岩手県釜石市にて絵画作品修復させていただいた作品にて再確認する、[作品の価値」を理解する大事さ

雑記

以前の記事にて、岩手県釜石市に出張に出ていたことは書いておりましたが、「何をしていたか」ということは書いておりませんでした。

というのも、長期間作品修復のため釜石市に留まっている状態にあり、リアルタイムで色々書くのは防犯上よろしくないためです(^^;)。

F100号サイズの、戦中に描かれた作品に携わらせていただいておりましたので、それなりに時間を要したわけです。

少なくとも現状における私の仕事のスタイルは2タイプで、一つは諸事情により作品を移動させず、現場で処置をする方法(ただしこの場合は同じく諸事情により、保存的処置に集中することが多く、また保存的処置に関しても限りがあったりもします)、もう一つは作品をこちらに持ってきて修復後に所有者さんのお手元にお返しする方法。

いずれにせよ、私のほうで一方的に「こうします」という話をするのではなく、書面などで色々な説明をさせていただいてから、双方の要望・意見をまとめた上で最良の方法を選択させていただく、という形を取っています。

その上で、今回の釜石市の場合は現地での作業という形で落ち着いた形です。でも、仕事が終わって振り返るに、このやり方での限界というものがあって、歯がゆい部分もあるのですが、反面このやり方だからこそよかったともよくよく思うのでした。

なかなかこういう実際の修復の事例を授業以外でお話する機会はないのですが、今回は作品所蔵先がご許可をくださっているので、あくまでもぼかしながらではありますが、こういうお話を書いてみます。

そもそもどういうところに絵画作品の価値ってあるのだろう??

過去の記事にて、「作品を理解することが大事」というお話を結構繰り返ししておりました。この「作品理解」というのは結構ややこしくて、なんといいますか、頭でっかちに「そんだけ言われたら、わかっているよ」となっちゃうんですけど、なかなか「実感」としての理解というのは難しかったりするんですよね…。

これは別に今の大学生とかを批判しているわけではなくて、自分自身を振り返ってもそう思うのです。

今回修復させていただいた作品は、「鉱山で働く男性たちの姿」を描いたものでした。画家の名は一応伏せますが、おそらくここで書いても、ものすごくどよめかれることはないと思います(苦笑)。日本人の画家さんで、どよめかれるほど名前が知られている画家さんって、ごくわずかな気がしますので…。

これが、やれダ・ヴィンチだ、ミケランジェロだとなれば、ものすごく大騒ぎかと思いますが(笑)、そもそも「絵画の価値」ってなんなのでしょうか?

有名なこと?

でも有名でも万人が「美しい」と思っているわけでも「すばらしい」と思っているわけでもないですよね。

ただ、「周り」が「すばらしい」と言っているから、「あの作品を一目見て見たい」と思うという、根本(あるいは始まり)はそれだけであることが殆どではないでしょうか?

実際、写真でもyoutubeでもTVでもなく、実物の作品を見ると、本当に「うわぁー---!!」となる。どうやって描いたのかなどと、本当に一つの作品の前でどれだけでも時間が経つ。きっとそんな経験を持つ方は少なからずいらっしゃると思うのですが、多分それも多くの場合は「有名なあの作品がくるらしい」という撒き餌があって、初めてそういう「魅入ってしまう」作品(必ずしも撒き餌の「有名作品」に限らない)に出会うわけですので、有名作品に呼ばれることが悪いことであるとか、そういうことが言いたいわけではありません。

ただ、「自分の人生において、今まで肉眼で見た作品で、感銘を受けた作品を教えてください」と告げたときに、おそらくいろんな方が異なる作品をきっと挙げて下さると思うのです。その時は、きっと有名無名関係ないと思うんですよね。

有名ってことと、本当に心になにかを与えるということは違うと思うのです(あ、有名な絵は心に何も与えない、というわけでは全然ないですよ)。

この世界には、いろんな異なる人生を歩む、世代も性別も国籍も宗教も家庭環境も何もかも違う人が住んでいて、その人たちの価値観といいますか、考え方が同じなわけはないですからね。

また、その作品が制作された時代と、それを見ている我々の時代が異なるために、価値観が異なってしまったりで、作品の「伝えたいこと」や「価値」が現代に伝わらないこともある。それは、人と人のコミュニケーションのすれ違いとも似ていて、簡単にうまく伝えられる要領のよい作品もあれば、そうでない作品もある。

戦争関係の絵画なんかは特に「国同士」「時代同士」の価値観が全く異なるので、その評価というのはなかなか難しいような気がします。

実際私自身が某大学の学生だった際に、「戦争画は美しいのか」というテーマが与えられたくらいには、描かれた当時とそこから外れた時代においての価値観が大きく異なるものなのだと考えます。

ただ単純にその「当時」と「それ以外の時代」の間に、「知らない」という壁があるだけだったりするとも思うのです。

時々、絵画作品(それに限らず色々な文化財)の価値は「知らない」というそれだけのために埋もれてしまっていることがある

ブログ主が高校生くらいのころ、TV番組で「知っているつもり?」というものがありました。

最初は本当に「誰でも知っている」という人がテーマででてきていたのですが、だんだん必ずしも「誰しもが知っている人」には限らない方がよくよくテーマとなっておりました(少なくとも高校生だったブログ主やその友達界隈では知らない方がテーマになっておりました)。

反面、ブログ主もその周囲も、最初は「誰これ?」と思いながら見るのですが、最後には「自分が知らなかっただけで、すごい人がいたものだ」と感心する、そんな番組だったんですね。すごく大好きな番組でした(^^)。

ブログ主が思うのは、といいますか、保存修復界隈の人間が思っているのは、こういう「価値」だと思うんですね。

「有名じゃないから、すごくない、美しくない」ではなくて、「知らないだけ」なんだって。

そういうその作品の価値を見出すのも大事なことで、改めてその作品の価値を共有することで、その作品が「大切に」扱われる未来が待っているかもしれないためです。お気に入りの服(靴、鞄)は大事に、そうではないものはそれなりに、って皆さんやったりするでしょう?それと同じです。

いろんな情報から、価値が見いだされる

ブログ主が今回関わらせていただいた作品は、「釜石」という土地と、所蔵先の会社、および当時の「日本」と密接に関わっている作品でした。

ブログ主自身、現地で作品の調査・処置をする傍ら、週末に現地調査をする中で「釜石」という土地の歴史や背景を知れば知るほどに、関わっている作品が非常にその土地に関わりがあるだけでなく、「釜石」という場所にとっての「誇り」であり、アイデンティティに繋がるものと感じられるようになりました。

「鉄都釜石」と呼ばれ、戦中金属が不足する中で、ものすごい量の鉄を生産してきた街。

そのため、戦中敵国から砲撃さえ食らった街。

そうやって鉄生産で攻撃されながらも、鉄生産で立ち上がった街。

描いた画家さんご自身は釜石出身どころか、全く異なる県出身の方で。なぜこの方がわざわざ釜石をテーマにして絵を描いているんだろうというところにはたどり着けなかったものの、逆に全く異なる地域の人間のほうが、感動をもってその現場を観察できることもあるだろうとも思いつつ、作品に携わらせていただきました。

また、非常に面白いことに、作品の処置がほぼほぼ終わりそうだなという頃、所蔵先の方に色々ご確認いただく際に、その所蔵先の方々が、「ああ、これは~の機材だな」とか、「被っているのは~だな」とか、パッと見ておっしゃるんですね。

正直鉱山の仕事に無知なブログ主は、作品を見て「何の機械」とかそういうのは全く分からないのですが、さすが絵画のテーマと関係のある会社さんの方々は、絵をご覧になられて頷きあいながら色々おっしゃっていました。

戦中の絵に描かれている何かが、70年を経ても、まるでさっき見てきた何かのように当たり前に語れる方々がいるって、すごいことだと思うのです。

それだけその作品のテーマがその所蔵先である会社さんと密接な関係性があるということでもあるのですが。

また単純に、生活物資にすら色々困っている戦中にあって、こういう生活とは全く真逆の「絵画」関係の物品、しかも100号という大作が描ける物品があるんだ、ということに色々思いを抱きつつ、同時に「当時だからこそ」の絵具のクオリティだったりするのだろうかとも色々考えたりもするわけです(さすがにそこまでの調査に至ることはできておりませんので)。

そういう美観とかイメージだけの価値だけでなく、物理的な意味合いにおいても、非常に面白い作品なんですね。

そういう作品に関する情報といいますか、価値というのは、実際修復家の方であれば誰しも、作品に向き合う時間の間に少しずつ得られているのですけど、「描かれた場所」に短期間でも生活する、その地域の生活を垣間見ることなどで、感じられる何かというものがありまして。

多分、今回関わらせていただきました作品に関しては、私が釜石に長期滞在する形で得られた「実感」みたいなものがとても大きくて。色々葛藤する部分もありましたが、現地での処置にして本当によかったなと思います。

人は「大事」だと気づくと、きちんと大事にするので、「大事」だと気づいてもらえるようにすることが大事

こういった興味深い作品ですが、将来的に「市」に寄贈されるそうです。非常に「釜石」という場所らしい作品ですので、多くの市民の皆さんにご覧になっていただけることになるのは、作品にとってもよいことでしょう。

なかなか「大事にする」というのは作品によりけりで難しい行為なのですが、「大事大事にしまい込む」よりは、「多くの方に愛されて、見守られる」ほうがよい場合がありますから。「知っている」人が多いほど、作品が守られる確率も高いですし。

今回修復させていただいた作品に関しては、もともとの所蔵先は作品のテーマと非常に関わりのある会社さんでしたが、最終的には「市」のほうに譲られるため、場合によっては「価値への理解」が困難になる場合もあります。そういう将来的な作品の安全な保存のためにも、作品の価値、土地との関わりみたいなことがきちんと伝わること、「知ってもらう」ことって大事だと思うのです。

最終的に作品を「守る人」って、その作品を所蔵する人であって、修復家はほんの短期間「治療する人」にすぎませんから。でもただ「治療する」のではなく、所蔵する方の「作品を大事にする気持ち」を長持ちさせる・増幅させる、そんな気持ちになっていただけるような心の交流をすることも大事だと思っています。

その第一歩が「大事な作品ですよ」ってことのお伝えだと思うんですね。

でも、ただそのセリフを言っていても相手には伝わらなくて。

きちんとそれを伝える人間が「こうだから大事ですよね」って、理解していることって大事だと思うのですよ。

そういう意味でも、「作品を理解する」「作品の価値を理解する」って重要だと思っています。

ほんと、文化財とか絵画作品とかは、保存修復家だけが守っているなんておこがましくて。そんなもの、修復家だけではどうにもならないと思っておりまして。ドラゴンボールの元気玉みたいに、多くの方のご理解ご協力がないと実現は難しいことであると思っています。

今回関わらせていただいた釜石の作品は、本当に所蔵先の方々が長年色々気にかけていらっしゃった作品だけあって、相互における作品の価値理解の話もスムースで、むしろこちらが色々情報を頂くような形でありがたいばかりでした。

作品がより釜石の方々によってより一層愛されていくことを願うばかりです。

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