絵画の保存と修復:誤解の根本

修復を学ぶ

前の記事その前の記事にて、我々の絵画保存修復関係者のお仕事というと、同業・関係者以外からはは「お絵描きするお仕事」「絵が上手な人がするお仕事」と思われがちかもというお話をしました。

そして、実際はそうではないことも。

また、実際「お絵描きするお仕事」ではないにも関わらず、絵画の保存修復に関し専門に学んだ人ではない方が、「作品を触る」ということが絶えないことにも少しだけ触れました。

こういうことはなぜ起こるのでしょうか?

あくまでもソースがある話ではありませんが、本日はそういった誤解の根本や、誤解に基づく行動がなぜ保存修復関係者以外によって行われるのかといったお話をしようと思います。

文化財や絵画の保存や修復には、「命」が関係しないから

一般的に「絵画」や「文化財」と呼ばれるものは、「物体」ですので「命」はありません。しかし、実際物体を半永久的に保たせるというのは難しいことで、それは物体に対して「延命処置」をしている状態とほぼ同じと言えるのではないでしょうか。

しかし実際のところ、「文化財」や「絵画」には生き物的な「命」はない。

根本としてこの「生き物ではない」ということに、少なからずの関係があると思う部分があります。

誰しも、たとえ小さな生き物に対してさえ、自分の軽はずみが命に係わるとわかっていたら、誰も手出ししようとはせず、専門家に任すからです。これが家族であれば、自分の愛するペットなら尚更に。

「作品に手を入れる怖さ」を知らないから

「絵画の保存修復」に関する専門家ではない人間が、気楽に作品の処置をする理由の二つ目は、わざと言葉を選ばないままに申し上げると「無知」だからです。

専門家以外が作品に手出しした結果が予測できないほどに「無知」だからです。

相手には「命」がないから、「何をしても泣きも叫びもしないから」、「だから、怖くない」というのは「怖さが理解できないほどに、無知だから」です。

絵画の保存修復などの専門家は「怖いもの知らず」ではありません。むしろ逆で。

ほんの少しの判断ミスで作品を守るどころか…ということを知っているからこそ、いきなり作品を処置することはありませんし、慎重に調査をした上で判断を下します。

なぜなら自分の判断が、処置がもし過ちであれば、「一つの作品の死」を招き、「一つの国の宝を失い」、「その国民のアイデンティティを支える礎を失う」恐怖を知っているからこそ、詳細に調査を行い、安全確認をしてから処置を実施するのです。

自分の軽率な行いの結果が分からないからこそ、簡単に人は「作品に手を入れよう」とするのです。

あくまでもわざと非常に厳しい言葉を選んでおりますが、これは結局「非専門家が気楽に作品に手を入れられるのは、作品を軽視しているに他ならないから」です。対象の作品が、「ダ・ヴィンチ」なら「ミケランジェロ」なら、果たしてこれほどに気楽に触るでしょうか?触れないですよね?

だからこそ、気楽に作品に手を入れようとするのは、その作品を愛しているわけでもなければ、大事にも、敬愛してもいないのです。「知らなかったから」「こんなはずはなかった」で済まないことですので、強い言葉を使っています。

「絵画の保存修復」=「美術のお仕事」=「非頭脳労働?」

三つ目に、絵画保存修復のお仕事をカテゴリとして分けた場合に、専門外の方がどういうお仕事だとイメージするか、ということを考えます。

多くの方は「美術的なお仕事」と思うことでしょう。それを否定はしませんが、その割合は多く見積もっても5割と言ったら?もし残りの半分は理系だと言ったら皆さんはどのように思うでしょうか?

そもそも論としてではありますが、我々のお仕事は殆ど一般の方の目に触れません。時々TVやなにかの写真で見る場合は、「一般の方にわかりやすい」「映える」画が選択されます。特にTVの場合は、TVが映像として求める画を撮るわけですので、自然な画ではない場合もゼロではないと思います(それは医療ドラマや警察ドラマのようなものでも同様でしょうが)。

ですので運よく(?)保存修復に関する映像あるいは写真などを見ることができても、一般の方が見ることができる、確認できる部分というのは、「処置をしている」作業風景、あるいはその処置結果に限られます。ドラマティックで「映え」て、わかりやすいからです。

あるあるな画だと、ワニスの除去の図か、補彩をしている図が多いでしょうね。わかりやすい画ですので。

きっとだからこそ、一般の方は処置(手作業)にのみ、絵画の保存修復のお仕事をクローズアップしがちなんですね。

でも例えばお医者さんなんかはどうでしょうか。

我々の身近だと外科医さんや歯医者さんが具体的に施術もするお医者さんですが、歯医者さんのお仕事は「削って、詰め物をする」のだけがお仕事でしょうか?

よく我々の職に関心を持つ学生さんが「僕(私)は細かい作業が得意だから」を理由に志望してきますが、不思議と医療系をその理由で目指す人はいません。

なぜでしょうか。

ここからはあくまでも書いている人の個人的見解ですのでなんらかのデータを示せるわけではなくて申し訳ありません。

その上で申し上げるに、一般的に医科歯科大に入学する段階で、歯医者さんはじめお医者さん(そもそも歯医者さんとお医者さんでは学科が違うけど)は、高水準の頭脳が必要と我々は知っています。

すごい勉強をした上でお医者さんや歯医者さんになっているからこそやっている仕事が「手作業」で繊細なお仕事でも(外科医さんなんかはそうですね)「私は手先が器用だから、私にもなれる」とは誰も思わないですし、「知的職業」「理系のお仕事」だと認識しているのではないでしょうか。

こういうお医者さんは「理系の仕事」「知的職業」という分類分けと同様に、我々のお仕事を当てはめてみるとどうなるでしょう。

「手先が器用だから」をキーワードとして大学を受けに来る方もいるので、「手先のお仕事」「職人的なお仕事」と思われているとは思います。

もっと明確にいうと、「頭脳は使わない」というイメージがあるんでしょう。

これに対してお医者さんの場合は「理系最高峰の学科」であることから、「お医者さんとはすごいものだ」と考えと同時に、器用さが求められる外科などに「手先が器用だから」と簡単には飛びつかない。

反面「美術の仕事」となると、美術の授業でなんやら小難しいことを勉強した覚えって、多分殆どないのだと思うのです(私の中学時代は、期末試験に美術、音楽もペーパー試験があったので勉強した覚えがありますが。あ、普通の公立中学ですよ)。

でも、さらに裏返すと、「同じ勉強しなさそうな美術系」でも、「制作系(純美術学科の油絵、彫刻、日本画)」より保存修復を選んでおいたほうが「就職が有利そう」っていう下心が見える気がちょっとするんです(^^;)。先の記事に書きましたとおり、最終目的が「学芸員」というのを見ていましても。

本日のまとめ:誤解の根本への、せめてものあがきに

本日はわざと結構辛辣な書き方をしておりますが、それは今までの殆どの記事で、「イメージでものを考えず、保存修復に関わる本を読んでほしい」と言っている理由として、この「誤解の根本」が根強く「イメージ」としてあると考えるためです。。

すでに半世紀以上前から「保存修復の業界は、職人的な仕事ではなく、物理化学が切り離せない」と言われており、保存修復のお仕事は「小手先の仕事(を最重要としているわけ)ではありません」。

しかしながら、専門家およびその周辺以外においては、文化財とか絵画の保存修復関係者は、「生き物の命にかかわらない(対物の)職業」+「そもそもお仕事自体をみない謎の職業」+「ほとんど勉強をした覚えのない美術系の仕事(という思いこみ)」+「美術って、責任も少ないし楽しいよね」というイメージでいっぱいで。だからこそ

「絵画の保存修復」=「器用な人がする仕事」「絵を描く仕事」「職人芸」

みたいな混沌になってしまう上、容易に「素人が作品への処置」を犯しがちと推察しております。

よくニュースに素人による最悪な手入れのなされた作品が出てきますが、あれは極端な例であって、私が耳にしただけでも「素人が平気な顔をして作品に手を入れた、入れようとしている」話は聞きます。

「素人の手入れは破壊の一歩」という言葉は耳にいれてはもらえません。

こういう事態に対して、本当に心が疲れてしまっているのが正直なところです。とはいえ、何もせずいるのも…ということで、そもそも論としての我々の仕事の基礎的な考え方を、以降から記事にさせていただけたらと思います。

大変長くなってしまいましたし、本日は本当に辛辣な言葉を選んで書いているので、最後まで読んでいただけるだけでも本当にありがたいばかりです。本日はここまで。ではでは。

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