直前の絵画の保存修復と「修理」は何がちがうの、という記事では、絵画(文化財)の保存修復というお仕事は「文化財のお医者さん」と呼ばれている反面、同じ物体を扱う「修理」とは考え方が違うことのご理解のために、まず「修理」という処置について考えられる考え方を書きました。
反面、医療関係者の方には恐れ多くも、文化財の保存修復においては「修理」よりも「お医者さんのお仕事」に近しい考え方があるんだよ、ということをちらっと書きました。
本日はそのお医者さんのお仕事との近しさについて書きますね。
推察される「絵画の保存修復」と「医療」との間の近しさ
まず「医療」と「文化財(絵画)の保存修復」の近しさの一つ目は、「オリジナルの重要性」。
次に、上記に付け加える感じになりますが、二つ目は、「スペアがない」ということ。これは「修理」の考え方の「反語」になります。
私たち人間に限らず、一般的に生き物にはスペアはありません。勿論、スペアっぽいものはあります。例えば義歯とか。でも、オリジナルと同様に不都合なく、とはなりませんよね。
あるいは生体の代替えというと「移植手術」がありますが、適合や需要と供給の関係から簡単にできるものではありません。少なくともサメの歯のように、「いくらでも再生できる」わけではない私たちの体は、唯一無二な存在なのです。
また、我々の体が唯一無二である上、代替えがオリジナルと同等はないことから、みっつめに「(有意ではない限り)オリジナルには手がだせない」はずです。
この場合の有意というのは、オリジナルの部分であろうともそれ自体が「命」全体への危機を与える状態になっている場合、といえるでしょう。
急性盲腸炎(散らせないやつ)とか、悪性腫瘍とかは、大切にしててもリスクが大きく、切除のほうが利がある場合があります。
先に書きましたとおり、生き物の場合、オリジナルの体が最良でオリジナルに勝るスペアがないからこそ、オリジナルの体からなんらかを切り取って、その代わりに別のものを付加するというような処置はしないはずです。
最後に四つ目。「オリジナルは大事」「スペアがない」「オリジナルの保存の重要性」から、「処置」が前提ではなく「処置を必要としない予防」を重要視していること。
おそらく老若男女問わず、通院経験や頻度の高い医療機関は歯科だと思うのですが、不思議と歯科って、大人でも怖い場所ですよね(笑)。
私は幸いにも大人になってから歯を削ることはなく、個人的には「歯医者=痛い場所」という印象は低いのですが、大人にとってはそれでも歯医者さんというのは何かを失いそうな場所だと、潜在的に思っているのかもしれません。
なぜなら、歯垢除去のような衛生的処置や検査以外の場合、歯を削る、あるいは抜く、という処置が付きまとう上、歯は再生しないからです。
だからか、歯医者さんに行くと、(私が通院しているのが予防歯科であることも相まって)予防に関する説明をよくよくされます。
言い方を変えると、「壊れたら直せばいいじゃん」では、結局健康な体は失われ、また、特に削った歯とか、取返しのつかないケガでは体は元には戻らないのだから、「可能な限り、壊さないように、予防的処置を大事に」ってことが歯医者さんだけじゃなく、健康を取り扱う場面ではものすごく重要視されています。
でも、それって、大量生産の日用品の購入時には言われないことですよね。
自転車買うときに言われませんよね。自分や他人がケガをしないよう交通安全を守ってねとは言われても。
医療も文化財保存修復も、「治療(処置)ありき」ではなく、「治療を要しない健康を保てる『予防』を大事にしている」
現代の保存修復においても、この「損傷しないように予防的保存処置」というのがもっぱら大事にされております。
文化財(絵画)だって、その一点しか存在しないもので、スペアもないですし、オリジナルに手を入れるのはこの業種上、「やってはいけないこと」。
そうなると、「壊さない!」が一番重要ファクターになるのはご理解いただけるかと思います。
我々の体が一つしかなく、ケガしても取り換えればいいから!とならないのと同じと思えば、我々の絵画(文化財)の保存修復のお仕事が修理的なものではなく、医療的なものであることは、なんとなくご理解いただけたらと思います。
というわけで次は、お仕事の工程に関しても、医療に似ているんだよというお話をしていきますね。
ここまで最後までご覧いただき、ありがとうございます。
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