油絵の発展⑦:基底材の板から布への変遷に関する概要①

修復を学ぶ

6つ前の記事より油絵の発展のお話を書いております。また5つ前の記事には油絵と写本との関わりについて書きました。さらに4つ前の記事においては美術史における油絵と「国際ゴシック」との関わりを見てみました。加えて3つ前の記事では15世紀における2つの絵画上の勢力、フランドルとイタリアにおける相違、それに対して2つ前の記事では比較として東欧のイコンに関しての概要、そして直近の記事にてイコンの構造を簡易的にお話しました。

こういうお話を通して、面白いことに、絵画作品の層構造としては広い世界の中で大きな差がないこと。とはいえ詳細に構造を形成する素材を観れば「地域の特性が見いだせる」ことなど、同じ部分、違う部分などをなんとなく感じていただければ幸いです。

こういう同一性に関しては、西洋世界と東洋世界でも見いだすことができるのですが、時代が昔であるほどに、今のようにネットでつながっているわけでも飛行機でいける状態でもないので興味深かったりしますね。

なんでかな、という疑問はなかなか晴れないかとも思いますが、それでもこうやって興味がもてると、絵画もより面白く観察できるように思います(^^)。

というわけで本日や基底材が木材から布へと移行する話についてお話しします。

なお当ブログにて繰り返し書いておりますが、もし学生さんが読んでいたとしても、こういうブログはレポートや論文の参照文献にはなり得ないことは重々ご理解いただいて読んで下さい(ぺこり)。

基底材の板から布への変遷に関する概要

というわけで、ここからは15世紀前後からの時代背景および当時の地域的な事情を踏まえながら、油絵における基底材の主軸といえる板と布の変遷の流れを見ていきます。 

なぜこういったことについてお話しするかといいますと、基底材の板から布への変動は時代性や地域性、経済などにも関わりがあることから、作品の時代性への理解の一つの足掛かりになると考えるためです。具体的には、基底材である木材の供給問題や、布の製造技術の向上など、絵画以外の周辺状況からの影響が見られます。      

ただ、基底材の変遷に関して、といいましても、「この時代は100%板」「この時代は100%画布」というわけではありません。

あくまでも非常に乱暴なまとめ方で、まともな美術史的な話ではありませんが、「描いた人間の名前が分かる」「本の挿絵ではない」「建物と一体型ではない、イーゼルペインティング(可動型絵画)である」「作品が現存している」という状態が西洋世界で、ちらほら出てくるのは13世紀とかで。

それ以前っていうのは、「文献上作者名はあるけど作品はない」「作品(可動式=非壁画)はあるが作者名は不明」「建物が主で、絵画は添え物」「建物の付属物であることから、建物から引き離すことができない(建物と一体型)」みたいな状態でした。ですので、我々は13世紀より前の作品の作者名を殆ど知ることがなかったり、そもそも建物から引き離せる作品が少なかったり、当時を以てしても魅力のある状態の作品ではなかったりと、現地じゃないとなかなか作品を知ることができなかったりするので難しいところです。

ただ、美術史シリーズでお話ししましたとおり、ギリシャ・ローマ時代から残存する作品数は少なくとも板を絵画の基底材として使用していたように、時代が進んで行っても板というのは重要な基底材でした。

絵画よりも羊皮紙の写本への熱が上がっていた中世であっても、それでも「絵画」は存在していて、それはやっぱり板絵だったりするんですね。

現代において「油絵って何の上に描かれている?」と質問したら、おそらく多くの方が「画布」と答えそうなことを考えると不思議なことかもしれません。

同時に「なぜ可動式(壁画など建物などと一体ではない)の絵画の基底材は主に板だったのに、布に変遷したのか」を考えることは保存修復を考える上で重要なことだったりします。

さてかつての記事にて簡単にお話ししたとおり、例えば15世紀においてはフランドル絵画よりイタリア絵画のほうが、布の基底材としての一般化が100年ほど早く起こりました(なお、復習としまして、絵画材料として油彩画技術を完成させ、またそれを使いこなしていていたのはフランドルだったりします)。

中でも最も初期に布を用いたイタリアの作品群の中に、パウロ・ウッチェロの「竜と戦う聖ゲオギルス」があります。また、1480年から、イタリアの画家の作品の中に、いくつか布を基底材とした油彩画の作品が確認できます(アンドレア・マンテーニャ、ジョバンニ・ベリーニ、サンドロ・ボッティチェリ)。

これを皮切りに、1500年頃から布の使用はイタリアで普及していき、序々に木の板よりも使用度合が高くなりますが、ヴァザーリによると、全てのイタリア派の中でも、ヴェネツィア派と呼ばれる派閥が基底材として布を好み、布の使用が比較的早かったとされています。

ですので、「なぜ板より布?」ということを考える場合、布をいち早く使用し始めたヴェネツィア派の状況と、逆にずっと板を基底材として大事にしてきたフランドルの考え方を考えてみることは面白いと思うんですよ。

本日のまとめ的なもの

なかなか難しいところですが、むかしむかしに布の上に描いた作品がない、という話ではない、ということ、結構大事だと思うんですよ。

というのは、単純に「作品が残っていないだけ(あるいは発見されていないだけ)」「文献にないだけ」かもしれないので。

ただ、「残っていない作品」というのは、訳アリかもということも色々考えるのです。

勿論作品が残らない理由としては保存環境がよくなかったとか、戦争などで焼けてしまったなどもあるでしょうが、作品そのものの問題として明確にいえば「残るような素材ではできていなかった。あるいは残るような技法ではできていなかった」ということが理由の一つとして考えられます。

「技法として確立する」というのは、あくまでも「こういう技法材料で描くようになった」という話ではなく、その技法を「集団」として多くの専門家が共有し、そして作品が後世に残るほど「保存性がよい(一過性の表現ではない)」場合にそういうのではないかと個人的に考えたりしています。

そして長く使われている素材というのは、それなりに実績があったり、欠点があると同時にそれを上回る美点があるからだったりするんだろうなと考えたりします。

現代においては油絵といえば画布ですが、それでも板の上に描く人が皆無になったわけではありません(とはいえ、15世紀のような高クオリティの木材ではもはや制作できなくなっているとは思いますが)。

ですので、板や布について、色々自分で調べてみるのも面白いかと思います。

というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

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