今回はごく簡単に身近な道具、「筆」のお話し。
筆、というとどのようなものを思い出されますか?あるいは想像するでしょうか?私なんかは油絵を勉強していた時期も長いので、豚毛とかコリンスキー筆とかを思い浮かべたりするのですが、人によってはお習字の筆とか、ステンシルの刷毛、あるいはお化粧用の刷毛とか筆を思い浮かべる方なんかもいらっしゃるかもしれません。
私はかつて二度ほど、同一の絵画用筆関係の会社さんを見学させていただいたことがあるのですが、日本の筆製造において、ほぼほぼ人の手で制作されているんですね。非常に驚くとともに感動した覚えがあります。「地方でも、関東でも、いかなる画材屋さんでも見るあのメーカーさんの筆、ひとつひとつ、手で作ってるの?!」と。
特に筆の穂先の揃え方とか、いかに工夫して使いやすい筆にしようとしているかという隠れた気遣いみたいなものを見学させていただいて、「乱暴に使ったり、手入れが粗雑だったこともあったな…」と申し訳なく感じたり(滝汗)。
ちなみに油絵用の画筆が日本で作られるようになったのは、明治末期から大正初期といわれているよう。それまで日本に今日しられるような「西洋画」を描く文化はなかったため(とはいえ「油」を用いた技法が「全くない」というわけではないが)、「油絵」を描くために「ただ筆の形をしていればいい」ではなく「油絵という技法において使いよい筆」を作り出すためにおそらく多くの困難や問題を抱えた上で、現代にいたるというのはすごいことだなぁと思う次第です。
反面、現代においてはその筆の穂先の原毛などで新たなご問題がある模様。
面白いことに筆に使用する筆の毛は飼育動物では好ましくなく、野生のもののほうが一般的に良質なのだそう。いわゆる「養殖」的なことで筆の毛を得るほうが、毛を供給してくれる動物に「栄養」を潤沢に与えることができ、手入れなんかもできることから、「野犬」と「ペットの犬」くらいの違いでつやつやの毛艶の獣毛が得られるのでは…とついつい想像してしまいますよね。でも逆説的に「せまい檻」などで毛が擦れてしまったり、運動不足だったり、家畜化しにくい野性味あふれる動物の場合、「飼われる」ほうがストレスだったりするのでしょう。おそらく豚の毛は食肉用のものから…ではないかとは思いますが。筆製造のために動物を飼育しているわけではないらしく、少なくとも日本国内での筆の原毛生産量はごくわずからしいです。
そう思うと筆を作ってくださる職人のみなさまだけでなく、毛を与えてくれる「動物」がいるのだということに改めて気づくような気持ちがするのです。筆を買うときに「豚だ」「セーブルだ」とはいいながら、その毛がどこからくるのかなんて通常は考えないですから(^^;)。近年人工毛(化学繊維)を使った筆が多種多様に出てきて、それも改良に改良を重ねて私が若かった頃より進化したものがでてきましたのも、こういう背景があるのかもしれません。
とはいえ、やっぱり動物の毛からなる筆の使い勝手の良さには…!と思う部分も正直あります。こんなに科学が発達した時代に、野生動物の毛以上のクオリティの毛を作ることすら難しいのだと思うと、生き物ってすごいなぁとか、筆一本のありがたみ、重みというものが個人的には感じられる気がします。
道具というのは大事にされ、手入れされていると長く使えますし、所有者にとって使いやすいものともなります。筆一本、お金を出せば購入できるものではありますが、その背景に毛をくれている動物や、一本一本誠実に作ってくださる方がいることを思うと、それだけでも大事に扱いたくなりますね。
ちなみに油絵保存修復業界において(あるいは絵画修復に限らずおそらく保存修復という業界において)、「筆」を使う場面というのがあるのですが(別に色を塗ったりする場面ではなくとも)、おそらく世界各国の同業者が、同一メーカーの筆を使用しているんじゃないかな(残念ながら日本の会社のものではありませんが)。それくらい「こういう処置にはこういう道具」っていう使いやすさがある反面、消耗品の割にはお値段は…ではありまして。お金が潤沢ではない留学時代なんかは、安くていい筆はないのかと多少冒険してみたこともあるのですが、そのメーカーさんの筆以外がダメなのか、そもそもに海外の場合日本の画材屋さんのようにお客が自由に筆に触れて選べないためか(コンビニの煙草的に、何番の筆を何本という注文をするので、同一メーカーの筆でも店員が選ぶのでダメな筆を買わされることも…)やっぱり元のメーカーの偉大さを思い知る!という感じになるんです。
修復に限らず、絵画作成でも習字でもお化粧でも、道具である筆次第で出来上がりが随分異なることは言わずもがな。この記事で筆に興味を持っていただいたり、手入れをしようと思ってもらったり、自分にとってよりよい筆とはと探してみていただけたら嬉しく思います。
ではではまた。
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