【ニュースから】結局のところ、「芸術」って何なんでしょうね

雑記

ここしばらく、体調が悪かったのと、同時に仕事の締め切りの関係でブログをあげることができず、反省。とはいえ、もうしばらく、ブログをなかなかあげられない状態になりそうです…(遠い目)。

さて、そんな中某美術関係者と話していたのがとあるニュース。

北関東の某防波堤に4年ほど前からバンクシー風の絵画が登場。それを観に観光客が来ていて、その市などは困惑中とのこと。

困惑の理由は、その防波堤は落書き禁止であること。

そしてあくまでも「バンクシー風の落書き(すでにバンクシーの作品であると認識されている絵画のパクリでしかない)」にすぎず、バンクシーの作品ですらないこと(バンクシーであったとしても、落書き禁止には変わらないそうですが)。

ですので、この行為は「犯罪行為」であって、いくらこれを求めて観光客が来ても、これを目玉に観光誘致などをするつもりはない、ということで困惑しているわけです。そもそもバンクシーじゃない、というのも勿論前提ね。

ちなみに参照は以下各種ニュース。外部リンクですので、自己責任でご覧ください(①防波堤に“バンクシー風”落書き急増 設置された「禁止看板」に落書きも… 茨城・高萩市 (ntv.co.jp)  ②防波堤に“バンクシー風”落書き急増 設置された「禁止看板」に落書きも… 茨城・高萩市(日テレNEWS) – Yahoo!ニュース こちらは動画がついています)

で。

某美術関係者と話していたことは、「そもそも作者がバンクシーではない、バンクシーのパクリを、観光客は何を求めてみているのかね?」ということです。

動画を見るとわかるのですが、見に来ている方は、「有難がってる」のね。

中には、「落書きじゃないですよ!バンクシーですよ!」と言っている方とかもいますが、何度もいうのですけど、その多くはバンクシーが描いた作品ではないですし、バンクシーだとして、その作品の何をよしとしているのでしょう?

バンクシーが描いたわけじゃない、バンクシー風の絵画でよいのであれば、別にわざわざ観光に来ずとも、プリントアウトした作品みてりゃいいじゃんって思ったり(^^;)。

私はバンクシーに詳しいわけでも、特に好きなわけでもない不勉強を引っ提げてあまりものを言うべきではないのですが、バンクシーの、壁に描いてある作品なんかは「その場所で描かれた」ということがまず大事なんじゃないのでしょうか(美術作品でよく言われるのが、美術館というのは作品一同を一か所で鑑賞できることがよいとされていますが、昔の作品ほど「場」が前提だったりするから…っていうのと同じ印象)。

バンクシー作品の場合、その「場」に関する政治とか社会風刺をしていることが多いという印象を個人的に持っていまして、だからこそではあるのですが、「その現場(最近だとウクライナで作品が…って話がありましたね)」で見ることに価値は感じても、それを「パクった作品」「まねた作品」、すなわち本人が描いたわけでもない、なんら思想も哲学もない「みてくれだけ似たもの(技術としてパクリやすいからできること)」の何が「芸術」で、「守るべき」で「鑑賞すべき」なんだろうと個人的に疑問なのです。

だからこそですが、このニュースに貼り付けられている動画で「見れて嬉しい」的な人や「芸術ですよ?!」と声高に言っている方が、「何を」求めているのかをすごく知りたい。特に本人が描いたわけではないパクリに対し、印刷物やTVやPCの画面で見るのと、何が違うのだろう?

私は、世界に対して自分の意見、考えをこれほどあっという間に認知させた方法論としてバンクシーのやったことってすごいなと思う。それが世界平和や人権問題に対して一石を投じるものほど、色々考える機会として素晴らしいなと思う。反面、実際の作品をみたことがないのでどうとも言えないですが、おそらく技法としてはそれほど難しいことはしていないはずで、すごく失礼前提として言いますと、普通に画塾経験がある人とか、四芸大程度(今は五芸大だっけ?)を卒業してる程度の人なら技術的にできることをしているはず。思想の表現方法が「あっ」という感じであって、技量どうこうの作品ではないのかな?と思ったりする(失礼前提ですよ。滝汗)。いわば、自己プロデュースがうまかったからこそこの勝利と、「事件は現場で起こっている」的作品だったからこそだと思うのです。そういう意味で本当に「場」が大事な作品だと個人的に感じていまして。

でも、そのパクリには何を感じたらいいのかが分からない。「バンクシー風」は「芸術」なのかな?

私自身、この記事でバンクシーをよく知らないままにディスっている気がしますが(そんなつもりはないのですが。汗)、それ以上にパクって落書きしている人も、それをありがたがっている人も、バンクシー本人への尊重も愛も尊敬もないのではないかと思うの。だって何を見ているんでしょう?見ているのは「バンクシー」という名前だけ。「無料」で「バンクシー(っぽい)」作品を見た気分になって「SNS」で「いいね!」って言われたら(あるいはご近所さんに「あらー、バンクシーの作品見たのー、いいわねー」って言われたら)「嬉しい」ってそれだけ。だから「バンクシー本人」が描いた作品であろうとなかろうと、関係ない。そんな印象。

そもそも論として公共の場所に落書きをすること自体が犯罪なので、バンクシー自身「犯罪行為」であることが前提で表舞台には出てこない。その上で、さらにバンクシー風味の絵画をバンクシーの権利を無視して肯定することは著作権法としてどうなんでしょうね?バンクシー自身が表にでないから、著作権とかで争うことは実際にはないのかもだけど、本人が何も言わないから何をしてもいいって話じゃないと思うのですが…。

なんていうか、常に歴史の中で、有名な人とかが「本当に無くなったのかな?」って疑問のある状態で亡くなると、「ほんとは生きてたよ!」って偽物が出てくるけど(例えばロシアの最後の皇帝の末娘なんかがそうでしたね)、偽物ってそういう無神経な感じがするのですが、その偽物をありがたく崇め奉るのも、そういうのに拍車をかけているように思えて。

そういう偽物が出てくる、どれが本当のバンクシー作品かわからない、ということもバンクシー本人の意図に入ってくるのかなぁとか色々考えたりもするのですが。本来、制作する立場の人からすると、自分の作品をパクられて、パクりと本物を混同されてキャーキャー言われても…って感じじゃないかな…と邪推したり。

いいじゃないか。芸術なんてどう楽しんでも!と言われたらそれまでなんですけど。じゃあ、芸術って何を指すんだろうって。

最近ベクトルは違うのですが、この「芸術って何だろう」ってことばかりを問われることが多くて。あくまでも会話で、なんらかの回答の明示を求められているわけではないのですが、結局のところ、色々な場面で色々な人が困った状態なんだろうなと思う昨今です。

大体こういう話題をするのは類友になってしまうので。類友って似た考え方をしちゃうからもしかしたらこちらのもやもやのほうが非常識なのかもねーとも思いつつ(^^;)。

難しいことなのか、考え過ぎなのか…いろいろ考えちゃうな…といったところで本日はここまで。皆さんはどう思いますか?

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