金箔のお話⑪:日本での平面での使用方法・技法

修復を学ぶ

ここしばらく新しい記事をあげないままおり、中途半端なままになっておりました。すいません(滝汗)。

また、ブログ主自身が金箔だけでここまで長く記事を書くとは思っておりませんでした。(苦笑)。

というわけで本日から金箔の使用・技法について。

とはいえ日本画などの技法を全て知っているわけではありませんし、ヨーロッパの技法も全てを知り尽くしているわけではありませんのであくまでも私が知っているものに限りますが、洋の東西でその使用方法・技法は異なります。なぜならば、技法材料というのは一つの素材だけ、つまり今回でいいますと「金箔のみ」で成り立つわけではなくて、例えばそれを支える基底材(紙なのか木材なのか布なのかみたいなことです)、それに準じて下地の有無、そして下地があるならそれが何からできていてどのように使われているのか、ということがあり、その上に美観を形成する何か(絵具なり金箔などですね)があるからです。どういう層構造からなるのかな、ということはその作品を知る上で必要不可欠なことです。

これを前提として考えつつ、本日は伝統的日本画の場合の技法についてあくまでも軽くだけ見ていきます(なんせ私自身が日本画をやったことがあるわけではないため、知識のみで知っていることに限られるためです)。

日本の伝統的絵画における基底材となるのは紙(和紙)あるいは布(絹、麻)。ほか、あと例えば神社などの絵馬的なものや、建造物などの扉、壁面など「木の板」に描かれているものもありますが金箔の使用ということを考えると微妙なので今回はこれはちょっと置いておきます…。また金箔を使うのは絵画だけではないため、立体的なものでいいますと、彫刻、仏壇、お盆やお重、お椀のような食器のように木材が基底材ものを挙げることができます。なお、日本の伝統的絵画の基底材にはイレギュラー的に「岩(石)壁」や「土壁」も挙げることができますが、これも今回の主軸「箔の使用」ということを考えた場合にどうかな?という点がありますのでちょっと置いておきますね。

その上で平面美術において、特に「絵画」においては鑑賞するとき以外は「巻く」という形式をとることがありました。すなわち「掛け軸」とか「巻物」的な扱いですね。あるいは「扇子」なんかもそうかもしれません。それ以外だと襖、衝立のような形式になります。

「巻い」たり「折りたた」んだりすることが前提のものの場合、それに耐えられる技法材料が必須となります。すなわち、「しなやかさ」があったり「薄かっ」たりといった感じです。一般的に例えば鉄板とかのように薄くても「もの」それ自体がものすごく固い、ということもありますが、その厚みが厚くなれば厚くなるほど「固く」なる傾向があるため、掛け軸上に使用する素材は一般的には現代日本画(それこそ西洋絵画的なやつですね)みたいに盛り上げるとか、そういう技法は使えません(そもそもに重量としても耐久できませんしね)。また接着剤である「膠」も濃度が高すぎる、厚く使用すると割れやすくなるので、そういう意味でも「厚み」と「しなやかさ」というのは関係性があります。

そういう「巻く」という使用方法とか、基底材が薄いが故の「耐久力」問題などで厚く何かを塗布できないとか、素材同士の相性の問題とか故に、「通常絵具(あるいは墨)の中に含まれるのと同じ」である「膠」が選択されていると考えられます。

さて、日本画特有の金箔の使用の仕方で、「砂子」という使い方もあります。片方の出口に任意の網目の金網をつけた竹筒(?)に、必要量の金箔を入れ、それを専用の刷毛で水鉄砲をするようにトントンすると、金網のところから小さな金箔片が砂のように(これは金網の目の大きさにもよると思いますが)出てくるという寸法です。で、このように「細かくしにくい金箔を細かくする方法」については知っているのですが、反面ブログ主はこの砂子の場合接着成分はどう塗布しているのかな?ということに関しては疑問だったりします。知っている方がいたら教えて下さるとうれしいですね(^^)。

なににせよ、支持体が紙、布(絹・朝)の日本画で箔を使用する場合、その支持体の凸凹感から、一般的には箔部分を「磨かない」そうです。金箔はガラスや鏡ほどに凸凹のないものの上に載せて磨くと、艶や特有の光の反射が得られるのですが、凸凹したものの上で磨いてもそうとはならないためです。とはいえ、金泥を使用した際は磨くらしいので、面白いものだなと思います。

また、この記事にて伝統的な日本の「絵画」は「巻く」こともあるから、「しなやかさ」や「塗膜としての薄さ」のようなことを求めるようなことを書きましたが、それが前提なら支持体を構成する「接着剤」を使ってもよいのでは?ということも考えられるかもしれません。「掛け軸」のように巻物状のものは、一般的に作品の直接の基底材だけからなるのではなく、おおよそ2層の裏打ちがなされているのですが、この時に使用する接着剤は「膠」とは異なります。

こういう「なぜ接着剤を変えるのか」ということに関しても多角的な視点での理由がありますので、色々考えてみる機会にしてみられると非常に面白いと思いますし(難しいことではなく、ある種当たり前すぎることではある反面、こういうことの理解が保存修復への理解の第一歩だったりもするんですよね…)、美術館などで作品を見る上での別視点での楽しみにもなるかと思います。

特に日本の伝統的な平面絵画に関しては、長いことその「ルール」を伝え続けていることがすごいことで。「なぜそのルールがあるのかな」と思えば、「ルールは破るためにある!」ではなくて、「そのルールという枠の中で最大限戦う」ということが「自分の作品のため、自分の作品が健康に平穏に未来に遺るため」とわかるのだが…と思ったりしてしまいます。スポーツだと「ルールを破る」のは「いけない」ことなのに、美術だどなぜそれを「窮屈だ」と言うんでしょうね、これもある種興味深い気がします。

というわけで本日はここまで。最後まで当記事を読んで下さりありがとうございます。あともう少々金箔のお話が続きますが、引き続き読んでいただけると嬉しく思います。ではではまた。

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