この記事はあくまでも個人的な疑問や意見などの記事であって、学術的なものや業界の考えなどではないことは先にご理解いただいた上でお読みいただけると幸いです。大分長い話ですので、2つの記事に分けておりますこともご容赦ください。
先の記事にて、文化財などの作品を守ることに関して、市井の人の力(理解)が大事的なお話を書きましたことに呼応する形が今回の記事になります。
これも過去にとあるニュースを目耳にし、当時周囲にいた業界の人間(似た世代)で話をしたなぁということを思い出したことに起因します。
元ネタのニュースは、2018年にもともと東京大学本郷キャンパスに展示されていた画家、故・宇佐美圭司氏の壁画「きずな」が廃棄された、というものです。
この作品は40年にわたり、東大の食堂で親しまれた作品であったそうですが、その食堂自体の老朽化によって全面的に改修が求められた結果、発生した事態のようです。
これ、文化財保存修復関係者のブログ主にとっても、残念なニュースではあったのですが、同時に難しい問題だとも思いました。
というのも、40年以上親しまれていた作品ということは、逆にこの作品の来歴といいますか、画家の価値のようなものをリアルに知る人が、現状東大にはほぼいないといってもいい状態だと思ったからです。
実際ネット上で拝見した「作品廃棄に至った原因」の中に、「文化的価値や文化的意義について認識しなかった」とか「知識がないため、軽率な判断となってしまった」というものがありました。
天下の東大が「わからない→捨ててもいいよね」と短絡的な結論に走ってしまったことは、「え?」とは思います。捨てる前に、どういうものか、調べようよとは思います。
でも、多くの方に正直な回答を伺いたいのは、このニュースが出た段階で、どれくらいの日本中の人間が「宇佐美圭司」という画家およびその価値を知っていたか、ということです。おそらく大多数の方が「作品の廃棄」と聞いて、残念だ、もっと何かできたのではと思った反面、ニュース以前に「この画家の存在を知っていた」「価値を知っていた」という方は、美術関係者以外においてそう多くはないのではないかと思ったりするのです(これ、「高橋由一」すら、大学で教鞭をとっていた際のアンケートで、知名度が低かったことで思ったことです。日本美術史の重要人物すらですので、いはんや、と)。
人間の感覚のありかたとして言えば、自分にとって興味のないもの、しかもダ・ヴィンチ、ミケランジェロ級に有名でもないものに対して「価値を見出す」ってよほどじゃないと難しいと思うのです。
今、例としてダ・ヴィンチやミケランジェロを出しているのも、日本人の場合、誰の名を出したら可及的大多数の認知と理解を得られるのかと考えた場合、こういう名前になるからです。残念ながら、「有名な」と思っている人が、美術業界を特に好きではない人にとっては「有名ではない」ということはよくよくあります(これはいかなる業界でもよくあることです。スポーツが好きではない人がスポーツ選手がわからないとか、よくありますよね)。
また、その興味のないものを守っていくものに、少なからずの金銭が必要となるとあらば、色々悩むものがあるとも思うのです(実際現場でそういう状態を見て、そして何もできない現状を味わっているからこそですが)。加えて作品のサイズが大きいほど、悩む部分は多岐にわたると同時に、大きくなるでしょう。
東大関係者の中でも批判が大きかったということで、もし問題が経済的なものだけであれば、すぐに廃棄と考えず、卒業生・関係者に「有志」を求めたらよかったのかもしれません。でも、そういう風に考えることができなかったほどに、価値認識ができなかったのだと思います。
こういう形で作品が失われてしまうことはいけないことで、今後発生してはならないとは、勿論ブログ主もそう考えます。そういう意味では、このニュースは喜ばしいことでは全然ありませんが、世の中に「一度よく考えろ」という機会をくれたのだと思います。
反面、このニュースを知ったとき、同業他者と「果たして今後、作品という作品が、残される余地はあるのかな」ということも話した記憶があります。
なぜなら、命あるものであれば、いかなるものでも一般的には平等に「死」が訪れて、この世からいなくなります。そこはどんな有名人でも、どんなお金持ちでも、どんな権力者でも、極悪人でも例外はありません。
しかし、物である文化財は破棄しない限りは、残る可能性があります。美術館博物館に所蔵されていれば、尚に。おかげで世の中に存在する作品数はひたすら右肩上がり。しかし極論ではありますが、残せる作品数には限度があるのでは?とも考えるのです。
なぜならそれらを残し、展示するための敷地面積、専門の人員、環境を一様にするエネルギー、そして多大なお金などが必要となるから。美術館に作品が入れば、作品が保たれると思う方も多くいらっしゃるかもですが、そもそもに、美術館の収蔵庫にだって限度はあります。「収蔵庫がいっぱいなら、作品のために新たに収蔵庫か美術館を建てたらいいじゃない」というアントワネット的なことを考えるかもしれませんが、この不景気な世の中で、税金からであろうと、個人の支出や企業の支出であろうと、それが困難なことは目に見えていると思うのですよ。
…というところで、ちょっと尻切れトンボ的ではあるのですが、本日はすでに長く書いておりますのでここまで。
よろしければ次の記事に続きがございますので、ごらんいただけましたら幸いです。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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