随分とご無沙汰しておりました。昨年から体調を崩すことがちょくちょくあり、最終的に入院手術に至り、現状としても後遺症を抱えつつ生活しているところです。そういうわけで昨年末ごろから大事をとり、最大限に休養をとりつつ(とはいいつつも仕事をしないと生きてはいけないので、仕事以外は身体をひたすら休めて)おります。
現状季節的なものか(日照時間が少ないので)、あるいは後遺症関連なのか、はたまた年齢的なものか、その総合か、なかなか文章をまとめることができていない状態ですが、少しずつ再開を思いつついます。
また、私自身の手術を要した病気が、あまり一般的知名度のあるものではなく、私自身手術を受けるか受けないかを決めるまでや、手術後の後遺症の辛さからネットで色々検索しておりました。でも、実際欲しい情報が得られないことも多く、後遺症に関しては時間薬しかないとされ。こういう話を残しておくと、後年この病気で困った人に「こういう人もいる」と思ってもらえるのかもしれないなと思い、今後こういう手術関連のお話も別途記載していけたらいいなと思いつつおります。
何度かこのブログ上にて、文化財の保存修復を医療と例えて書いてきましたが、実際自分が入院手術を経て(ちなみにこれで入院3回目、手術4回目ですが)、「やはり似ているなぁ」と思う部分もあれば、そこは「生き物」と「非生物」との関係ということで「ここは違うなぁ」と思う部分もあり(そういうことを考える程度には冷静に入院しておりました。苦笑)。そういう点に鑑みても、入院手術の話は、決して文化財保存修復と関係ない話ではないのではないか…と思ってのことでもあります。
ただ、文化財の保存修復に関してもそうですけど、医療に関しても「私の場合は」の話であって、同じ病気の方が100人が100人、同じ道をたどるわけでも、同じ結果になるわけでもないのは、個人の状態や病気の進行度合いにも依存するためです(例えば年齢、性別、体重、既往歴、普段必須の医療薬品、体質、アレルギー有無、病気の進行度、病気の良性度or悪性度など)。そこは十分ご理解いただいて読んでいただけるといいなぁと思ったりします。
入院・手術が一番大きな手当ではありますが、実際この病気以外、昨年は突発的かつ原因不明な病気が多発し、そのうち一つは救急車に乗る乗らないの救急度でした(念のため#7119に相談したのです)。疲れによるものだろうとか、年齢的なものだろうとかの楽観視や、仕事で忙しいのに病院に行けない!みたいな自分を大事にしない行為の積み重ねの結果かと反省しつつ。目に見えて「あ、これはやばいかも。これこれの病気かも」と目に見えて顔色が蒼くなる病気を疑う症状まで出すほど、自分自身を蔑ろにしてはいけないのだと自分の愚行を顧みる次第です。
世の中に「ただより高いものはない」と言う言葉があります。実際の意味合いとしては「無料で何かをもらったりすると、後々お礼や、無料でもらったしがらみのために、逆に高くつくことになることもある」という意味合いの言葉です。
でも、一般的な国語の意味ではなく、「こう考えると面白いよ」という話で聞いたことに、「あなたの身体は誰かにお金を払っていただいたものではない、無料のものである。でも、その身体に備わっている目でも、鼻でも、口でも、耳でも、脳でも、腕でも脚でも、それと同じ機能のものを得るにはどれだけのお金がかかりますか?あるいはお金をかければ同じものが得られるか?Noです。お金を積んでも、あなたに備わっているその身体の一つ一つは得ることはできない。だから、『無料で手に入れているあなたの身体ほど、有能で高額で優秀なものはないと理解せよ:ただより高いものはないよね?』」っていう話を聞いたことがあります。そう思うと、粗末にしているなぁとか、大事にしていないなぁとか思い至ることも…(苦笑)?
私も、私以外の世の中の皆さんも、唯一無二の身体を持っている。どうかそれらを個々に大事にしつつ、またお互い大事な者同士、尊重し合っていけたらと祈りつつおります。
更新ゆっくりめになるだろう点、先に謝罪しつつ、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

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