このシリーズ最初の記事より、美術や絵画の発展の歴史について、ごくごく簡略的なお話ですが、書いております。また、美術史の順番どおりとしてまずギリシャ美術に関してや(ギリシャ美術続き①、ギリシャ美術続き②)、ローマ美術(ローマ美術①、ローマ美術②)、ロマネスクとゴシックおよび北方ルネサンス、ルネサンス、マニエリスムに関してすでに記載しております。
本日はすでにバロック美術に関して。
なお、このシリーズの記事で常に同じに書いておりますが、当ブログでは美術史に関しごくごく簡略的なお話のみを書いていきます。あくまでもこういう記事を読むことで、当時の美術作品および西洋美術史などに興味を持ってただけたら嬉しいな、という記事であって直接研究やお勉強に役立つものではないとお考えください。
ですので詳細な美術史などを学びたいなどの場合は、いろんな文献などがでておりますので、是非そちらをご参照くださいませ(ぺこり)。
バロック美術とは:バロックの背景としての宗教
先のマニエリスムの後に出てくるのがバロック美術です。
その背景には宗教的な動きがあるのですが、マニエリスムの記事で説明したことの繰り返しとなりますが、簡略的に説明を。
4世紀ごろからヨーロッパ世界にキリスト教が少しずつ定着していきますが、印刷技術がでてくる以前までは羊皮紙に手書きで写本を作ってるものですから、宗教関係の本(聖書含む)であっても本というのは非常に高価でした。
また、聖書は日常言語とは異なるラテン語(現代日本でいうなれば古語や漢文で読んでいる感じでしょうか)で書かれていたので、ごく本があったとてごく少数の教養のある人しか読むことができなかったのです。それがたとえ聖職者でも、下位聖職者は手にとることも叶わなかった…。
ですので、中世ヨーロッパなどにおいては聖書は読むものではなく、「教会で聞く」ものだったのです。
それが1445年のグーテンベルクによる活版印刷(および紙の伝播)によって、聖書が「印刷」されて多くの僧侶が聖書を手にすることができるようになりました。
しかしこれによって下位聖職者も、高位聖職者が聖書の内容を捻じ曲げて口語で話す内容ではなく、正しく聖書の内容を知ることとなったのです。
このことにより、教会が聖書の内容を独占かつ、堕落した解釈を行っていたことが発覚しました。
これにより1517年のドイツのマルティン・ルターによる「95箇条の論題」に端を発し、トリエント公会議(トリエント宗教会議、1545~1563)などが開かれ、教会内部における一掃を図るなど、対抗宗教改革、すなわちプロテスタント勢力が拡大していくこととなります(それまでは西ローマにおいてはキリスト教の派閥はカトリック主体だったので、そこから「カトリックへの対向者」としてプロテスタントが派生)。
そうするとプロテスタントはいきなりそういう人間が降ってわいたものではなくて、もともとカトリックだった人が宗旨替えしている状態です。簡単にいえばもともとカトリック信者が100人いたところ、30人でもプロテスタントに移行すれば、30%信者が減ったことになります。
これは宗教関係者からすると困るのです。なぜなら宗教関係者は信者からの寄進で成り立っているから。たとえば毎年500円のお守りを100人の人が買ってくれていたのに、それが70人に減ったら損害じゃないですか。こういうお話、すでになんだか聞いた話ですね。そうです。過去記事で過去の時代でも説明をしました。
宗教で「清貧」というのはなかなかなくて(信者が清貧であることはあるでしょうが)。実際日本を含む東洋でも、西洋でも、宗教関係の建物って豪奢じゃないですか。あるいはですが、非常にぼろぼろの宗教関係の建物を見て「ありがたい」と思っていっぱい人がくるかというと、そうじゃないです。実際日本国内で神社めぐりが流行っているとはいえ、人気なのは有名で豪奢な神社じゃないかしら。不思議なもので、ブログ主も神社参拝とか好きなのですが、有名神社が小さめだと「えっ?!」となるんですよね。ご利益本当にあるのかな?とか(失礼ではありますが)。ですので、人間の本能として(?)、宗教関係ってお金が集まるところのほうが信用を得やすいのだろうか…とか思っちゃったりするんですよね(苦笑)。
閑話休題、こういうプロテスタント勢力に対し、カトリック陣営でも信者が流れないように、あるいは信者を増やせるようにさまざまな対抗運動の展開がなされました。
このような対抗宗教改革運動の重要な手段として、美術が積極的に利用されていきます。
すなわち、絵画や彫刻によって、字の読めない一般大衆にも直接訴えかけようとしたのです。これも、過去にすでにやっていることの焼き直しみたいですが(苦笑)。歴史は繰り返すのでしょうかね(^^;)。
本日のまとめ的なもの
バロック美術なんかは色々有名画家さんがいるので知っている方も多いのではないでしょうか。
また、ブログ主なんかは全く熱心ではない仏教徒で、聖書をまじめに読んだことはありませんが(一応大学で宗教関係の授業はとりましたが)、それでもバロックあたりの宗教絵画を見るとすごく心惹かれるものがあったり、こういう説法がしたいのであろう…みたいなことが別段言葉がなくとも伝わるんですよね。
そう思うと当時の画家さんたちは、発注者のオーダーにきちんと応えつつ(しかも大画面!)、宗教がという限られた枠の中で自分の色を出しながら…ということでものすごい有能な方ばかりなんだなとお気づきになると思います。
実際絵を描かれる方だとお分かりになるかと思うのですが、小さめの画面に描く場合というのは絵の密度を濃密にさせることが可能なのですが、画面が大画面になるほどに画面の締まりが失われるといいますか、「この絵を大きく描く意味は?」という作品になることがしばしばあります(これはブログ主自身、油絵を描いていた経験を以てしての感覚ですが)。
それが「そうだよね!こういう作品を描くには、この大きさだよね!」というのが本当にバロックの場合納得ができるような印象が個人的にしています。
画集とかだとどれも「本」の大きさより小さくなっちゃうので、わかりにくいですけどね(汗)。
というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さりありがとうございます。
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