先の記事では、医療の現場における実際的な処置の前に「患者さんへの理解」「問題発生の原因の理解」「先の2つを踏まえての治療方法、対処方法、予防方法」への理解のために病院ではいろんな検査をするんだろうという話を書きました。
では、絵画(文化財)の保存修復においては、「処置」に至るまではどのような流れを経過するのでしょうか?
「作品を理解する」って、どういうことを指すの?
まず第一に、医療における患者さんに当たる作品ひとつひとつに対し、どのような作品であるのかの理解に努めます。
例えば「油絵」とカテゴライズされるものであっても、実のところ制作された時代や国、時代背景や画家の個々の作風などによってその技法材料が全く異なります。
現代においては、油絵具というと皆さま画材屋で購入されると思いますが、絵具が市販される以前は画家自ら(あるいは徒弟制度における画家の弟子が)絵具を練っていましたし、また、同じ「非市販品」であろうとも、15世紀と18世紀では、絵具に使われる素材も変わってくるので、同じ絵具とはいえ、全く同じ素材からできているとは言えません。
また、同じ名称の素材であったとしても、「ギルド」が品質管理していた時代の素材と、18世紀の素材、あるいは現代の素材が同一の素材ではないことがあったり、あるいは同じ素材であってもクオリティが全く異なることがあります(この場合、多くの方が「現代」のほうがクオリティが高いを考えるでしょうが、現代は効率を優先することが多いばかりに、実は素材時代のクオリティに関しては…という部分もあります)。
また、市販品においても同様で、現代の市販品の絵具は、過去の市販の絵具から「改良」がなされているため、同じ「市販品」と言いましても、時間軸で見てみると(過去から現在)、全く同じレシピでできているわけではありませんし、同じ空間軸(同じ時代性で他社製品と比較)で見てみても、同業他社で同じレシピを共有しているわけもなく、自社で研究した商品を開発しているわけですので、全く同じレシピでできているわけではありません。
油絵具は「顔料」という粉体と「油」という乾性油でできているから油絵具なのでしょう?と言われそうですが、実際に顔料と油のみで絵具を練っても、チューブの油絵具のようにはなりません。油絵具はもともと乾燥しにくい性質があるため、画家自身や絵具製造会社は、より絵具の乾燥を早め、作業効率をよくすることを目指したのです。
そういう意味で、「顔料」と「油」以外に「何」が「どれだけ」入っているのかなんかを全ての作品において同一視することはできず、作品それぞれ、画家それぞれ、時代それぞれ、製造会社それぞれですので、単純に「油絵具」とひとくくりにすると危険です。
また同一の作者によって描かれた作品であろうとも、さらにいえば同一の画家により同一のテーマを描いたものであっても、もっといえば同一の画家によるセルフコピーであっても、決して同一の特徴や性質を持つ作品は存在しないため、個々の作品を理解することは重要なんですね(絵具を塗る順序、塗布された絵具の量、筆のストロークの力など、それらを機械のように全く同一に作品を作ることは、人間には不可能です)。
これを人間で置き換えるなら、同じ田中さんのお家に生まれた、両親すら混合するほど似通った一卵性双生児であったとしても、田中双子の長男氏と、田中双子の次男氏を同一には扱えないということです。
田中双子の次男氏が病気になったのに、田中双子の長男しか手近にいないから田中双子の長男が病院にいって診察受けて、田中双子の次男の診断を出すということが不可能であることは普通にわかりますよね。
また、生まれが同時でも、個々の人間のもつ性格や感性などまで全く同じというわけではありませんのでその後その人物や物体が経験する事象によって人やモノが受ける「ストレス」や「平穏」の度合などは異なりますし、同じ「ストレス」を受けても、その人やモノがその「ストレス」に対して耐久力を持つか否かでダメージも異なるでしょう。
何を意識して「作品理解」のための調査をしているのか
だからこそですが、単純に油絵だなぁ、キレイだなぁなんてことを我々は調査しているのではなく、素材もできるだけ細分化して観察し、加えてその素材の組み合わせとして丈夫かどうかや、なぜそれを使っているのかとか、その素材が作品上に顕在化している問題に関わりがあるのかなどを考えるわけです。
また、年齢としてお年寄りなのか、若いのか。
サイズや重量としてどのようなものなのか。
時代背景的に素材のクオリティがどうなのか。
画家の傾向として使いがちな技法材料は何なのか。
どのような「美的価値」「歴史的価値」を持つのか。
歴史上、何に影響を受けて作られた作品なのか、
あるいは歴史上、何に影響を与えた作品なのか。
上記はあくまでも例のいくつかにすぎませんが、すなわち
- 作品を物理的に理解する
- 作品の歴史背景含め略歴を理解する
- 作品の美的価値を理解する
- 作品の歴史的価値を理解する
- 画家の制作意図を理解する
(すなわちどこまでが画家のオリジナルであるか、意図であるかを明らかにする)
- いままでどのような場所・環境にどのように保存されていたのか理解する
- 処置後の作品の保存環境・処遇を理解する
最低限でもこういったことを理解するのが患者さんである「作品」を理解する、ということになります。
例えばですが、空間主義の画家にルーチョ(ルチオ)・フォンタナという著名なアーティストがいらっしゃいます。
この方の作品は、おそらく画家の名を検索すればすぐに見つかるでしょうが、「切り裂かれた画布」からなる作品がいくつもでてくることでしょう。一般的に我々絵画の保存修復の立場から見れば、画布の破れは「作品の損傷」です。
でもそこに「画家の意図」「画家の表現」「オリジナリティ」がある場合はどうでしょうか?
また、もしこの「表現としての画布の破れ」に付随して別途損傷が発生した場合はどうでしょうか?
おそらく「どこまでをオリジナル」とし、「どこからを損傷」とするかなどを明確にしないと、本来の「作品の表現」「画家の意図」を修復家が殺してしまうことになりかねません。
たかが絵画じゃないか、似たような物質からできるものじゃないか。そう思ってしまったが最後、作品への理解は遠のくばかりです。
本日のまとめ:医療にかかる際、患者の立場の我々自身が望むように
ここでお伺いしますが、きちんと患者さんを観ないお医者さん、皆さんお嫌いですよね?
かつて私自身お医者さんにかかって、実際「あ、これは…」と思ったお医者さんは、ずっとPCとにらめっこしていて、一度も、一度たりとも私の顔を観なかった、というお医者さんでした(つまり、こちらの口頭の話を聞くのみで、視覚は使わなかった、という意味です)。
これがせめて「名医」だと日本中を轟かせているお医者さまなら、まだしも…。というか、「名医」ほど、患者さんを観ると思うのですが、これは素人が考えることなのでしょうか?
ともあれ、素人目からすると、患者を観ようとしないお医者さん、信用できませんよね?
患者さんは一人ひとり違うのに。
そういう意味で、ひとつひとつの作品をきちんと理解しているだろうか。
これが文化財保存修復における基本であり、最も重要な原点です。
私が海外の国際機関で研修していた際に、たまたまその機関の絵画保存修復室の元責任者とお会いすることができたのですが、その方、高齢で引退したほどの知識と経験のある方でしたが、こう言っていたんですよ。
「我々が出会う作品は、どれも『はじめて出会う作品』だ。たとえ過去に自分が関わった作品であろうとも、その当時と今では出会った『経年度合』『状況』も違うだろう。同一の、『知りぬいた作品』なんて存在しないからこそ、どんなに経験をつもうとも、『私はこの作品を知らない』と謙虚に受け止めて作品に対峙すべきだ」と。
長くなりましたので、本日はここまで。最後までご覧くださり、ありがとうございます。
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