ここ最近、作品調査の手法の一つである「光学調査」のシリーズの記事を投稿しております。その中でも直近の記事では、「X線写真」の原理?的なお話を、身近な医療でのX線撮影を例にお話しました。
本日もその「X線写真(レントゲン写真)」について、もう少々お話したく思います。
X線(レントゲン)写真の観察の前に、まず作品が「どんな素材からできているのか」「どのような技法でできているのか」の理解が重要になります
先の記事にて主にお伝えしたかったのは、
- 「X線写真」はX線を介して作品の画材の原子番号を記録する写真
- X線(レントゲン写真)は、物体を構成する原子量、あるいは作品を構成する物質の厚み・密度の違いなどによって、X線の吸収や透過の違いが異なるという原理を利用した光学調査
- 個々の文化財は、様々な素材からできていることから、おおよそどのような素材でできているのか「あたり」をつけておかないと、X線写真を「読む」ことは難しい(事前の作品理解の重要性)
ということです。
直近の記事では人体のパーツ(お肉と骨)を構成する原子によって、同じX線フィルム上に写る原子の中でも重いものほど「白っぽく写る」ことなどを説明しました(勿論物体の厚みや密度などにもよります)。
これが絵画作品の場合はどのように写るでしょうか?
X線(レントゲン)写真はいってみれば白黒写真的にしか映らないですが、原子量が大きいものほど「白っぽく」写るということを考えますと、絵画を構成する素材について、改めて考える必要性があります。
基底材は何からできているか?下膠は?下地は?地透層は?下絵は?絵画層は?ワニス層は?
こういった各層のそれぞれの素材が、有機物なのか?無機物なのか?はたまた化学式ではどのように表現される物体なのかを考えるのです。
勿論、目視や簡単な調査などでは厳密には「素材が何からなるか」ということはわかり得ないことが多いです。でも、推察することはできるので訓練的にやってみるとよいでしょう。
その際おそらく最も素材が複雑であるのが「絵具」を構成する「顔料」であることにたどり着かれるかと思います。
作品の層構造の中でも、絵画層、特にその「顔料」の素材によって、X線(レントゲン)写真上どのように写るのか考える
以前、過去の記事にて顔料の分類についてはお話しているのですが、例えば大まかな分類の仕方の一つとして、天然無機顔料なのか、合成無機顔料なのか、あるいは天然有機顔料なのか、合成有機顔料なのかといったような分類のお話をしました。
もっと言えば、昔は使われていて現在使用されていない顔料や、逆に現在は使用されていてかつては存在しなかった顔料など、顔料を年代などに分けても色々分類できます。
こういったまさに「いろんな化学式」で表現される顔料(異なる素材からなる顔料)からなる絵画層が、X線(レントゲン)写真においては、どのように写るかといいますと、原子番号の大きい原子が含まれている顔料を含む部分ほど、一般的には白っぽく写ります。
おおよそ、基本的な構造を持ち、構成する素材が基本的な素材である西洋絵画の場合(近現代絵画と呼ばれるものには、「一般的」な構造ではないものがありますので)、その構成素材を構成する化学式に含まれる原子の中で最も原子番号が大きいものはPb(鉛)だろうと考えます。
上に元素周期表を張り付けておきましたので、Pbの位置をご確認ください。
鉛からなる物質、しかも絵画に使用される…というと、なかなか一般的には想像できないかもしれないですね。基底材に鉛?下膠や下地、地透層やワニスなど、なかなか鉛の使いどころに疑問がでるかもしれません。
西洋絵画あるあるの、鉛の使いどころは「鉛白(シルバーホワイト)」という名称の「白色絵具」です。顔料の中でも長い歴史を持ち、特に油絵具と相性がよく、色味などとしても非常に使いやすく美観もよい、ある種パーフェクトな顔料ですが、唯一大きな問題として「有毒性」を持つ絵具です(なんせ鉛ですから)。
日本ではいまだ「顔料」、つまり粉末の形で購入できる鉛白ですが、西欧では鉛白のその有毒性から、「粉末の状態(顔料の状態)」では鉛白って購入できなくなっているんじゃなかったかしら?
非常に「絵具」としては最良ではある反面、生き物にとっては命の危険がある素材であるからこそ、その代替えとして別の白色が作り出されてはいますが、作業性や美観として、なかなか鉛白を超えるものというのは、どうかなぁという感じですね。
また、その次に大きな背番号を背負う顔料といえば、Hg(水銀)を含むヴァーミリオンですね。同じ顔料を日本画で使用する場合は「辰砂」と呼んでいます。ヴァーミリオンに関しては、歴史的に結構早めから「人工辰砂」を作ろうとされていたようでして、現在も油絵具のチューブにありますヴァーミリオンなんかは人工辰砂からなるのか、環境を踏まえて本来のヴァーミリオンに似せた色味を作っているのかどうなんでしょうね。Hg(水銀)もPbと同じく大きい数字の背番号を背負う元素ですので、X線上では白っぽく写ると推察されます。しかしPbよりは背番号が小さいことや、あんまり「朱色」を、生の色でペタ―っと、厚く塗ることはそうないことですので、そういうことを踏まえると、鉛白よりは白っぽくX線上では写らないかも?しれないですね。
こういったPbやHgのような大きな背番号の原子ほど、X線上では白く写るというのは、理由がありまして。そもそもX線は白黒写真のような感じで写るわけですが、その白黒写真として写る理由としましては、X線を物体に照射して、その物体の向こう側にあるフィルムまでX線が透過すればするほど黒っぽく、逆にX線がフィルムまで透過しにくければ白く写るという原理があるためです(他の光学写真のように、作品に照射した光がカメラの方角に「反射」することを求めた写真ではない、ということです)。
簡単にいえば、大きな背番号を背負う原子からなる素材が作品に使われていればいるほど、作品の向こう側にあるフィルムまでX線が届かないから白っぽく写る。逆に。小さな背番号を背負う原子からなる素材が作品に使われていればいるほど、作品の向こう側にあるフィルムまであっさりとX線が届くので、黒っぽく写るということです。
では、顔料の中でも最も原子番号の小さいものは何かといいますと、おそらく黒ではないかと考えます。本当に動物の骨や牙、あるは桃の種やブドウの枝を使っているのであれば、ではありますが。上の素材からなる絵具としては、「ボーンブラック」「アイボリーブラック」「ピーチブラック」「ヴァインブラック」を挙げることができ、これらを構成する原子は「C(炭素)」だからです。上の元素周期表中だと、6番めくらいにでてくる原子です。
こういう顔料が作品上に使われていますと、X線写真上では「黒く」写ります。といいますか、「写らない」という言い方が正しいか。
なぜこういうややこしい言い方をするかといいますと、あまりにあっさりとX線が透過してしまう場合、「そこに物がない」のか「あっさり通す程度のものがあるのか」という区別がつかないからです。どちらも「黒く」写りますから。
あるいは、もっと正確にいいますと、絵画の構造上、「黒だけ」がそこにある、という状況が存在しないので(少なくとも絵画は層構造を持ち、絵画層の下には必ず基底材や下地などの別の層が存在する)、他の物体の素材の影響もX線上ではでてくることから、小さな背番号からなる上で、さらにその厚みが小さいもの、密度の少ないものに関しては判別は難しくなるでしょうね。
こういう風な話をしますと、なににせよ「白」は白く、「黒」は黒く写るなら、ラクショー!と思ってしまいがちなんですけど、そうではありません。同じ黒でも、素材は色々ありますし、白色も「鉛白」だけではありません。例えば「亜鉛華」というZn(亜鉛)を含むものもあれば、「チタニウムホワイト」というTi(チタニウム)を含むものもあります。両者とも上の元素周期表で探してみるとよいですが、「白色」の絵具でも、背負っている背番号の数字は大きなものではありません。
ですので、我々は実際の作品の色味を見つつ、使用されている顔料(それだけでなく、基底材や下地などの素材も含みますが)としてどのようなものが使用されているのかを想定しながらX線(レントゲン)写真を観察し、より正しい推察になるよう考えていくんですね。こういった色々な知識を踏まえてX線写真を観察する必要があることから、X線写真の読み取りを正確に実施するのは簡単ではないんですね。
本日のまとめとして
なんていうんでしょうね。おそらく対象が文化財でも人間でも、X線写真の撮影や読み取りの難しいところというのは、結局のところ、対象がこの世にひとつとして同じものがない、というところだと思うのです。
文化財の場合は、構成素材が作品ごとに様々ですし、X線の写り方は、素材だけではなく技法によっても変わってきますので、X線写真以前に様々な観察をしておおよその技法材料を予測していないとなかなか読み取りは難しいと思うんですよね。
人体は逆におおよそ構成素材は同じ(お肉とか、骨とか)ですけど、同じだからこそ、病の痕跡を見つける撮影って難しいと思いますし、正確に情報を理解することも大変だと思うんですよ。
今回、絵画層を構成する絵具の中でも顔料の主要原子のお話をしましたが、こういう素材の化学式なんかも、作品理解のための知識の大事な一つ。作品を観察する、理解するということが、ただ「観る」ではなく、「多角的」であることが伝わればいいなと思いつつおります。
非常に長くなりましたが、本日はここまで。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
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