卒論・卒研に限らず、アイディアの実現には順序がある

修復を学ぶ

タイトルが結構エラそうで、ブログ主本人も「ああ…」と思いながら書いているのですが(苦笑)、あくまでもロジックとして「確かにそうだな」と思ってもらえるかな?という話です。

この記事の元ネタは、今やもう30年ほど前、ブログ主が高校生の頃に読んだ本にあります。ちなみに、ブログ主は何度も引っ越しをしていることから、残念ながら結構早々にその元ネタの本は手元から失くしてしまいました。30年以上前に出版されている本ですので、今は中古でしか手に入れれないのかな?もし気になられる方がいらっしゃったら、ご購入いただいて読んでみてください。ロジャー・フォン・イーク著の「眠れる心を一蹴り」(新潮社)です。

amazonの上記商品の商品説明を読むとわかるのですが、内容としては「創造的アイデアを実現するには、あなたの内に潜む4人の人間を目覚めさせなければならない。その4人とは―。アイデア創出の手掛かりになる情報を捜す「探険家」、素材に手を加えて新しいものに作り変える「芸術家」、アイデアを評価する「判事」、アイデア実現のために戦う「戦士」(以上コピペ)」というが内容。

簡単に言えば、卒論に限らず何かを企画し、実現するまでに、一人の人間の中で(あるいは場合によっては企業の中でこういう役割分担をする、ということも考えられますが)こういう役割を、こういう順番でやりましょう、というお話です。

出てくるキャラクターは、「探検家」「芸術家」「判事」「戦士」ですが、順序としてもこの順で進むのが順当とされています、はなずです。なんせ30年ほどまえに読んだ本ですので(勿論場合によっては順番をかえることもあり得ます)。

そしてこのキャラクター全員が働かないと、卒論しかり、何かの企画というのは実現に至りません。

ロールプレイングゲームのキャラと同じに、各キャラが、適材適所、必要なタイミングで働く必要があります

卒論も、人気漫画も、企業さんの企画も、「情報などを得」て、「付加価値(新規性など)を付けて」、「やるべきことを判断、計画」し、「計画したことを実行する」という意味では、実施する道のりは同じです。

卒論も、人気漫画も、企業さんの企画も、「それ、パクリじゃね(新しい部分や特別な部分、個性がないんじゃない)?」っていうのはダメですし(やる意味がない)、「企画のための下調べがないのは困ります」し、なにより「実行しない」なしには何も進みませんし(締め切りがきちゃう!)、「正しい判断、正しいマネージメント」が自らを救うことは確かです。

でも、学生さんが卒論を始める際の過ちとして、あるあるなのが、「最初に判事が出てくること」そして「冒険家、芸術家、戦士が働かないこと」です。

「あーでもない、こーでもない」と「冒険家が何も情報を持ってきていない」状態かつ、「芸術家が何も新規性や付加価値をつけてない」状態で、頭でっかちに判断してしまうのが、学生さんのやりがちなこと。

これは卒論という初めてやることに対する恐怖だったり、自信のなさだったり、失敗を恐れてしまうために、どうしても判事(判断役)が出しゃばっちゃうからなんですよね(^^;)。

でも、失敗したくないなら尚のこと、テーマの方向性が決まっていようとなかろうと、なんでもいいからとにかく「冒険家」に情報を集める仕事をさせるとよいです。「最終的にこのテーマで研究をやらなかったら時間の無駄じゃん!」と判事が言いそうですが、「何もせずにうじうじしている時間のほうが無駄」です。だから本からでも、あるいは人(教員でも先輩でも同級生など)からでも、知識や情報を得てください。

とはいえ、卒論のテーマ決め段階では最大限の情報が集まっている状態ではないはずですが、その限られた情報の中で、「芸術家」にアイディアをできるだけたくさん出させてください(このアイディア出しの段階で、できれば直近の記事の「論文規定文」を作るようにしてみるとよいでしょう)。その際に、どうか「こんなアイディア、実際役に立たないよ」と判断しないでください。それは「芸術家」の後ろに控えている「判事」のやるべき仕事で、「芸術家」の仕事ではありません。ここでは「判事」ではなく、最大限「芸術家」に仕事をさせてください。あるいは、再度「探検家」の仕事に戻ることが正解である場合もあるでしょう。

卒論のテーマ決めの段階において、自信があるならアイディアは1つでよいですが、どれも自信がないとあらば、必ず複数のアイディアを出しておきましょう。1つしかアイディアがない場合、それが没になったら、また最初からやり直しになってしまい、時間の無駄だからです。荒くとも複数の案を考えておくと、確率としてどれかがひっかかる可能性もあります。ここで初めて「判事」が評価し判断する仕事をします。卒論のテーマ決定に関する初期段階であれば、「教員」と一緒に考えることになるでしょうから、「学生さんの考えていることの開示」のためにも、学生さんの「判事」が判断した1つの案を提出するのではなく、「芸術家」の生み出したアイディア全てを携えて、教員と相談することは悪いことではないと思います。

最後に「戦士」ですが、卒論のテーマを決める段階での「戦士(実行者)」の仕事は、「自分はこういうテーマがやりたい」と、「冒険者」が情報を集め「芸術家」がアイディアを出し「判事」がそのアイディアから選抜した案を、「相手(授業中ならゼミ仲間や教員)にわかるように伝えるとともに、適正なアドバイスがもらえるように相談する」ということです。

学生さんが提出したテーマに対し、教員が「ゴーサイン」を出すにせよ、「このままじゃちょっと…」と判断するにせよ、「自分の考え」が「相手(教員)」にきちんと伝えられないと、「もしいいアイディア」だとしても台無しだからです。「伝わるだろう」ではなく、「どうやったら自分の考えが伝わるのか」と努力してください。

本日のまとめとして

学生さんの卒論に限らず、お仕事をしている社会人でも誰でもそうなのですが、「一番最初に判事が出てくる」と、身動きが取れなくなるのね。「こんなこと無駄」だとか、「意味あるのか」とか、最初に「判事」が難しいことを言い始めると、誰でも萎縮するの。

だからこそ、「判事」が必要な場面になるまで最大限「冒険家」と「芸術家」を働かせてほしい。一般的な視点でいうと、「冒険家」も「芸術家」も、「どうやってご飯たべてるんだ?」と思うような世間離れした職業ですが、そういう世間から離れた自由な視点でものを見ないと「新規性」とか「面白いこと」とか「別の視点」というのはなかなか得られないと思うんですよ。

「判事」は逆にものすごい常識人的職業じゃないですか。権威もあって、発言権も高そうだし(苦笑)。でも、「常識的な判断」はできても、「面白いこと」言いそうじゃないでしょ(あくまでもイメージですが。汗)。

卒論でも、漫画の内容でも、会社の企画でも、新しさとか面白さが必要なのでね、一度そういう「判事」的リミットは絶対はずすべきなのよ。でも、「判事」が決めたことは「戦士(実行者)」が必ず実行する必要があるけどね(^^)。素敵なアイディアがあっても、実行できなきゃ「絵に描いた餅」でしかないので…。

卒論に限らずレポートでもなんでもそうなのですが、こういう4つのキャラをうまいこと使うと、課題の出来はどうであれ、とりあえず「仕上げる」というところまではできるのではないかと思います。

もしよかったら「眠れる心を一蹴り」、読んでみてくださいね。

というところで本日はここまで。最後まで読んでさり、ありがとうございます。

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