当記事はどうやら学生さんが読んでいる感じがものすごくありますので、今回こういうシリーズで記事を挙げています。
今回は全3回の3回目の記事で、3つの記事で計5つの内容を書いていますので、できることであれば一つ目の記事から読んでいただけるとわかりよいのかなと思いながらおります。
と言うわけで本日の本題へ。
⑤努力の方向性が違う
ここまでお話ししてきて、「いやいや、私は大分努力しているのです」という方もいると思いますが、それでうまくいっていないならその努力の方向性が違うのです。
私自身の若いころも含め、若い人あるあるですが、先達の話って実は全然聞いていなかったりします(このシリーズの記事もそうです。読んだは読んだ。でも、「でもでも、だって」となるでしょう?苦笑)。
「その職業とかにつくなら、こうこう、こうすることが必須だよ」という話を先達は結構していて、でもそれを聞き流していることがよくあります。私もそうです(滝汗)。
私は当時の先生に「物理化学は必須」と言われながら、「そんなばかな」と鼻で嗤っておりましたら、その後泣きながら必死でそれらをやる必要性がありました(^^;)。
もう少しわかりやすく言えば、体力第一の仕事で「筋トレ必須」みたいな会社なのに、ずっと机にかじりついていて運動ひとつもせずに「努力した」みたいな感じといいますか。
上記の例だと「そりゃダメだろ」と誰から見ても「努力の方向性が違う」と理解できると思います。でも就活がうまくいっていない時は大なり小なり自分で気づかないままそんな感じだったりするのです。
担当教員なども、「あぁ~、そうじゃない」と思っていても、最近の学生さんの「正しいことでもちょっとでも耳の痛いこと=ハラスメント」的に捉える感覚から、学生の求めなしに敢えては何も言わないと思います。よほど信頼関係ができている間柄でない限り。
なので就活がうまくいっていない場合は、「傍から自分がどう見えるのか。どう改善したらいいのか」などを、耳が痛くとも「率直な意見」を聞いてみるといいと思います。優しいことだけ言ってくれるお友達に聞くのではなく、親や教員など、社会を知る立場の人に聞くのがよいでしょう。大学の場合就活関係の専門家がいたりもするのでそういう方に聞くのがベストかもしれませんね。
学生さんからすると「今の自分のまま評価がされない!」ということに「きーっ」と思うかもしれませんが、ほんの少しの改善で大きく事態が変わることもあります。ひとつめの記事の②のように、「変化する」ことって大事だったりします。
また「変化」というと、「なんで私だけが自分のままでいられないの?!」と思われそうですが、「成長」と捉えると全然違うと思うのですよ。学生から社会人とステージが変わるのですから、それなりの成長が必須と思えば、「子供から大人になる必要」が求められていると思っていただけるとよいかと思います…。
本日のまとめ的なもの
就活とか面接とかのある話の場合、「私はコミュ障だから」と言う子がいるのですが、私が担当した学生で入学段階でいろんな先生が心配したほど会話の難しい子がいたのですが、3年生の頃合いには普通に大人と会話ができて(むしろ他の学生より丁寧かつ自然に大人と会話ができる)周囲がびっくりするほど成長した子がいました(ただ、本人は「慣れた人としか…、あと複数人とは…」とは言っていましたが)。
それは我々大人が育てたのではなく、本人が「このままじゃいけない」と自ら成長する努力をしたからです(その経過の話はゼミ担当なので教えてもらえました)。
ちなみに少なくとも私の授業の後は、毎回「good question」を投げかける、非常に感心した学生でした。
「コミュ障」という方は、必ずではないかもしれませんが、深く深く考えすぎて話せなくなっていたりするのかもしれません。それが深慮という良さであり、逆に沈黙という困った点を作り出す理由かもしれません(あるいは上手にキャッチボールができない感じとかもあるのかも)。
深く考えすぎて沈黙になりがちな子は、視点がほかの子と違ったり、ユニークな考えを持っていることが多く、話してもらえると非常に興味深いことを話す子が多かった。そして同時にこちらが歯がゆくなるほどに「私なんて」と、卑下することが多かったように思います。
だからこそお伝えしたいこととして、「他人と比べて、自分の価値を下げるな」と言いたい。
「自分なんて」の人は、評価の規準が「他人」で、しかも「かけっこ」をしているのになぜか比較対象がオリンピック金メダリストみたいなことが多い(そこまでじゃなくとも「県大会出場」クラスみたいな)。
誰かを目標にするのはいいけれど、「負ける」理由にしないこと。そしてあくまでも自分が比較するのは「他人」ではなく、昨日や過去の自分であること。過去より「何ができる」「何を頑張ってみた(できれば何年も)」「何に挑戦してみた(失敗したというのはチャレンジの結果なので非常に高評価)」を考えてみて。
あるいは意外と見落としがちな「いつも何をしている(早寝早起き、朝食を食べる、そこらへんではなくトイレで排泄をした、人に挨拶をした、遅刻しない、などなど)」をきちんとやっている自分を評価してほしい。これ、実際に学生に話したら「当然じゃないですか、特にトイレ」と言われましたが、人生の当たり前は当たり前じゃないから。「日々の生活の努力を積み上げてきた」自分をまず褒めましょう。また、困ったときに「困った、助けて」と言えた自分とかも、最大級に褒めましょう。
なんていうか、何かで「普段怖いヤンキー学生が、捨て猫を拾ったり、なにか当たり前のような善行をひとつやると、すごくよい奴扱いされるけど、実際は毎日真面目に暮らしている平凡な人のほうがよほどいい奴で褒められるべき!」みたいなのを読んだのだけど、それは本当で(笑)。当たり前のことをしているほど、それが「当たり前」になっていて、褒めてはもらえないのね。だからこそ、他の人が褒めないからこそ、自分自身が自分自身に「当たり前のこと、ルーティン的なこと」であっても、自分が自分をきちんと褒めることは大事。
こういう例は微妙かもだけど、販売の場面でね、それを売る人が「こんなの、売れるわけないんだよね」と言っていると、「売っている人自身」が「売れるわけがない」と卑下しているわけだから、売れるわけがない。逆にどういうわけか、「俺の売ってる商品、めっちゃいい!SNSとかに載せたらめっちゃ売れるんじゃね?」みたいに「すごい、ここがいいの!めっちゃいいの!素敵でしょ?!」みたいに売る人自身が愛しているものって、実際その商品が本当にいいかどうかは置いておいて、興味を持ってくれる人はでてくるのね。
自分自身もそうでね。自分が自分を「自分なんて」って言っている限り、周りも「ああ、そうなんだ」となりますし、そうあなたを扱ってしまう。
だからこそ、まずあなた自身があなたの価値を下げるのではなく、あなた自身を「自分の大切なお友達」だったらどう扱うかと考えてみて、扱ってみてほしい。大事なお友達を「お前なんて」とは、言わないよね?失敗しても、責めないで、慰めて、場合によったら改善案とかも一緒に考えたりするよね?そういう感じで、自分を大切に扱ってほしい。
また、なんで自分自身を卑下するのだろうと考えると、こう考えているとも思うの。
「自分が自分を卑下するのはいいけど、他人が自分をけなしたり、嫌ったりすることは許せない、耐えられない」と。
結局、自己卑下は「他人から自分が更に攻撃されないための守備」だったりしてね。
でも、ずっと自分で自己卑下していると、最初はそのつもりはなくても、結局それが身に沁みついて、本当にそういう人になる。それでも「しょうがないよね、それが私だもん」となる。というか、自分がその「攻撃に関して、そうなの、自分はその部分だそうだから言わないで!」だから傷になるというほうが正しいのか…。その両者のスパイラルなのか。
なににせよ悪循環なのだわ。
なぜなら、人は「他人の言ったとおり」になるのではなくて、「自分が思ったとおりになる」から。なんというか…、勿論他人の毒のある言葉というのは本当に「毒」なのだけど、あなたが受け取らなければ「摂取にはならないのよ」。「へー、そう(お前はそう思うかもだが、私はそう思ってないからなぁ。へー)」と。でも、毒を受け取っちゃって、「そうよね、私は頭が悪いのよ、性格が悪いのよ、顔が悪いのよ」となると、毒が効いちゃうでしょ?自分自身が「自分てそうなのよ」と思うと、そうなっちゃう(だからといって「私って美人、東大入学できるくらい頭がいい」みたいなことがそうなるかというと、自分が「わたしなんか…」と思ってるレベルで脳髄に沁みつくくらいにそう思っていないとの話だからね。苦笑)。
勿論、自分が反省し、努力し、改善するべき点があるならそうしたらいい。それが「よりよいあなたになる、あなたがなりたいあなたになる」道だから。この「まとめ」の冒頭の学生はそういう道を誰に言われずとも自分で選んだ。それだけ。
他人の言うことは、人生の指針や疑問にはなるけど、それがあなたの人生を決定付けるものではないからね。それを「どう受け取り」「どう考え」「行動するのか」はあなた次第だし、その選択次第で人生が大きく変わることは普通、実際にシュミレーションでもしてみると明白にわかると思う。
まぁ「コミュ障」というのはひとつの例にすぎず、「~だから」と就活がうまくいかない理由を前もって用意しがちだけど、それは「自家製の呪い」だから。他の誰でもなく、自分自身が自分にかけている「呪い」だからね。
なんていうか「呪い」は「解くのが難しいからこそ、呪い」なので、すぐさま解け!とは言えないのだけど、「解く」努力を続けるとか、前向きな「呪い」をかけてみるとか、今、できることをすることも大事だと思うのね。すぐさま「解けた!」という完璧を求めるのではなく、昨日の自分より前向き、という一歩一歩を歩くことが大事というか。
多分そういう一歩一歩が、「自信の持てるあなた」に繋がるはずなので、少しずつ頑張っていけることが大事なのかなと思うのです。今すぐの就活に間にあわずとも、「将来的な転職」とかそういうことも視野に入れて、今はとりあえずでも就職できる会社に入るというのもすごく大事な選択だと思う。
まとめなのにまとまりがないですが、繋がる場所や人というのは、ある意味ご縁だから。だからといって「果報は寝て待て」ではなくて(いえ、こういう場合もあるけれど、結構特殊)、「人事を尽くして天命を待つ」なのかなぁと思ったりします。頑張って。
というわけで本日はここまで。当記事を最後までお読みくださり、ありがとうございます。ではでは、また~。
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