【雑記】そもそもどうして文化財には保存修復処置が必要なのでしょうか(1回目/全3回)

雑記

新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

さて、今回はあくまでも個人的見解のお話で、学術的なお話でも専門的なお話でもないことを、先にご容赦いただけたらと思います(汗)。

すでに20年近く前のこととなりますが(と、こう書いて自分自身でちょっとびっくりもしているのですが。汗)、まだ東京の某博物館でお仕事をしている時に、ある女性(全くの別業種)と出会いました。

その方には、ブログ主が「絵画の保存修復に関わっていること」、「博物館勤務であること」は告げてある状態であるということが前提。さらに、その女性は一般的な視点で考えると、高学歴、高収入な部類な上、もともとおそらく平均から考えると裕福なお家柄らしく、海外旅行(貧乏旅行ではない)なども少なからずしており、そういった海外旅行を含め東京に面白い展覧会がくると、そういうものは必ず見るというタイプの方でした。

こういった前提を以てしてなのですが、ブログ主はその女性から以下のような衝撃的な言葉を頂きます。すなわち、「所詮【もの】は傷んで無くなるのだから、そんなに躍起になって処置する必要性がどこにあるの?」と。

ものすごく衝撃的でした。

これが、普段美術館に行かない、「美術館?はぁ?そこにいって何するの?つまんねーじゃん?」という方のセリフなら、「まぁ、そう思うんだろうなぁ」と流せるのかもしれません。しかし平均的程度には美術愛好をしている方の口から、そういう言葉が出るんだ!と、当時すぐには言葉が出なかった覚えがありますし、同時に、その後私は彼女に何をいったのだろう(肯定?否定?あるいは聞き流し?)の記憶はありません(あ、別段その言葉を理由に喧嘩などもしていませんし、彼女とのお付き合いは、別にそこで途切れたわけではありません)。

なんていうんでしょうね。

当時は20代で、「誰しもが、ある種のものは、共通して賞賛し、大事にするもの」だと愚かにも思いこんでいました。でも、実際はそうではありません。なぜなら人の好みも、人生も、求めるものも、最優先するものも、大事なものも、愛するものも、無くしたくないものも、同じではないからです。もっと言えば、ある種の人にとっては人生最大級に必須のものが、ある種の人にとってはどうでもいいからです。

例えば(便宜上例としておりますので、以下のものを愛好している方は先にご容赦ください)、相撲は日本の国技ですが、相撲愛好家以外の方で、「横綱」の名を正確に述べられる方や国技館で相撲を見たいという方はそういないと思うのです。あるいは、世界的有名ミュージシャンであろうとも、本当に全世界の全ての人が愛好しているかというと、そうではありません。

何がいいたいかといいますと、「国技」といった無形文化財的な、神事、伝統を担うある種のスポーツ(?)のようなものであっても、世界的有名人のような圧倒的な知名度があっても、100%同じ愛情度を以てして愛され、大事にされるわけではない、ということです。

「自分が好き」なものを、「他人も同じ体温で好き」と感じてくれるわけではないというのもそうですし、「自分と他者」が思う「最大限の愛」というもの自体の度合(あるいは表現方法)も「同じ」ではないのです(世の中には、2:6:2の法則というものもあります)。

と、こういう前提を長々と書いて、何がいいたいのかといいますと、この世に残る文化財というのは、いわばその文化財を「価値がある」とし、愛し、大事にし、誇りとした人こそが、「残す努力」がなされてきたから残ったもの、ということです。500年、600年という年月を経ている作品なんかは、戦争、略奪、破壊の危機にさらされてきた中で、その地域の人全員とは言わずとも、誰かが「大事」と認識して、「大事」にしてきた過去があったからこそ残ったものです。

ただぽんと押し入れの中に置いておいたら、キレイに残っていた、ということはそうそうないでしょう。そういう意味で、今現在、古い古い作品を我々が美術館博物館などで鑑賞できることは奇跡のようなものであり、古に努力してくださった方々の恩恵を与っている状態である、ということは忘れてはなりません。

よくブログ主が大学で教えていた時に例としていっていた話なのですが、大事で高価な一張羅、「ここぞという時に着るお洋服」を大事に箪笥にしまっていても、いざ使うときに、ダメになっていることってありますよね。生地が劣化(黄変)したとか、場合によっては虫が喰ったとか。

こういうことを起こさないためにも、定期的な確認、定期的な使用、適正な保存処置(事前のお洗濯、クリーニング)、適正な保存環境の整備(除湿、防虫、防カビなど)が必須であって、ただ箪笥に入れとけばなんとかならないのはご理解いただけると思います。

ですので、表題の「どうして保存修復処置が必要か」ということを物理的に言えば、「それ(人為的な適正保存、あるいは人の手による処置)なしには、作品は残らないから」ということが回答となります。

これ、近現代においては、美術館博物館などが文化財の適正保存環境に照らし合わせてできるだけ適正保存を心がけていたりしますが、近現代でも結構難しい問題だったりします(例えば気温や湿度を適正かつ一定に保つことは、美術館博物館において必須かつ基本事項ではありますが、実際館内の鑑賞者が増えるにつれ、あるいは一日の中で鑑賞者が上下するにつれ、これを一定にすることは非常に困難ですし、また、鑑賞者が少ない中小規模美術館などでは、逆に温湿度を一定に保つ施設を備えることが困難だからです)。

これが、現代のような温湿度を一定にできるエアコンなどのない昔々において、作品が破損しないよう注力することの難しさというのは比ではないでしょう。その上で、作品がこうやって現代まで残っているというのは、過去の人々がそれらの作品を愛し、大事にし、壊れないよう、失くさないよう、心を配ってきた証のようなものなんですよね。

でも、これは冒頭の「女性」の言葉(考え)の回答には、きっとならないことと思います。

ですので、違う視点での「なぜ文化財には保存修復処置が必要なのか」という回答が必要かなと思うのですが、なんせすでに長く書いておりますので、本日はここまでで。

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

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