2つ前の記事より、美術や絵画の発展の歴史について、ごくごく簡略的なお話ですが、書いております。直近の記事では全体的なお話としての概要と、ギリシャ美術の概要的なものをお話しました。
今回もギリシャ美術に関する続きとなります。
なお、このシリーズ上ではごくごく簡略的なお話のみを書いていきます。あくまでもこういう記事を読むことで、当時の美術作品および西洋美術史などに興味を持ってただけたら…という記事であって、詳細な内容ではありません。
ですので詳細な美術史などを学びたいなどの場合は、いろんな文献などがでておりますので、是非そちらをご参照くださいませ(ぺこり)。
ギリシャ美術における絵画:クラシック期
さて、ここまでは主に彫刻に関してお話してきましたが、勿論ギリシャ美術にも「絵画」という形はありました。
ギリシャ人は主に木の板に絵を描いていたようですが、木材は破壊や腐敗がしやすいためその作品は殆ど残っていません。とはいえ、さまざまな叙述などから、紀元前5世紀中ごろからギリシャ絵画の空間表現は各段の進歩を遂げたことがうかがい知れます。
例えば、アガタルコスという画家が、紀元前460年ごろ、アイスキュロスの悲劇の上演に際し、遠近法を用いた舞台背景画を描き、これを基に遠近法に関する理論書がつくられました。さらにアポロドロス(前400年ごろに活躍)という画家は、光の部分にハイライトを入れ、影の部分に斜線を入れることで、物体の明暗を表現しました。
その上で、アペレスという画家は、絵画の色調を統一するために画面全体にニスを塗り、作品を観る者を絵画空間の中に誘うように、画面に後ろ向きの人物を登場させたといわれています。
ギリシャ美術:ヘレニズム期
さらに、アレクサンドロス大王によるアジア遠征後の300年を、ヘレニズム時代と呼びますが、この間ギリシャ文化は各地に浸透していく反面、いくつもの王国や都市国家が生まれ、ポリス全盛期のような理想的政治形態や信仰は崩壊していきました。
つまりそれまではポリスと呼ばれる市民国家であったのが、専制君主的な王政に移行したいったのです。
つまり、世界の拡大と価値観の多様性の間で、個人のよりどころが揺らぎ始めた時期に当たります。
これによって、クラシック期においては、美術というのは市民全体の意志や信仰心に根差した想像行為であったのに対し、ヘレニズム期においえは個々の王侯貴族、あるいは個人のためのものとなり、それぞれの目的に従ってフレキシブルな展開を見せるという、多様性の時代に向かっていきます。
また、それまでのギリシャ美術の基本構造であり続けた「調和」と「中庸」に代わって、あらゆる面で「極端化」や「徹底化」が進んでいき、動きや感情表現の激しい、柔軟性とダイナミズムをもつ表現が行われていきます。
本日のまとめ的なもの
ギリシャ美術というとやはり彫刻、という印象がありますので絵画に関しては殆ど記載がなくて申し訳ないです。
実際美術大学を目指す場合などに必須となる石膏デッサンを経験した方なんかが、「ああ、知っている」と思うような彫刻が作られているのもこの時代。
「理想的な肉体」を目指した彫刻だけあって、こんな平成や令和の世の中になっても素晴らしい肉体美が表現されていることがわかります。
我々現代人はなんとなく、「今」の技術(なり素材なり)が最良と思いがちではありますが、こういう美術に関してはどうしても「古典に勝てない」という部分を感じます。彫刻に限らず絵画においてもですが、石膏像のようなコピーではなく、オリジナルと相対すると本当に「うわっ」と思うものです。
ブログ主自身、初めての海外旅行は「古美術研修」という大学の授業の一環でイタリアに行ったのが最初でしたが、頭を殴られるような衝撃を受けましたね…、絵画からは勿論、彫刻からも。なんども写真や映像で見たり、あるいは石膏像で見た作品であるにも関わらず、実物による圧倒というのは本当にすごいな…と。
よく「私は美術なんてわからないから…」という方がいますが、正直正確に「美術がわかる」なんて人、いないと思うのです。最終的には味覚や聴覚と同じで感覚ですから。ラーメン食べるのに「わからないから食べない」ではなくて、みそ、とんこつ、塩、しょうゆ…と好きな味があると思うんです。それだけの問題で。
だた、圧倒的に美術作品に触れている回数が少ないか、あるいはたまたま出会った作品に限って琴線に触れる作品ではなかったんだろうなぁと思ったりします。
あるいはあまりに進歩的すぎるものだとついていけない、ということはしばしばありますので、そういう方は基本的な作品、つまり美術を学ぶものが必ず目にするこういうギリシャ彫刻みたいなところから作品を味わってみる、というのも面白いかもしれません。
というわけで本日は短めですがここまで。最後まで読んで下さりありがとうございます。
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