【ニュース】消防署本部に飾られていた作品、無断廃棄

雑記

永らく記事を書かないままですいません。個人的に色々ありましたので。その上で久々にウォーミングアップ的に記事を上げます旨ご了承を。

今回の記事を読み、こういうことは今後も無くならないと思う次第。(参照記事:地域の災害描いた絵画、無断で廃棄 消防本部と酒田市が本人らに謝罪:念のため同ニュースのコピペを当記事の最後に載せておきます)

自分の専門(油絵を主とする保存修復)を思うと心が痛く、複雑な気持ちになる反面こうなる事態になる理由もなんとなく想像がつき、納得できる部分もあるからです。そしてその理由はおそらく制作者側からすると非常に腹立たしく、悲しいことだと思います。

私が想像する理由はいくつかあるのですが、一番大きいものとして

・所有者(管理者)が作品の価値がわからない、大事だと思えない、愛してない  です。

私自身、油絵保存修復の道を進む前は制作者のほうになりたいと夢を見ていたので制作者側の気持ちは痛いほどわかります。大事にされないなんて、悲しいですし悔しい。そんな言葉では収まらない位に。

また保存修復家の立場でも、所有者さんたちの作品への理解不足などで非常に歯がゆい気持ちになることがほぼほぼ毎回のようにありますのでなんでこうも考えが違うのか?!と残念で落ち込むこと、毎回です。

でも、それくらい所持している立場の方の考え方は違うのです。そもそもどういう経緯で消防署本部の所有となったのでしょう?消防署が熱望して買い取ったのか、逆に制作者が是非これをと贈呈したのか。これ一つにしても考えは違います。

前者なら本来価値があったが、経年とともにその価値が失われた。後者なら、残念ながら「もともと不要だった」という話です。

こうかくと製作者側からものすごくお叱りを受けること、前提です。そして勿論保存修復の立場からもすごく嫌な話です。でも所有者の気持ちって、制作者の気持ちとも保存修復の立場とも全く違うのです。

私自身が保存修復家の立場で美術館の方の本音・愚痴を伺うこと、よくあります。言ってしまえば「不要な作品に限って寄贈したいと言われる」という話です。「無料なんだし、嬉しいでしょ?」くらいの勢いで。要らない、困るといっても持ってこられる、ということです。

作者あるいはその親戚からすると「自分にとっては大切な作品。でも自分では管理しきれない。そうだ!美術館があるじゃないか!」と思うようですが、例えて言うと自分で飼えない犬を、そうだ動物園(保護団体、動物好きの家、等々)があるじゃないかと園の前に置き去りにするイメージです。失礼ながらその行動に関する思慮は浅く、むしろ「無料で動物が手に入ってよかったね」とすら思っているイメージです。

絵画はものであって生き物じゃないと思う方がいるかもですが、結局のところ絵画や美術作品は一度美術館に入ると廃棄できない、保存しなくてはならない、ケアしなければならないということで、その保持に多大なお金がかかります。それこそ生き物と違い、半永久的にお金がかかります。だからこそ動物よりわけが悪い。(だからこそ作者のご親戚などは「自分で管理できない」となるわけです)

また美術館の保存場所の限りもありますので、美術館の意義や教育、地域還元のできる作品を厳選して選びたいところに、「無料であげるから、いいでしょう~?」というのは違うんですよ。

無料でいいというのは、逆説的に「無料でも欲しがられていない」ということです。冷たい言い方ですが。要らないものをくれても、困るんです。

その要らないもののために、土地も人もお金もかけるなんて誰だって嫌でしょう?しかも半永久的に、ですよ。「無料であげる」は嫌がらせと同じ…というのが管理する側の本音と思っていいと思うのです。

だから作者あるいは作者の親戚の方は「無料であげる」はしないことが正しいかと思います。美術館やら愛好家やらなんやらが「大金払ってもほしい!」というものは所蔵先が大事にしてくれる可能性が高いですけど無料のものは大事にはされませんから…。

皆さんだってそうでしょ?ヴィトン、グッチ、エルメス…、高いものは大事に使いますよね?そもそも「ほしいから」こそ、大金でも嬉しく支払うわけですよね?

反面ほしくないお洋服とかをもらった場合とか、いくら無料でもしばらく箪笥にいれてくれた方にわからないようにこっそり捨てたりしますよね(苦笑)。

そういう意味で「大金を払ってもほしい!」と価値のわかる方、作品を愛してくれる方のところに作者さんやそのご親戚は作品を売るべきです、作品を守りたいなら。

そうじゃなければどんなに価値があっても、有名な人の作品でも、意味がないですよ。豚に真珠みたいなものですよ。

あるいは、その扱いこそがその作品の、その画家さんの価値であると認識すべきなのかもしれません。ものすごく痛くつらいことですが。

「そんなわけはない!私(私の親戚の画家)の作品には価値がある!」とお思いなら、それこそ個人で美術館を作り、経営・管理するといいのです。作品が愛され、ファンが多大にいるなら、経営・管理するお金は来館料によって賄えます。現実(画家として、作品としての価値や愛され度合)が良くも悪くも明確になるでしょう。

あと、もしかしたら消防本部はそもそもに「絵画」というものをどういうものと認識していたのかな?どういう契約をしていたのかな?ということでもニュースの見え方は違います。

いわゆる、「購入物」の場合自転車や冷蔵庫のように「権利」は所有者のものでありその廃棄などに関し製造販売会社に連絡しないのと同じに考えていたのではないでしょうか?

消防署は美術館などとは違うので、根本として「半永久的に展示・保存する」が頭にあるわけではないからです。正直いらなくなったり、汚くなったら捨てたくもなるよねぇ…というのが非美術的圏内の、別段美術愛好家じゃない人にとっての普通の反応だろうな、と。それが契約書などの書面として書かれていれば話は違いますが。(というのも、私自身が断捨離中だったり、家仕舞いの準備をしているので尚更…)

私なんかは博物館勤務経験があったり、保存修復が専門なので「絵を購入する」→「半永久的に保存」とかを常識として思うのですが、個人がプライヴェートで美術作品を購入する際に「半永久的」を思う人ってほぼほぼいないと思うんですよね…(これは経験的に個人の絵画作品所有者と多数お会いしている経験からもそうです)。自転車や冷蔵庫や車、あるいは漫画本と同じ感覚で絵画を買っていると思うんです。そうすると、捨てるときも同じ感覚だよね…と想像するんです。(一代で壊れる、趣味が変わることもあれば、代替わりで「こんなもの」となることもある)

私自身がニュースを見る限り(作品の写真などはありませんが)修復は可能と考えられる損傷であるため、捨てる前に修復家に繋がるのは難しくとも、誰かに相談しなかったのかということや、作者あるいはそのご家族に相談しなかったのかといったことは悔しく思います。

でも同時に、そういうことを思わないほどに「絵画」に関しての認識が自転車や冷蔵庫と同じ感覚だった。ただの「モノ」だったんです。もっと言えば「壊れたら捨てて、新しいもっと気に入ったものを手に入れればいいと思っていた」。

さらに言えば、「壊れたものを直してでも」というだけの「価値認知がなかった」「愛していなかった」ということも非常に明確に伝わります。自転車や冷蔵庫や車を捨てる時と同じく捨てただけなのに「自分のモノを捨てただけでこんなに責められるのか」と、おそらくニュースになっていることに驚いているのではないかと思ったりするんです。

こういうのって学術的でも専門的でもないんですけど、「価値がある」というより「愛されている」って重要だと思うんですよ。有名とか、ある種の価値というのは場合によっては時代とももに失われることがあったりするのですが、「愛される」というのは結構時代を経ても周囲の人が変わっても結構普遍的に「愛される」ので…。

「壊れてしまった➡どうにか直らないものか?!(必死)」ではなく「壊れてしまった➡捨てよう」っていうのは、修復することも頭になく、制作者のことも頭にない、なんというか悩む一遍の隙すらない「物体」だったんだなと推察します。非常に残念ではあるけれど、消防本部にとっての「絵画」の在り方がそれであり、そしてどういう価値付であったとしても「大事にはしていなかった」、それだけなんです。

この消防署が悪いのかというと、美術専門関係以外においてはこれがおそらく常識で。「絵画や美術品は一端手に入れたら半永久的に可愛がるべし」なんて教育されたことなんぞないので、思考に全くないだけです。それを罪がない、悪くない、だって無垢なのだからと思うのか、作品を得るときに確認すべきだった、無垢とは無知の言い換えであるとなるのかはこういう日本国民全員に教育されていない時期では正直判断つきません。国民が常識として持っている知識であれば、責めるべき話ですが…(こう書きながら、専門の人間として苦く嫌な感じではあるのです。でも、それが常識の世界ではない限りは…って話です)。そうすると私たちの生活の中に、専門の人たちだけが知る専門的常識があって、それを知らないことが罪になってしまうので困っちゃう話になってしまう。そういう意味で、しようがないのだと思うのです。

そういう私は、今日本だけでも「画家」と名乗る人が何十人、何百人といる中でどういう人の作品が美術館に入れば当たり前なのだろう…とものすごく考えます。もっと言えばどういう人が「画家」なんだろうと(ちなみに存命な人、同世代の人など、知人に「画家」と呼ばれる方は複数います。こういう問いかけをすると怒られそうなので問うてみたことはありませんが。苦笑)。現代においては制作もインスタントで、その価値もインスタントで「永続」するものなどないのだから、いったいどんな作品を半永久的に残すべなのかと答えのないことを考えてしまったりします。

難しいものですよね。

ーーーーー以下ニュースのコピペーーーーーーーー

山形県酒田市街が甚大な被害を受けた酒田大火(1976年)の猛威や教訓を伝えようと描かれ、酒田地区広域行政組合消防本部庁舎に飾られていた絵画「燃える大地」が、2年前に作者に無断で廃棄されていたことがわかった。同消防本部と市は作者に謝罪し、絵の複製や写真を改めて飾ることを検討している。

油絵「燃える大地」(縦約1.3メートル、横約3.6メートル)は、同市在住の元美術教師で画家の小野寺庸介さん(89)が82年に描いた。大火では自身の教え子や同級生らも被災したといい、強風にあおられ、赤い炎に包まれてゆく酒田の街の様子が描かれていた。この絵は市に寄贈され、同消防本部庁舎に飾られていた。

だが、小野寺さんの家族によると、今年1月に親戚に絵を見せようと同消防本部に連絡すると、23年に無断で廃棄されていたことが判明した。

 同消防本部によると、老朽化した旧庁舎を17年に解体した際、絵を取り外して旧小学校庁舎に保管。新庁舎が完成し、絵画を飾るため23年に取り出したところ、変色して穴が開いた状態だったため、当時の消防長が修復はできないと判断して廃棄したという。

 安川智之副市長と斉藤政晴消防長は18日、小野寺さんと家族に面会して謝罪した。小野寺さんの意向を受け、市役所か市総合文化センターに絵の複製や写真を飾ることを検討しているという。(清水康志)

     ◇

 〈酒田大火〉 1976年10月29日午後5時40分ごろに発生。焼けた範囲は22・5ヘクタールで、1774棟が焼失。1人が死亡し、1003人が重軽傷を負った。1023世帯、3300人が焼け出された。被害額は405億円。出火原因は分かっていない。

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