【雑記中の雑記】推薦状を書く方の気持ち

雑記

この記事はタイトルどおり、雑記中の雑記です(汗)。ブログ主自身、何度か推薦状を書いていただいていたり、逆に短い期間ではありますが、推薦状を書いていました。この「立場が変わる」ということで見えたものもあった反面、思い返せば「推薦状を!」とお願いした方のありかたというのは様々であった(複数の方に過去に書いてもらっているため)と思い返すことから、「教員はじめ、上の立場の人、全ての人が同じに思っているわけじゃないよ!」ということや、それでもいろんなことに気を付けると、気分良く推薦状を書いてもらえるよ!ということをお伝えするだけなので、「雑記中の雑記」です(苦笑)。

推薦状ってどういう時に必要かといいますと、例えばある種の奨学金および奨励金など金銭関係の申請をする時(これは学校内外に限らず海外留学時などに色々調べると出てきます)、あるいは研修や仕事でなど専門機関への申請時に必要とすることが一番多いでしょうか。

では、ということでお伺いしてみるのですが、皆さん、もし誰かをどこか非常に高名な場所に推薦するとしたら、どういう方を推薦しますか?

有能であることが一つ(その場所で足を引っ張らず、活躍できる人であること、ですね)。

人柄がよいことが一つ(周囲とうまくやっていけることが確信できる。問題行動を起こす可能性のある人を推薦し、実際に現地で問題を起こした場合、その当人だけでなく推薦者の顔にも泥を塗ることになる)。

その人の経歴が分かっていることが一つ(全く「どなた?」という方を推薦する人はいません。その人を知らずして「どう推薦しろ」というのか、ということです)。

最後に上記の3つが分かるほどに、交流があることが一つです。

かつてブログ主が修了して2年弱ほどたった頃、学生時代の担当教員に推薦状を書いてもらおうとしたのですが(ちなみにその場合は結構特殊な例で「こういう地位・立場の人の推薦状以外はダメ」という限定条件が付いていて、その先生以外の推薦状は難しかったのです…)、「修了後、年賀状以外特に連絡もなく、おまえが何をしていたのかも知らんのに、推薦状なんか書けるかっ!!」とお説教を受けました(苦笑)。…ええ、その時は推薦状、書いてもらえなかったですよ(^^;)。

また、当時のネット上の相談コーナーで、「大学教授に推薦状を書いてもらおうとしたら、【自分でなんて書いてほしいのか、書いてこい】と言われました。これって普通ですか」みたいのがありまして。私も実は上記の教授に同じこと、言われたなぁとも思いました(苦笑)。

多分、現代でこれ言っちゃうとアウトだよなぁと思うのですが、逆の立場になると「どうしてだろう」ってわかるんですよ。それだけその人と教授の間に交流がなかったってこと。「この人はこういうところが良さなんだよ、だから推せるんだ」って書けるほど、教授がその人を知らなくて困っているってわかるんです。

実際私と上記教授の関係ははずかしながらよくなくて。というか、私は別段何も思っていなかったのですが、私の一挙手一投足を教授が本当に嫌っていて(笑)。私が話すのも嫌っていたので、そもそもこちらから話しようがない上、教授側から話してくることもなく(苦笑)。そうすると交流なんてゼロですし(口を開く時は説教と、今はやっちゃダメですが人格否定もされましたね~。笑)、教授側からすると「推薦できる人間ではない」という印象なんですよね。だって、好きじゃない人、推薦するわけないじゃないですか。

ただね。ブログ主は「推薦状がほしいなら、教員に媚びを売れ、好かれるようになれ」とは思っていません。実際、最終的にブログ主は上記教授から別の機会に推薦状をもらっています。そして別段その時に「教授から好かれている私」になったわけでもありません。もっといえば推薦状をお願いしたころから20年近く経つ今ですら、、決して関係性が良好とは言いません。ただ、少なくともブログ主側は平和ではあります。

別の機会に推薦状を頂くことになるまでの間、自分の仕事のことや学んでいること、経験したことなど、いろんなことを手紙で伝えました(ていうか、レポートばりにA4用紙に最高で10枚程度びっしりでしたが)。相手からの返事はないままでしたが、「好いてくれる必要はないが、信用さえしてくれたら」と思っていました。結果として推薦状を頂いている反面、「信用された」のかと考えれば「どうかなぁ」の現状ではありますが。

なぜこういうことを書いているかといいますと、ブログ主も過去に2回ほど推薦状を書いています。一人は奨学金関係、もう一人は卒業後に研修申請のために、ということでメールが来ました。

奨学金関係の学生の場合は、学生が私を嫌っていました(苦笑)。ですので、奨学金の推薦状に関し、学生が私に頭を下げるということはありませんでした。びっくりですよね。学生本人が「推薦状、書いて下さい」って言わないんですよ。じゃ、誰が私に推薦状を、といってきたかというと、大学事務局です。「先生の推薦状がないと~」というメールがやってきまして。「なぜ本人が言ってこないのか?」という疑問を事務局にぶつけつつ、「でも締め切りが~」ということでこっちが折れましたが…。これは話がおかしいですよね。

ええ。結果としまして無事奨学金は降りたそうですが、お礼もありませんでした。こういう人に対して、一人の人間として、当たり前に推薦状を書いてあげようって気持ちにはなれません。人を嫌うのは自由ですが、自分のために誰かがなんらかの労力を強いられるのであれば、それに対し「お願い」と「お礼」はして然るべきではないでしょうか?「教員だから学生に傅くべき」っていうのは「逆ハラ」でしかありません。私が教員していたころは「逆ハラ」はそれほどでしたけど、もう少ししたら、「学生自身の態度が教員へのハラスメントである」っていうのも、出てくるんじゃないかな?閑話休題。そういう「人を利用するだけの人」が、今後もしまた「何か助けて」って言ってきても、助ける気は保たれません。さらに言えば人の口には戸は立てられません。教員同士で事実は共有されますし、また教員の学外の専門家の知人などにも知られることになるので、いいことはないんじゃないかな。専門によっては就活先の人が「そちらの学生が応募しているけど、どういう子…?」と担当教員に聞いてくることもゼロではないですからね。

また、研修申請の子は、卒業後2年間連絡なしで、いきなり「推薦状を書け」と連絡がきました。「名前を書くだけでいいから」と。この子とは短い付き合いだった上、非常にクールな関係だったので、正直在学時に「よく理解している」というところまで至った子ではありませんでした。そういう子だから個人的キャラクターなのか、あるいはブログ主を好かんから最小限の情報しか連絡したくないのか、「推薦状を書くね」とあっさり返事をするには頂いたメールも「これで?」というものでした。

多分、両者とも「今時の子」なんだと思います。だから、目上の人をそもそも「先生」と思っているのかも怪しかったですし(それはブログ主が頼りなかったからかもですが。汗)、「人」として見るというよりも「利用価値」として見ているようにも見えました。

ただ、正直に言いますとこれはこの子たちがいけないからとも言えないとも思っています。

私の先達の中には、「利用される」ということを嫌ってそもそも下の立場の人間と関わらないという方もいましたし、先のブログ主を嫌っていた担当教員も、おそらく「利用だけしやがって」という気分を味わっていたのだと考えるのです。下の立場からすれば「助けて当然だろ!教員なんだから!」と権利をかざしちゃうわけなんですけど、上の立場からすると「礼も尽くさない人間に、どうして時間と労力を搾取されて、そしてそれが当たり前と思われるのだろう…」と悲しくなるんですよね。教員って、人を助けたい、教えたいって人がやっていることが多いですが、「礼のない人」「嫌悪感のある人」にまで無条件にそれが発動されるかっていうと、教員も人間であって仏でも聖人でもないので、虐げてくる相手にも助力を…とは思えないですよ、当然。でもそこを「先生なのに…」となるので、上の立場の宿命みたいなものなんじゃないかと思います…。わかっているんです。でも、だからこそ頼む立場の人間に対しては「嫌いなままでいいけど、だからこそ最低限相手がやりやすいように、気を遣ってもいいのでは?最低限の礼儀を払うべきでは?」と思うわけです。ただ、これは推薦状を書く立場にならないとなかなか推察できないかもですが…。

推薦状、書く方も書いてもらうほうも、気持ちよくそのやりとりがなされてほしく思います。私自身、過去に書いてくださった諸先生方に感謝と謝罪を今も思います。

というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さりありがとうございます。

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