作品を計測することでわかること(1/4話)

修復を学ぶ

作品を調査する際に、いかなる作品においても実施する調査である反面、多分学生さんにおいてはその重要性があまり理解されない調査として、「計測」があると思います(学生さんは、「すごそうな機材」を使うことが好きで、あまりこういう地道な調査を好まない傾向がありますので)。

では逆に、「計測」が重要だというのであれば、どう重要なのか?ということをご説明する必要があるかと思います。

で、この「計測の重要性」を非常に端的に申し上げますと、この作品のサイズを確認することが、すなわち作品のアイデンティティを探る手がかりとなったり、あるいはその作品の将来的な処置や保存を考える時に役立つ要因となると理解してください。

ただ、これだけだと「??」かもしれませんので、以下もう少し詳しくご説明したく思います。

作品の計測が、作品のこんな部分への理解への道筋となる場合も

作品の大きさを計測することがどうして重要なのかに関し、思いつく限りとなりますが、以下に箇条書きしてみます。

①調査時のサイズが明確となる(過去、あるいは未来のサイズと比較することができる)

②作品の製作地、あるいは作品を構成する基底材あるいは木枠などの素材の出身地がわかる

③その作品が制作された時代あるいは時代背景がわかる

④計測した時期の作品サイズがオリジナルのサイズか否かを推察することができる(この場合、他者の意志の介入によってサイズ変更されたのか、あるいは画家自身の意志に基づくものなのかということを考える必要性がある)

⑤その作品の処置、あるいは保存のための対処をどのようにするかを考察する基盤となる

以上5点かなと考えます。

以上をご覧になって、「計測だけで、そんなことがわかるものか?!」と思う方もいらっしゃると思います。

勿論、「ただ計測している」だけでは不可能です。

計測結果に対し、基礎的な知識を以てしてどう捉えるか、あるいは時代背景、異国の状況などを理解する必要があってこそではあります。

だからこそですが、大学などにおいて1年生段階では作品を触ることはありません。基礎知識がゼロな状態で作品を触るのは、作品にとり危険でしかありませんので。たかが計測と思われそうですが、されど計測。作品を尊重し、理解しようという気持ちがない方が触るのは危険です(そもそもに「たかが計測」と思われた段階で、こういった関係の職業には向かないと思われるのが正解かとも思います)。

実際、作品に対するノーリスクのためという意味もそうですが、ただタスクとして「測らなくちゃいけないらしいから」と計測する、という行為から得られるものというのは少なくて。これに対して「作品を計測すると、これを測るとこれがわかる【かもしれない】」と思いながら計測をすると、「作業としてやっているだけ」とは違う何かが得られる「場合もあったり」します。おそらくこういう話は社会人をしている方にはご理解いただけるかなと思います。

つまりは、「やれっていわれているから」やるのではなく、「その仕事の意味(目的)をもって実施する」では、得られるものが違うよ、ということが言いたいわけです。

もう少々だけ、上の各箇条書きに関して詳しめにお話してみましょう。

調査時の作品サイズが明確になることで、どんないいことがあるっていうの?

まず先の箇条書きの①に関して。

単純に、「作品の大きさ」という情報は非常に重要な情報だからです。

特に、現時点(例えば2023年1月3日)の調査時の作品サイズの他に、過去の調査(あるいは修復)時の作品サイズの上布、そして、将来的に50年後に同じ作品を計測することがあったとして。

これらの作品サイズに相違がなければ、「過去に基底材に対してサイズ変更などの処置がなされたことがない(オリジナルのサイズを保っている)」ということができる可能性が高くなります(実際は、作品サイズだけを見て推察するものでもありませんが)。

作品のサイズが変わるなんて、そんなことなかなかないでしょう?と思いたいところですが、実際はブログ主の経験からも、結構よく見受けます。画家自身の手によるもの、画家の意志によるもの、画家以外の人間の意志が働いたものなど色々あります。

何にせよ「人間」が関わった場合は、そこに「意志(目的)」がありますので、そこは注意深く読み取って、「誰」が、「誰の意志」を以て、「いつ」、「どうして」、「何を以てして」それを行ったのかなどを考える必要性がでます。

「画家」の手による、あるいは「画家の意志に従って」であれば、その「作品のサイズ変更」は「オリジナル」ですし、逆に画家以外の手による、画家以外の意志に従った行為であれば、単純にいえば「損傷」に加えられる行為となるという、両極端の判断をしなくてはならないので、この判断の責任の重さは半端ありませんね…。

あるいは必ずしも上記のように「人」が関わったことが理由とは限らないものでして。例えば基底材が板だった場合は、人為的な要因だけでなく、環境的な要因でサイズが変わること(ひいてはそれに起因して損傷が発生すること)などがありますので、作品が展示・保存されていた環境を含め、調査修復に至るまでに作品にいかなることが発生したのかを考察するとともに、基底材自体の脆弱性、あるいは今後の保存方法・環境を考える要因ともなるでしょう。

作品のサイズ変更の具体例のひとつ

時には「なんでこんなことをしてくれちゃっているんだろう??」という、作品サイズに関わることがされている作品なんかもあります。

ブログ主が経験したものだと、海外にいた際に担当した板を基底材にした作品で、サイズ変更(作品サイズの縮小)がなされた非常に古い作品(14世紀末あるいは15世紀初頭の絵画作品)の例がありますが、これ、一見では「なぜこのサイズ変更?」というのが全く分からず。

板絵、といいますか、木材のスペシャリストの方に相談してみましたところ、過去に家具(棚)の一部(扉部分?)に使われていた過去があったようで。

なんていいますか…、非常によい板だったんですよ、その作品の基底材(苦笑)。

なんでも近現代のものほどクオリティがよいと思いたいところですが、昔のもののほうが、ギルド(組合)が王様や教会(当時は王様より立場が上の場合も)に献上するために、最上の素材を、最高の技術で用意しているのだから、くらべものにならないことなんかもあるわけでして(いうなれば、現代日本の場合、皇室にお納めするお品物が、100均商品であるわけないよね?というのと同じとお考えいただけたら、わかりよいかも)。

というように、必ずしも高い志やら、善意やらで作品サイズが変わっているわけでなく、その作品をたまたま所有した誰かの個人的な何かでサイズ変更していることも十分あり得ますので、正直人為的なもので、「やった人の意志が読めない(難解!)」ということもあります(汗)。

でも、その「なぜ?」を読み解く第一のキーが「作品の計測(数値)」なんですよね。

本日のまとめ

こんな感じで、本日は作品を計測する大事さについて、ちょっとご説明してみました。

美術館博物館にいって、キャプションにもある情報なのはお分かりいただけますが、なぜ「サイズ?」と言われれば、こうやって作品のことを理解する要素がたくさん詰まっている部分が「作品サイズ」だからですよ~と思っていただけるとよいかと思います。

是非、そういう意味でも、美術館博物館で、作品の実際の「大きさ」や、計測された「数値」というものを味わっていただけたらと思います。それが作品を理解する一歩ともなりますので(^^)。

というわけですでに長くなっておりますので、本日はここまで。

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

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