佐藤真一展を見てきました

雑記

先日諸事情に伴って、『佐藤真一展』を見に行く機会に恵まれました。

新型ウイルスが流布してからというもの、特に大学で教鞭をとっている最中は、娯楽のために公共交通機関に乗ることをはじめ、美術館などであろうとも多くの人が集まる場所を避けておりました。現在もできうるだけ徒歩や自転車でなんとかなる場所しか出歩かないようにしています。

それでも作品修復の関係で、美術館にお邪魔して作品を見たりする機会はありますが、純然たる「楽しみ」として作品を見るのは嬉しいものですね。

今回お邪魔しました美術館は、館自体が決して大きな規模のものではないため、展覧会自体も小さめのものでした。しかし大きすぎない規模のものだと、展示を拝見するのに際し疲れない良さがあります。来館する立場としてはラッキーなことに、お客様も少なめでしたので、自分のペースでゆったりと展示を拝見することができました。

さて、皆様は展覧会によくある「パネル」はご覧になりますか?展覧会の規模が大きく、来館者が多いほどブログ主はパネルを読まない(といいますか、他の来館者さんたちの邪魔になりそうなことが不安で読めない)傾向にありますが、内容が気になる場合はそれでも頑張るという傾向にあります(^^)。

今回の『佐藤真一』展ではお客様が少なかったので、安心して読めるなと思っておりましたら、同じタイミングで入館された他のお客様が、ゆっくりとパネルを堪能されておりましたので、「邪魔にならないように作品を見てから、パネルを読もう」と順路としては少々学芸員さんの意図ではないような回り方をしつつ、楽しんでおりました。

正直私自身の不勉強から、今回展覧会に伺うまで『佐藤真一』氏を殆ど知らないまま展覧会に参りました私は、作品を観覧しながら「あの画家さんの作品に似てるな」とか「あの時代の宗教絵画に似てるな」みたいなことを思いつつ楽しんでおりました。

で、気づくとパネルの側に誰もいなくなっておりましたので、パネルを読ませていただいたところ、ブログ主の連想した画家さん方や、古典絵画が記されており、自身の察し能力に嬉しくなるとともに、「影響が素直にでる方なんだなぁ」とやわらかい気持ちになりました。

また、画題の関係で、展示室によっては三味線の音楽が流れているのが興味深いところでした。三味線と油絵?と思いそうな画題ではありますが、画家自身がシリーズとして描いていただけの魅力といいますか…、説得力のようなものを感じておりました。

絵画に限らず、映画や音楽などもそうかと思いますが、「明るいものが好き」「わかりやすいものがすき」「悲しいものがすき」など、いろいろ個人の好みがあると思います。この『佐藤真一』氏の作品は、人生とか、悲しみとか、追悼とか、そういった感情が作品の中に少なからず込められている作品であるため、そこ抜けに明るい作品ではありません。そういう意味では好き嫌いはあるかも…ですが、「人生の苦しみ」や「悲しみ」の感じられる作品から、人は「慰め」を感じるものですので、「大人」にこそ感じるもののある作品展かもしれないと個人的に思いながら拝見しました。

絵画の保存修復関係に関わっていると、ついつい作品を見ると純然な楽しみだけではなくて、損傷はないかとか、過去の修復歴はないかなどを見てしまうのですが(笑)、この方の作品は、結構古いものでも殆ど損傷がなく、感心したものです(勿論非常に目立つ損傷を持った作品もなくはないのですが)。

作品の構造と経年年数を考えると、多少の損傷は否めないはずなのになぁとは思う反面、壊れないような制作の仕方をしたのかとか、作品の所有者がだいぶ気を使って保存をしてきたのだろうかと、いろいろ考えつつ作品を拝見するのも楽しいものでした。

この『佐藤真一』展は、2022年9月25日(つまりは明日)で終了してしまうのですが、せっかくの週末ですので、お近くの方は是非ご覧いただけるとよいなぁと思いつつおります。あるいは残念ながら見ることができなかったという方は、これを機に「こういう画家がいるんだ」と興味を持っていただけたら幸いです。

「自分の知らない画家の作品は、大事な作品ではない」みたいに、私が教鞭をとっていた大学の学生さんでも思っていそうな感じがしていましたが、「自分が知らないだけ」なので(^^)。「知らないこと」が「興味なし」に繋がってしまい、「興味なし」だとそれらの作品は大切にされないので。

なので、「まず、興味を持つ」というのが、作品を大事に保存するために重要だと思っております。

本日は雑談ではありますが、最後まで読んでくださりありがとうございます。

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