直近の記事より、タイトル通りの内容で文章を書いてみております。
回答としては「卒業できないこともない」ということにはなることが前提です。
先の記事の続きでいいますと、現在の日本の大学の在り方のお手本は中国やアメリカからといいつつ、「輸入しているシステムは半分だけ」ということまでをお伝えしました。
本日はそのように話す理由が2つあることをお話します。
システムの違い1:授業への理解レベルが一定ラインを満たないものは、当然単位は与えられないし、留年する人間は決して少なくない(単位取得の合格ラインが日本ほど低くない)
ひとつは中国やアメリカの場合、ある一定の基準を満たない学生に対し「絶対に単位を渡さない」ですし、留年が非常に現実的なことである反面、日本にはその厳しさが存在しません。勉強しないもの、勉強しても理解が一定以上ではないものを「評価しない」というのは当たり前のことですよね?ですので、海外の大学の場合留年する可能性は少なからずありますし、また卒業できるパーセンテージ自体日本ほど高くありません。中国やアメリカとヨーロッパのシステムはまた異なるので、等しく考えるのは難しいのですが、例えばフランスの医学部の卒業できる学生の割合は6割と聞いたことがありますし、他の学部であっても割合の多少はあっても、日本の卒業できる学生の割合とは異なります。
ブログ主自身、海外の学校はヨーロッパの大学・大学院しか経験していませんし、それも1つの国の、1つの学校のみですのであらゆる学校を知るわけではありませんが、海外の大学のあるあるとして「満点がとれる試験はしない」が前提らしく(学生が満点をとれる試験しか出せない教員こそ低能みたいな扱いだと聞いたことがあります)、実際ブログ主が留学中の時代ではありますが、あらゆる試験の最高点でも8割が最高点で、平均的には8割弱が最高点であることが多かったです(なお及第点は6割以上ですので、最高点と及第点の間の差はそう大きくないのです)。ちなみになぜ各試験の最高点を知っているかといいますと、少なくともブログ主が留学中のその大学・大学院では、学内のあらゆる授業の成績が名前とともに壁に貼り出されるタイプのものだったからです。現在の日本の大学だとそれこそ「ハラスメントだ」と糾弾されたり、低い評価を受けた学生が「うつになった」と学校に来なくなりそうですね(^^;)。
そんなわけで、実際日本の場合ABC方式でも優良可方式でも、8割以上をとることは授業を理解していればそれほど難しいことではありませんが(Bあるいは良以上をとれば8割以上をとっていることになるためです)、海外ではそもそもに最高点ですら8割に満たないというのが現実ということを考えると、試験内容も非常に難しかったりします(日本の場合は殆どみませんが、海外の試験はほぼほぼ論述形式で、1コマ内で最低A4 4枚、多い時はA4 6枚程度の論述を必要とするので、そもそも論述に慣れていない日本人の学生ではでは困難の多い芸当の試験をやっています)。
こういうそもそもの「単位の取得の難しさ」「試験の難易度の高さ」というのが日本と海外との違いの一つ。
システムの違い2:大学の成績が就活に直結する(なお、ヨーロッパにはこういうシステムはなかったはずです)
そして日本とアメリカや中国の違いのもう一つは、「大学の成績がすなわち就活に直結すること」です。
ブログ主自身アメリカが中国にいたわけではなく、こういことを調べたのも2,3年前ですのでもしかしたら詳細にはシステムとして間違いがあるのかもしれませんが、アメリカ・中国の場合、わかりやすいたとえで言いますと、「有名外資関係会社を受けるには、某大学にて成績評価●●以上の人しか受けられない」とか、そういった具合です。大学の成績が将来入社する会社のステータスやお給料に直結すると思えば真剣になりますよね。
だからこそ、ここで大切になるのが「学生側からの大学あるいは教員へのアンケート」です。だって、将来に、就活に成績が関わるなら必死ですよね。平等に評価してほしいですよね。ちゃんと学びたいですよね。きちんと教えてほしいですよね。
加えて就活生を受け入れる立場からしても、「本当に正しい評価がされた学生がほしい」です。きちんと学んだ学生がほしいわけです。すると、大学あるいは教員側も「ただ単位をあげればいいや」ではなくなるわけです。嫌な言い方をすれば出荷する学生が、就活先で評価されなければならないわけで。「え、こんなことも勉強していないの?」という学生を進級させたり、卒業させられないわけです。
対して日本はどうかといいますと、正直就活と大学内での成績は大きくは関係ありません(これ、少なくともブログ主が大学教員だった頃、就活関係セミナーに参加してみた際に、そういう関係のアドバイザーさんがおっしゃっていたことですので、少なくとも当時はそれで間違いないはずです。とはいえ大学時代の成績を全く見ない、というわけでもないはずですが)。勿論SPIなどの、大学の勉強とは全く異なる試験が就活で課されたりしますが、SPIなんて学校の専門的な教育とまっっったく関係ありませんし、言ってしまえばこれ、回数を重ねればある程度高得点を採れるといわれる試験です。大学の勉強に関わらず、「就活」というものに真剣に取り組めば最低限就職はできる、という形に日本のシステム上はなっています。
すると正直大学で勉強しようとは思わないですよね。成績悪くてもよい就職先にありつける可能性がありますから。特に「大学でこれを勉強したい!」ではなく「大学を足がかりに、高卒資格よりもよい就職をする!」が目的の学生にとっては大学の勉強は邪魔以外の何物でもないと思うのです(もちろんただ勉強したくないという学生も含みますが)。
その上で地頭が比較的いい上で、要領がよかったり、人間関係が良好だったり(特に先輩などとのつながりがよかったり)、手を抜く場所がわかる学生においては別段必死で勉強せずとも最低限大学を卒業できますし、なんら大学内で成績が悪かろうと本人にとって痛手になることはそう多くはないだろうとは思います。
本日のまとめ的なもの
こう書きつつも、実際国家試験に繋がる関係の学部(医学部、薬学部、法学部など)なんかは、やはり学校の勉強が就職に繋がるわけですので、本当にその道に就きたいと思う限りは必死で勉強されるんだろうなぁと思うのです、日本でも。
でも最近の場合だとAOとか総合型だとか、勉強不要の試験が出てきた上で、「とにかく楽に大学に入れれば」ということが前提で「こういうことを学びたい」という目的がない学生の割合が増えちゃったんじゃないかなぁって思ったりもしているんですね。
実際ブログ主が大学の教員をしている頃、AO試験の当年の試験志望者割合が高い時、次年の受験希望者が減るということが常に発生していて(つまり、少しでも志望者割合が低くて、入学しやすいなら受験したいという学生が多いということ)、「是が非でもこの大学じゃなきゃ」とか「絶対この大学のこの学部がいい!」っていうやる気といいますか、「学びたい欲」というものを感じないことが多かったです。
高い壁を越えて入学した人間と、何の努力の必要もなく入学した人間の間では、前者のほうが、在学中に色々なハプニングが生じてもやる気を維持できるのではないかなぁとか、折れやすさの違いも出るのではないかなぁなどと個人的に感じたりしておりました。
今の日本の大学は、前者ではなく後者をできるだけ卒業させようと頑張っている傾向があると思うんですよ。本当に、ブログ主が日本で大学生をしていたころの大学の先生と、今の大学の先生の仕事量とか苦労って全然違うはずですから。
というわけで本日はここまで。次回に続きます。
最後まで読んで下さりありがとうございます。
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