このシリーズ最初の記事より、美術や絵画の発展の歴史について、ごくごく簡略的なお話ですが、書いております。また、美術史の順番どおりとしてまずギリシャ美術に関してや(ギリシャ美術続き①、ギリシャ美術続き②)、ローマ美術(ローマ美術①、ローマ美術②)、ロマネスクとゴシックおよび北方ルネサンス、ルネサンス、マニエリスムに関してすでに記載しております。
本日はすでに直近の記事でバロック美術の触り的なものをやっていますが、その続きでバロック美術に関して。
なお、このシリーズの記事で常に同じに書いておりますが、当ブログでは美術史に関しごくごく簡略的なお話のみを書いていきます。あくまでもこういう記事を読むことで、当時の美術作品および西洋美術史などに興味を持ってただけたら嬉しいな、という記事であって直接研究やお勉強に役立つものではないとお考えください。
ですので詳細な美術史などを学びたいなどの場合は、いろんな文献などがでておりますので、是非そちらをご参照くださいませ(ぺこり)。
バロック美術とは
先の記事にて、時代背景として、かトリック教会は非常に困った状態にあって、信者離れを防ぐなどの信者獲得の必要に駆られていたというのが前提です。
反面昔のヨーロッパというのは文字が読めないという人が結構多かったんですね(現代でもそうですが日本の識字率の高さというのは高いほうなんじゃないかな)。
ですので、「本」というものが以前よりはいろんな人の手に入るようになったからとて、「本を読め」「自分で聖書読め」で済む話ではなかったのです。
こういった状態で信者離れを防ぎ、信者を獲得していくには、文字に頼らない美術の力を使おうとしたわけです。
さらにその美術の表現として、主題はカトリックの教えにのっとる必要がある上、難しい理屈なしに感動を誘うものである必要がありました。
特に美術において注目すべきことは、感覚的、享楽的なものを否定し、それゆえに聖像をも拒否した禁欲的なプロテスタンティスムとは逆に、教会が美術作品のもつ教化作用を認めて、それをおおいに奨励したことにあります。
さらに表現は人目をひく派手で華やかなものが望ましいとされた反面、裸体表現は許可しないという厳しい制約がありました。
バロックの教会堂が豪華な天井画や祭壇画で飾られたのは、このようなイメージ戦略の結果とされます。いわば、バロック美術というのは、教皇庁によって劇的に演出されたローマから発展した美術であるともいうことができます。
トリエント公会議以後、その精神に基づいて求められ、製作された数多くの宗教美術作品の重要な特色として、ルドルフ・ウィットカウワーは第一に「明快さ、単純さ、わかりやすさ」、第二に、「写実表現」、第三に「情動への訴え」の3つを指摘しています。いずれも多くの一般大衆の共感を得るための必須条件であって、そのまま現在のコマーシャル・アートにも当てはまると考えることができます。
もともと絵画や彫刻は、目に見える世界しか表現できません。
しかし例えばレオナルド・ダ・ヴィンチは「画家は人々の動きを観察・研究すべきだ」とその著書『絵画論』で述べています。「動き」というのはイタリア語で「moto」となりますが、これは英語のmotionに当たり、いずれも語源的には同根の言葉です。
つまり、「モーション(motion)」も「エモーション(emotion)」ももともとは同じ言葉から派生したもので、一方は「身体の動き」を、そして他方は「心の動き」を意味します。その「動き」が典型的に表れるのが身振り・表情であるからこそ、レオナルドは「動き」の研究を重視しました。これを踏まえ、激しい情念の世界の表現のため、バロック芸術が多様な身振りや表情の追及に注力したのもうなずけます。
また、身振りと表情の協調は、ドラマティックな効果を生み出します。このことから、バロック芸術は、ある種ドラマの演出家的な、演劇的性格をもつものとも考えられます。
ちなみにバロックという用語は美術だけでなく、音楽や、建築などにも、広く用いられている言葉であるのはお気づきのことでしょう。
この芸術の流れは、まず建築、絵画、彫刻などの美術の領域で登場しました。
このバロック美術の流れが17世紀から18世紀にかけてヨーロッパ全体を風靡したところから、バロック時代と規定する時代概念が生まれ、それに伴って音楽や文学など美術以外の芸術ジャンルにおいてもこの様式概念が適用されることとなりました。
実際多彩な変化と華やかな装飾性を特色とするバロック表現は、この時代のあらゆる芸術に広く浸透しています。このバロックの時代は、バロック芸術が演劇的性質を持っていたように、優れた演劇的時代でした。音楽の世界でのオペラの誕生も、バレエの隆盛も、大がかりな機械仕掛けが好まれたのも、みなこの時代です。
さらに、バロック時代において、他の西欧諸国の手本となるような豪奢な宮廷文化を作り上げたのは、ルイ14世時代のフランスでした。国王の権威をはっきりと目に見える形で示すために、豪華な装いをこらした肖像画や騎馬像彫刻などもいくつもつくられました。
こうした華々しい絵画や彫刻、あるいは宮廷におけるさまざまな面倒な儀礼は、絶対的支配者としての国王の権威を創出し、また豪奢な舞台設定による演出の仕掛けでした。芸術家や画家はその演出という重要な役割を演じていたのです。
本日のまとめ的なもの
バロック美術というのは、大画面で大げさにわかりやすくといった表現であるが故に、キリスト教を知っている人ではなくともすごく心打たれる表現だったり、感動を受ける感じがします。
ただこれはブログ主自身、西洋絵画が好きだから、という根本があるからかな、とも思わなくはないです。
西洋絵画にそれほど興味がない人からすると、逆に「大げさだ」「うそっぽい」「紛らわしい」と、昭和の時代のCMを思い出すようなネガティブな印象を受けるのかもしれません(いかなるものでも万能に愛される、というとはありませんから)。
ただね、当時の画家さんはものすごい大画面作品を、どんな速さで描いているの?!という枚数描いていたりするので(勿論これは画家さんのみで描いているのではなく、その画家さんの持つアトリエのお弟子さんや、友人先輩後輩の画家さんのお手伝いありきだったりしますが)、そういう視点で見てみても面白いかと思います。多くの作品を、同じ宗教画でありながらも、いろんな構成で描けるというのもすごいことです。
中には外交官しながら絵描きして、しかも大きさも枚数もエグい画家さんとかもいますからね。凡人のブログ主からすると、どういう時間の使いかたをしているんだ?!とびっくりですよ。
というわけで本日はここまえ。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
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