【雑記】作品の未来を握るのは、特別美術に関わるわけではなく、市井の人間かもしれない

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本日はあくまでも「雑記」ということで、学術的な話でも専門的なことでもないことをご了承ください。

そもそもこういうタイトルでお話するのは、「文化財の保存修復家」さえが頑張れば、作品を守ることができると思う方が少なからずいるからだと思っています。

医療的に見て見れば、「お医者さんさえがんばれば、全世界の人間の健康は守られる」みたいな。

でも、実際はそうではないはずです。

今、少なくとも日本人の多くの人口における健康が保たれているのは、医療の発達もしかりですが、病院や学校、家庭にて「病気の予防」についての努力があること。

そもそもに「キレイな水」があること。アスベスト、耐震、気候対策など、さまざまな条件に対し住みよい建物が建てられるようになったこと。清潔な暮らしができること、夏冬には非常にお世話になる、エアコンのような便利器具の発達。米やパン、お肉、お魚、野菜など、人間にとって必要とされる必要な食物が日本中に流通していること。こういった総合的なことがあってのことだと思うのです。

つまりは、自ら健康を保とうとする努力も必要だけど、それを支える医療などをはじめとした見えざる多くの方の恩恵があってこその健康なわけです。

それに対して、文化財に関しては、いわゆる医者に当たるような医者だけが頑張れば、長寿を望めるかというとそうではない、ということが言えます。

また、ごく一部の人間の努力でどうにかできるものでもなとも思っておりまして。それが、「私は不器用だし、美術に貢献できるわけではないから…」とご謙遜される方も含め、直接であろうと間接であろうと、まず、多くの人が「知る」ということからものごとは始まるのだと思っております。

でも、それって特別な話ではなくて、あらゆる職業、あらゆる専門において同じことが言えると思うんですよね。難しいことですけど。

なぜこういう話をするかと言いますと、最近ブログ主が子供(小学生か、あるいは中学1年生くらい?)の頃のニュースを思い出しまして。

すでに30年以上前のニュースではありますが、それにも関わらず思い出せるニュースですので、同年代あるいはそれ以上の年齢の方はきっと覚えている話かと思います。

時代的にまだバブルの真っ最中のころ、某日本の大企業(当時)の名誉会長氏がゴッホの作品を購入します。それ自体はなんら問題があることではありません。お金持ちが有名画家の作品を買うなんて、現代でも日常茶飯事にあることでしょう。

しかしこれが30年以上経っても記憶にあるのは、その名誉会長が「私が死んだら、この絵を棺桶に一緒に入れてくれ」と発言したからです。

ただ、ブログ主の記憶として抜けているのが、どうしてその発言が周知の状態になっているのかですね。おそらくものすごく高額な絵画を購入した、とうことでインタヴューを受けた上での発言だったのかなと思いますが。

当時はインターネット、スマホどころか、一般市民(社会人)はポケベルを使っていた時代です(バブル芸人の平野ノラさんが、3kgの「かばんか!」みたいな携帯を持っていますが、あれすら一般的ではなかったですからね)。ですので現代のように、海外のニュースが一足飛びに自分の国に入ってくる時代でもなかったはずですが、それでも当時この発言が世界的に波紋を呼び、特に海外の美術愛好家から批判されたといわれています。

こういう話を聞きますと、その当事者である作品のその後が気になるところですね。

結論として、その名誉会長がこの世をお去りになられても、幸いその作品はお棺に入れられることはなかったそうです(どうやら売却されたようではありますが)。でも、もしこの発言が世間に周知されなかったら(マスコミが批判的に世間に公表しなかったら)。もし誰も批判しなかったら(特に時代的にインターネットなど、個人が自分の意見を広く広められる時代ではなかったからなおさらに)。もし、それでも「どうしようとわしの勝手」と批判をはねのけたら。あるいはもし、当人の死後、周囲の人が「遺族の意志だから(どうせ公表しなければわからないのだから)」と決行していたら、と、色々なターニングポイントがあります。

すごく正直なことを言いますと、「人がレストランに行く目的」と同じに、「人が美術品を買う目的」もそれぞれです。一般的に「レストランに行く目的」は「ごはんを食べにいくため」ですが、そうではない方もいます。それと同様、別段「その美術品を愛していなかろうとも」、別の目的があって作品を購入する人間もいます。それはその人それぞれで責めるべき点ではありません。

その上でややこしいのは、美術品というのは、購入した人(組織、団体)に帰属することになるので、それをどうこうするのは所蔵関係者の勝手である、となってしまうこと。

反面、美術における先進国の考えでは、「美術品は社会の共有物」であって、「個人の意志などにより消滅などさせることは非常識」という考えがあります。

もっと簡単な言葉でいいますと、購入した人は、「購入価格」だけを考えるのではなく、購入した後の管理、保存、修復も視野にいれて購入すべき、という話になると思うのです。でも、実際、「購入した後」のことを考えて美術品を買う人って多くはないです。場合によっては、「代えがある」「購入した自分の勝手である」とすら思っている方も少なからずいらしゃるとも思っていまして。そういう意味でも、専門の人間が頑張ることのみで、作品を守ることというのは結構難しいことと思っております。加えていえば、市井の皆様のご理解たいただけることで、こういうことはより容易になっていくとも思うんですね。

これ、同じ「器物」扱いになる「ペット」と同じだと思うんですよ。

結構「ペット」に関しても、「購入する」までのことは考えても、「購入後、死ぬまで」のことを考える方というのは「全員」ではないんですよね(そもそもに「ペットを飼う目的」も人それぞれといえばそうですから)。終生にどれだけのお金がかかるのかを考えなかったり、生き物だからケガや病気になることを考えなかったりで、ペットを飼ってしまう方も少なからずいらっしゃいますが、そういう方の意志を無視して、獣医さんが治療するなどはありえないことです。

だからまぁ、文化財関係に限らずではありますが、何かを守りたいとかそういう時というのは、専門の人だけが頑張る話ではなくて、少しでも専門外の方、ちまたの方に知っていただけるというのことが大事なのかなぁと思いつつおります。

本日も長くなりましたが、最後まで読んで下さりありがとうございます。

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