油絵の発展⑩:基底材の板から布への変遷:なぜ板から画布へ?

修復を学ぶ

最初の記事より油絵の発展のお話を書いております。また2つ目の記事には油絵と写本との関わりについて書きました。さらに3つ目の記事においては美術史における油絵と「国際ゴシック」との関わりを見てみました。加えて4つ目の記事では15世紀における2つの絵画上の勢力、フランドルとイタリアにおける相違、それに対して5つ目の記事では比較として東欧のイコンに関しての概要、そして6つ目記事にてイコンの構造を簡易的にお話しました。

また、7つ目の記事では基底材の板から布への変遷に関する簡単な概要、8つ目の記事にてその続きである当時のヴェネツィアに関してお話をしています。加えてこういったことを踏まえたうえで、さらに別視点で、「布を基底材として考えないことってないじゃないか?」と考えてみようということで、直近の記事にて、当時のテキスタイルの在り方を見ていきました。

なお当ブログにて繰り返し書いておりますが、もし学生さんが読んでいたとしても、こういうブログはレポートや論文の参照文献にはなり得ないことは重々ご理解いただいて読んで下さい(ぺこり)。

なぜ板から画布へ?:基底材の移行

過去の記事、別シリーズなどで書きましたとおり、もともと可動式の(壁画や床に描かれた動かせないものではない)絵画の基底材は「木材・板」であることがどちらかというと基本である時代において絵画の基底材として布が中世世界で視野に入ってくる反面、フランドル地方、いわゆる北方ベルギーにおいては、15,16世紀中、基底材は板であるべしと頑なに死守し続けられました。

これはなぜなのか。

例えばファン・エイクが活躍した時代、つまり15世紀は、フランドル地方は美術作品の中心地のひとつでした。というのも、当時は主に木材を支持体としている時代で、フランドル地方というのは、①その支持体の作成、②アーティストの存在、③額の製造という異なる役割の専門が補いあいながら存在していたためです。

厳密なお約束をもつギルドの存在のお陰で、「木材の素材の質」、その「加工の質」、さらにその「加工した支持体を用いることができる職人の限定」などがされており、良質で美的にすばらしい作品や、質のよい額縁などを製造することができ、そういった製品を輸出することで国際的に成功していました。      

過去の記事でもお話ししましたとおり、現代以上の昔というのは水運というのは重要でして、北方ベルギーというのは、川もあれば海にも面しているなどで、運輸にも恵まれていました。ですので商業的に恵まれていたのと同時に、他地域の文化も入ってくるでしょう。また、同時期にイタリアで学んだフランドルの画家が「画布」という文化を持ち込んだことも知られています。こういった諸々によりフランドル地方において17世紀になると支持体がキャンバス主流になるのは避けられないことでした。   

時代背景で考えましても、17世紀はバロック様式の傾向から、プロパガンダ的に、文字が読めない市民にも解りやすいよう宗教絵画をわかりやすく描くことが求められ、作品サイズとしても大きいことが好まれたためです(バロック時代に関してはこちらの記事でも少しお話ししております)。

また、作品が大きい場合、キャンバスの作品は同じ大きさの板絵よりも比較的安全に運べることが利点のひとつでした。絵画作品というのはいかなる作品でも繊細なものですが、「壊れやすさ」みたいなことを考えると、あくまでも個々の作品の特性(画家の技法材料など)を無視して考えると、画布画よりも板絵のほうが繊細な傾向があります。

また、過去記事で書きましたとおり、現代でもよく知るような都市なんかは川や海に沿っている状態で、とくに飛行機などのない昔の運搬は主に海路や水路が非常に重要でした。陸路であると水路よりも、時間がかかるのもさながら、現代の運搬以上にリスクや運搬労力や費用がかけながら運搬することになるためです。なにより多くの品物を一気には運ぶのは水路のほうがやりやすい。

また別視点で見てみると、かつては多くの場合、作品ではなく画家自身が、異国であろうとも発注元の現地へ呼ばれて描くことが求められました。それに対し支持体が布になると、画家がアトリエから移動しなくてもよいという利点がありました。先ほどにも書いたように、板絵は画布画よりも繊細で、重くて、場所もとりがちで…ということを考えた場合、輸出入コストや輸出入によるリスクは画布画のほうが低かった、ということです。現代のように、飛行機で容易に短時間で移動できる時代ではなく、移動に時間もコストもかかる時代ですので尚更です。

さらに、板絵の重量はキャンバス画よりも非常に重く、また作品サイズが大きいほど、複数の板材を繋ぎ合わせる必要があるため、板材同士の接合部分が特に脆く、運搬中に壊れる危険性が伴います。さらに質のよい板を用いた基底材ほど重量が重くなるため、運搬や移動が困難な傾向がありました。

運搬に限らず、製作という立場においても、その基底材自体の重さと木材の湿気に対する反応性から、木の板からなる基底材は、ある程度の大きさまでしか製造・使用できず、サイズの限界がありました。

先のも書きましたが(そして過去記事でも書きましたが)17世紀バロックなどの時代ですと、大きな作品が尊ばれる中で、「大きさに限界がある」というのは当時の画家にとっては「デメリット」に映ったことでしょう。

また、単純に経済的理由として、同じ大きさの基底材を買い求める場合、木材の支持体は布の支持体に比べ、15~30倍の価格だったといわれています。木材は高価な材料だったのです。 いえ、同じクオリティの板を求めるなら現代でも高価なはずです。非常に厳選された素材を使い、それを見極めた木こりがそれを切り、さらにそれは地産地消ではなく輸入もの素材で、さらにそれをギルドの掟の中で限定された職人が適正に丸太から板材とし、その板材を限定された職人がギルドの掟に従って最良の「基底材としての板」に組むということがなされているのですから…。現代のホームセンターで販売されている板を使って描く、というのとは訳が違います。

ちなみに文筆家ヴァザーリは絵画に布を使用した始まりとその理由として、「苦労なく安価で」作品の運搬を可能にする便利さを挙げています。 こういった観点から、布は運搬が容易な軽い支持体であること。木枠から外すことができるなど、解体しやすいこと。大画面の支持体の作成を簡易化させたこと。さらに布は筆との相性がよく、美観として表現の可能性を広げるものでもありました。つまり、布の支持体の出現は、表現様式や美的効果において絵画に新しい着想を与えてくれるものでもあったのです。

※なお、現代において木枠に張った画布を、木枠から外すことは文化財保存修復の観点では決して推奨していることでも、お勧めできることではないので、木枠からはずし、さらに丸めるというのは止めてくださいね(滝汗)。

本日のまとめ的なもの

これ、大学で授業をしていた時も言っていたのですが、人間にとって「発展する」というのは多くの場合「今の生活よりも安楽で、コスパよく」みたいな感じを求めての進化、です。

同じものを買うにせよ、同じ機能、同じ目的が達せられるなら、「よほどかわいい」とか「よほど他より差別化できる」とか「よほど『おまえらとはちがうんだよ』アピールがしたい」とかじゃない限りは、「より安価」とか「より丈夫」とか「より簡単に使える」というところに走ります。特に「使う人が存命(あるいは必要とする)な期間問題がない」なら。

もっと言えば「別に100年以上後とかを考えないなら」尚更のことです。

車とかの進化は、すなわち一瞬で命に直結するので、その改良・進化はわかりやすいと同時に、より安全や安定、安心に結び付いていますが、それ以外のものが「永い期間の保証(数百年、あるいは千年単位で)」も同時に持ちながら、「安価」かつ「安全」加えて他の付加価値を持つか、ということには疑問を持ちますね。勿論車だって、同じ車を100年、1000年孫子に伝えてリアルタイムで走らせることは無理でしょうから。

あ。同じ板絵でも、15世紀の基底材と18世紀の板では、全然クオリティが違うので、同じものとは換算しないですが(時代が現代に上がるにつれ、板絵の板もクオリティは下がります。画家やアーティストが自分で丸太から製材などしていない限りは。そしてそれくらい「木材」あるいは「板」への高い見る目がない限りは)。

単純に素材の良さということを考えると15世紀とか、そこらあたりのモノの良さには叶わないと思うんですよね。これは加工技術も同じに。

あ。これは現代にそういう加工技術がない、という話ではなく、そういう求められる素材が非常に高価であること、そしてそれを求めるように加工するとすごくコスパが悪かったり、機械工業ではどうにもならず、専門の職人が必要であること。さらにこれを基底材として安定性があり、長期間壊れないものとするための加工や装飾を行うためにこれまた「機械」ではどうにもならず、専門の職人を要することなど、基底材だけでも板を適正にしようと思うと、非常に技法材料的に高価なのね…。そんなもの、木枠に布張ってるよりよっぽど高価ですし、基底材だけでありえない金額になるので購入者がいなくなります、現代では。

でも、「高いのがよい」というわけではなくて、「作品が永く残るように」と素材や加工段階から心遣いされた作品は(勿論作品制作過程においても)後世にも残る確率が高くなると思ってくれるとよいかもしれません。それだけ知識も技術もある方が、クオリティの高い素材を扱っているのですから。これは画家も同じ。徒弟制度の中で、描画においてやっていいこと、悪いことを徹底的に叩き込まれていると、「絵画のお約束」が次世代の画家にも引き継がれ、「壊れやすい絵画」を描く確率は低くなる。

現代において、「技法材料」を重視する画家さんって殆どないですからね(というのも大学で教えないですし、日本の場合は歴史的にそれを一時「教えなく」なったので、教えたくても知るものがいない…)。

強調的に言えば、壊れやすい「砂絵」を作っておきながら、これを2000年保たせたい、保つでしょう!と作品を作っているのが現代のアーティストで。地震やら運搬やらなんやらで何かがあるのもこういう作品。

クラシカルな作品は「全力で壊れないように」といろんな方向性から努力がされているわけで(だから結果として高価になる)、文化財保存修復者の頑張りがないわけではないけれど、そもそものポテンシャルが違うんだよ…とご理解いただきたいものです。

というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さりありがとうございます。

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