらく初見の人ともその努力ができるはず(でも逆説的に、こういう場合学生さんだけが努力しているのではなく、最近の一般的な先生は、「今の子、難しい…」と思いながら学生さんに関わっていたりするのです…)。でも、普段何も話さない子、うまく話せない子が、「初見の人とだけすらすら話せる」という利率は多くの場合高くないと思うのです。
履歴書や面接はアウトプットの場であって、相手のニーズに適したアウトプットをするには経験がいるためです。大人とのアウトプット経験を積んだ人ほど当然うまくなる。
とはいえ、ぺらぺら話せる子が面接に通るかと言うとそうでもなく(特に人の話を理解せず、自分の話したいことだけを話すタイプは言語道断)。
なんというか…自分自身の言葉で自分の考えをできるだけ乖離なく(こう表現したいのに、思っていることが言葉にできないということはままあります)表現する努力や苦慮、経験が垣間見えることが大事なのかなぁと思ったりします。
そのためには普段からできるだけ大人と「自分なりの表現で、自分の考えや気持ちをどうしたら伝わるかな」と考えながら会話をする経験を積むと、ナチュラルにコミュニケーション能力も上達していくのかなと思ったりするのです。
ぺらぺら話せること、要領の良さもほんとに微妙でね。洒脱に話せる人というのは逆に軽薄さとか、信頼できないという印象も受けるわけですよ。反面口が上手ではない人が一生懸命自分の言葉を探して努力している姿は「誠実」とも捉えられます。
そういう意味で上手に話せないことに自信を無くさないでほしく思いますね…。
ということで今回も結構厳しめの話をしているように思いますが…、全3回のお話で、まだあと1回が残っていますので、最後までお読みいただけたら幸いと思いつつおります。
当記事を読んで下さりありがとうございます。次の記事に続きますので、ではでは、また~。
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