絵画だけでなく文化財全般において、「壊れたら手を入れたらいい」ではなく、「そもそもに壊れないよう、予防的に保存しよう」という考えが大前提としてあります。
これは医療における「予防」と同じです。
例えば特に顕著なのは、歯科だと思うのですが、「虫歯になったから削ればいい」とは誰も思っていないんですよね。お医者さんだけでなく、患者の立場の我々も。なぜなら人間の歯は、鮫の歯のように何度も何度も生え変わるわけではなく、また一度傷ついたり欠いたりすれば、それは皮膚のように再生するわけではないからです。
勿論、銀歯や陶器などの詰め物、あるいは差し歯などによって損失を埋め合わせることはできますが、オリジナルの歯があることに勝ることはないはずです。もし勝るのであれば、誰しもが歯を失っても恐れることはなく、喜びいさんで義歯に代えるだろうからです。
だた、文化財保存修復においては違う意味合いもあると考えています。
皆さんには、お気に入りのお洋服などはありますか?ここぞという時に着るんだ!とか、彼(彼女)とのデートの時に着るんだ!とか、別段パーティ用のお洋服などに限らず、思い入れのある服というものがありますよね。
でも、例えば白いお気に入りのワンピースをデートの時に着て行って、たまたま食べたパスタのソースをつけてしまった。こうなると、お気に入りのランキングが下降しませんか?
あるいは大事にしている服だからこそ、ずっと押し入れにしまっておいたら、生地が黄ばんでしまっていたとか、あるいは虫に食われていたということもあるかもしれません。その際も、もともと持っていたお洋服への愛着がほんの僅かであろうとも薄れたりしないでしょうか?
割れ窓理論や車のパーツ泥棒に見る、「壊れたもの」がさらに壊れようとも人は罪悪感を覚えないという心理
心理学は専門ではありませんが、おそらく大人の方は一度くらいは耳にしたことがある「割れ窓理論」。
いわゆる、街が荒廃した状態であるほど凶悪犯罪が起きやすく、街にゴミが散乱するほどゴミのぽい捨てがされやすいというような心理をいいます。
車のパーツ泥棒に関しては実際に確か実験がされていて、人気のない山の中などに、無傷のフォルクスワーゲンと、窓の割れたフォルクスワーゲンを放置すると、どちらが車上泥にあうかというと、窓の割れたフォルクスワーゲンのほうのパーツがあっという間に盗まれるそうです。
こういう理論は、あくまでもブログ主は専門ではないので、防犯上の理論として話を聞いた気がするのですが、もっと簡単に言ってしまえば、汚れがある、壊れた状態である、ほころびがある、と一旦人が認識すると、人の機能といいますかプログラムとして「大事にしなくては」という気持ちが薄れちゃうのかなと思っているんですね。
「大事」にしなくていいから、「自分の好きにしていい」とか「さらに壊してもいい」みたいになっちゃうのではないのかなって。
こういう心理を文化財保存に置き換えてみる
文化財なんかは、古いものが多いので汚れていたり壊れているのがデフォルトだったりもするのですが、でも、壊れている状態だとみんな見向きもしないんですよね…。
特にブログ主なんかは修復している人ですので、修復前の所有者の方のなんとも言えない表情を見ている上で、修復後の「ああ、本当はこんな作品だったのね!」という喜びの表情を見ていることがしょっちゅうですので、所有者(所蔵先責任者の方)様の修復前作品への価値評価迷子状態、よくよくわかります。
かつ、作品の価値評価が迷子になっているので、「本当にこの作品を大枚はたいて修復する意味あるのかな?」とお迷いになる気持ちも理解できます。
でも、一度作品の価値評価が迷子になってしまうと、そこから「修復」までの道のりが明らかに遠のきます。で、「修復」までの道のりが遠くなるとさらに作品の損傷がひどくなっていく…と、悪循環スパイラルになってしまうんですね…。
新しい作品はそれ自体が目新しいですし、そもそも傷も汚れもないのがデフォルトですので、大事大事にされます。でも、汚れていったり、ふとしたことで、あるいは経年により壊れてしまったらどうでしょうか。
特に美術館博物館などの場合、作品の管理担当者が変わるとさらにこの作品の価値評価が迷子になってしまい、「汚れている、壊れている」ということで展示に回されることもなく、忘れ去られてしまいます(いえ、実際は忘れ去られてはいませんが、「この作品展示したいんだけどなぁ…、でも壊れているから出せないし、とはいえ高いお金を出してまで治すほどの価値がねぇ…」というジレンマが何度も繰り返されます。苦笑)。
本日のまとめ
そもそもとして医療と同様に、作品が汚れたり壊れたりしないよう(汚れや損傷の発生を緩和・遅延させる)努力をすることで、物理的に作品は勿論長く残ります。
しかし作品を実際に保護するのは人間で、その人達の気持ちを低下させないためにも作品が汚れる・壊れる、という作品の価値評価が迷子になるような事態は避けることが大事となります。
作品を実際的に修復する意味としても、作品の状態を物理的に補強したり、美観の損失の回復が目的ではあるのですが、同時にその作品の価値評価の回復のためだったりするんですね。この「価値評価の回復」というのは文字通り、作品が損傷していたことで美観的に鑑賞そのものが難しかったからなどの理由で価値評価が損失したことなどから求められるものではあるのですが、壊れている・汚れている作品に対して無意識的必然として所有者(あるいは所蔵者)が低下させている作品への評価を取り戻して頂く、という意味合いもあります。同じ作品でありながら、修復後の作品への見る目って大分変りますから(^^)。
ですので作品を汚したままにしない、壊れた状態のままにしないっていうのは、人間心理として作品を守る上で結構大事だったりしますし、だからこそではありますが、そういう人間心理としていかなる作品もおろそかに扱わないためにも、壊れた作品汚れた作品を専門家にお任せするということは非常に大事になるかなと思っています。
今回は大分身近な例えでお話してみましたので、多少はわかりよい感じでしょうか(^^;)。本日はここまで。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
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