ここしばらく卒論関係のお話を記事にしております。
直近の記事にて、「文法的にこれが注意!」ということで、「主語を必ずつけましょう」というお話をしました。
本日は「論文等の文章を書く際、接続詞に注意すると、とたんに文章が読みやすくなったり、文章がかっこよくなるので、接続詞に注意して文章を書こう」というお話です。
文法で注意することが色々あるなかで、なぜ接続詞?
ブログ主の記憶の中だと、中学国語などで色々文法について勉強した記憶があります。助詞だ、形容詞だ、形容動詞だと色々やりましたよね。
そんな中で接続詞を注視するのは、人間が文章を読むときは、必ず「先を予測しながら文章を読む」という性質からです。すなわち、読みやすい文章は、「読み手に適正な予測をさせて読ませる文」であるともいえます。
なぜなら、読み手側の立場で考えますと、次にくる文章や次の展開を的確に予測できれば、内容が理解しやすくなり、読み進めるスピードも速くなるためです。皆さんも「この人の文章、読みやすいなぁ」とか「この人の文章、読みにくいなぁ」というこを経験したことがあると思います。前者の場合は早く読み進めることができ、後者の場合はなかなか読み進まないという経験、されていますよね?こういうことから、読む人に予測しやすい文章を提供できる人は、読者に伝わる文章の書き手である可能性が大きいのです。
なぜ上記のようなことが接続詞の在り方一つでいえるかといいますと、接続詞の役割は車のウィンカーと同じだからです。車の運転をする方ならご理解いただけると思うのですが、運転していると、上手な運転、困った運転をする方がいます。困った運転、というものの多くは「その運転している方の意志が伝わらない運転」であることが多いのです。
映画の中にあるような、アメリカの田舎の道のように、どこまでも交差点のないまっすぐな道で、車も全然走っていないところであれば、ただまっすぐいくだけで技術はいらないのですが、日本の県庁所在地などの市街地の場合、およそ300m毎に信号があり、交差点があり、片側二車線三車線で、自分が車線移動したり、他の車が車線変更してきたりと色々あります。こういう複雑な動きをしているのに、日々車道で事故が起こらないのは、ウィンカーで「次右折したいのですが」などと周囲にお知らせして、周りに自分の行動を予測させているからなんですね。ウィンカーは事後報告ではなく、その行動をする3秒前、あるいは30m前で実施するものですので、ウィンカーで予告せずに右左折すると違反になりますし、違反云々は置いておいてもウィンカーをしないとか、間違った方向で示してしまうとか、タイミングがおかしいと周囲を混乱に陥れてしまいます。そして最悪この混乱が車の事故を結果的に誘発させてしまうのです。
このように車の運転は「自分だけがよければどうでもいい」という独りよがりではだめで、「周囲」に「自分の意志を適正に伝える」必要があり、それができると少なくとも事故の誘発を減らすことができるということがわかります。そして車の中という、自分と他人が隔絶された状態で適正に意思疎通する手段が「ウィンカー」であることもご理解いただけるかと思います(いえ、別の車に乗っていても、不思議と後ろの車のいらだちは伝わりますけどね。エスパーでも何でもないですけど、不思議ですねー。苦笑)。
レポートや論文の文章も、書き手と読み手は時空が切り離されています。すなわち、「会話」のように「目の前」で「リアルタイム」で確認することができません。ですので、車の運転のように、適性に読み手を方向指示して導く必要があるのです。
この「読み手を適正な方向に導く」ための道具、すなわち「車にとってのウィンカー」が文章においては「接続詞」であり、これが適正に効果を発揮すると、書き手は読み手に文章の行く先をさりげなく教えてあげることができるのです。このあくまでも「さりげなく」が文章をかっこよく見せてくれたりもするんですね(^^)。
一方、接続詞がほしい場面であるにも関わらず、接続詞が使われていないと、文章の行く先を予測する手がかりがありません。車でいう、周囲によいタイミングで意思表示せず、わがまま自分勝手な運転をしている状態と同じ、ということです。「わがまま自分勝手」って幼稚で大人の行動ではないですよね。文章においても同じで「わがまま自分勝手」な文というのは子供っぽく、自分の言いたいことが相手に伝わりにくくなります。
また車の例に戻るのですが、「前の車、左に曲がるウィンカーだしてるな」と認識していたのに、右に曲がるという行動をされると、周囲はびっくりするんですね。「意志表示と行動がちくはぐだよ!」って。こういう行動をしても車道で事故が起こらなかったという結果があったとしたら、決して「意志表示間違い」をしたその人の技量のおかげではなく、周囲が事故にならない注意を払ったおかげです。
このウィンカー間違いと同様に接続詞の使い方が誤っていた場合も、読む人の理解は妨げられます。頭が混乱しながら「この人の言いたいことはきっとこうなんだろう」と読み手が修正しながら読み進めるか、場合によっては誤読してしまう人もいるでしょう。このように読み手に苦労をさせる文章は、読み手に失礼です。徳川埋蔵金の隠し場所を伝える文章であれば、「わかりにくい文章」でも是非読みたい!と読み手ががんばりますが、一般的にあらゆる文章は書き手が読み手に伝わるように書くべきものです。だって、「この作者の文章、読みにくい。全く伝わらない」とつまらなく思ったり、義務がない本であれば読むのをやめたこと、経験あるでしょう?読んでほしければ、読める文章を書くべきなのです。
また、どんなに内容がすばらしくても(どんなにすばらしい研究や調査をしても)、読む人に正しくその内容が伝わらなければ意味がありません。特に接続詞は文脈を作り上げるうえで重要な役割を担っています。だからこそ「たかが接続詞」という意識が「されど接続詞」という意識へと変化したとき、その人の文章力は飛躍的に伸びていくでしょう。
接続詞を理解し、使いこなすには?
接続詞を使いこなすためのステップは以下の3ステップになるかと考えます。すなわち:
ステップ1:様々な接続詞の意味を知る
ステップ2:実例を読んでそれぞれの接続詞の使い方を知る
ステップ3:実際に接続詞を使って書く
以上です。
本屋さんにいけば、「接続詞」関連の本は販売されています(接続詞は「主語の助詞」のようにここでまとめられないほど多いので、ここでは説明しません)。上記のステップ1とステップ2が一気に解消されるような本も、普通に販売されています。ですので、本屋さんに行って実際にそういう本を購入することをお勧めします。
また、こういう本は小説のように「読んで覚える」ではなく、実際文章を書く時に机の上に一緒に置いて、「あれ?ここはどんな接続詞をおいたらいいの?」という時に、常にその本を開く、という形にするという形で使います。そういう意味で、実際に文章を書いて「接続詞を使う」という経験を増やさないと、ただ本を買ったからと勉強にはならないことはご注意ください。
ちなみにブログ主が実際に内容を読んでわかりやすいなと思った本は以下。
ちなみにこれだけ「接続詞を使え」と言っていると、逆に接続詞の乱用が発生しがちであることもご注意ください。接続詞はただやみくもに使えばいいというものではありません。あまりに接続詞が多いことで逆に「くどい!」ということもあります。ですので、「くどさが消える(ただし読む人の理解度は落ちない)」ようであれば、接続詞の使用を抑える決断も必要です。
「自分の文章は接続詞多用で、逆にくどいのか?」とお悩みの際、接続詞を使うことで以下のような効果を選られる場合は、接続詞を削る必要性はありません。
◆論理が明確になる
◆内容の理解が進む
◆文章にリズムがでる
◆ニュアンスが伝わる
ここまで読んで「自分の文章は相手に伝わっているのか?」と不安になった方もいらっしゃるかと思います。大丈夫です。最初から文章を書くのがうまい人はいません。誰しも練習して、失敗して、改善して、ブラッシュアップして、少しずつ段階を踏んでわかりやすい文章を書いているのです。
ですので、とりあえず論文の文章は早めに書くようにしましょう。で、自信がないなら文章を書いた都度(論文の締め切りに限らず、1ページかいたらその都度でも)教員などに見せてもよいと思います。自分以外に読んでもらうと、客観的に「読みにくい」「読みやすい」は明確になりますから。
できることなら、論文で「接続詞」を意識するのではなく、レポートを提出する毎に接続詞を意識するくせをつけると尚よいですね(^^)。
本日のまとめ
とにかく文章は実際に自分で書いて、経験するしかありません。とはいえ、書き手は「自分はわかっている」という状態で書いているので、「相手もわかるよね」とついつい思っちゃうんでしょね(汗)。でも、書く時の心得は「相手もわかるかな?」と疑問形であることが大事だと思います。
でも慣れていないと(あるいは楽観的な傾向のある人の場合は特に)、この「相手はどうだ?」という部分が抜けてしまうので、文章に自信がない方は他人、家族でも友達でも教員でもいいですけど、誰か自分以外の他人、できることなら「自分が学んでいる専門を知らない人」に文章を読んでもらうとよいです。
理由は書き手より専門について詳しい人が読む場合、「書き手の未熟さ」を「読み手が技術」で補って「読めてしまう」から、「書き手が未熟」でも読めてしまう。そうではなく、「書き手の実力」そのままを知るには、専門外の読み手が書き手の文章の文意の7,8割読み取れていればよいです(専門外ですので、「専門知識がないと正確性に欠ける部分」があるため、100%理解できなくても大丈夫という意味です)。
あるいはあくまでも自分の所属学科の先生の授業に限りますが、レポートなどを提出し、成績が出たあと(特にレポートのみで成績を付けるような授業の場合)、個人的にレポートの批評を教員に聞いてみて、改善を試みるのはどうでしょうか。学科内の規約や先生の性質にもよりますが、レポートの改善点の解説くらいはしてくれると思います。
このように、「文章を書く → 改善点を確認する →自分で改善点を注意して改めて文章を書く」、この繰り返ししか文章をよくする方法はないので、できる限り1年生段階から助詞と接続詞を特に注視してほしいなぁと思います。頑張って。
というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さりありがとうございます。
コメント