総合型選抜入試(旧AO入試)にも前もっての準備が必要

修復を学ぶ

現在「光学調査」に関するシリーズのお話を書いている最中ですが、諸事情により別のお話を挟ませていただきます(^^)。

さてブログ主が高校生の頃は、大学入試といいますと、1月のセンター試験を受けて後、各大学の試験を受けるというのが主流だったように思います。しかし近年は推薦入試以外にも、総合型選抜入試(旧AO入試)やなんやと面接を含む、各大学の教育目的や教育ポリシーなどに関わる試験が出てきました。

こういった試験の多様性のおかげで、1つの大学に対し1年間の間に何度でもチャレンジできるチャンスがある反面、その準備に困るという方もいるかもしれません。

ブログ主自身、大学で教員をしていた頃、つまりは入試試験官をしていた頃は、面接の際などに「十分な準備がなされていないなぁ」という学生さんを見かけないことはありませんでした。

センター試験とは違い、大学によっては「学力試験」というものを課さない大学もあったりしますので、「お勉強はしなくてもいいやー」と妙に楽観的になる方もいるのかもしれないなぁと推察しています。

しかし立場を逆にして考えてみましょう。受験生としてではなく、受験生を受け入れる立場に立つのです。そういう身の上として、一人の学生を選ぶときに、「より当大学にふさわしい」「より当学科にふさわしい」学生をとりたいと考えるのは当然の摂理であることはお分かりいただけると思います。

勉強はしたくない。何にも今まで頑張ったことがない。未来についても「●●を学びたい!●●を頑張りたい!」というものがない(あっても具体性がない)。そういう態度や前向きな姿勢の見えない学生さんと、そうではなく、非常に前向きでやる気に満ち溢れている学生さんが面接にきたときに、どちらが受かるでしょうか。

そう考えたときに、実は総合型選抜入試(旧AO入試)のような、別段主に学力を競う試験ではなくとも、高校に入った段階から、あるいは人によってはそれ以前からの準備がカギとなると考えています。

勿論高校2年生、あるいは3年生になってようやく自分の夢を持てたという方もいると思います。そういう方が悪いというわけではなく、「決めたのが遅かった…!」と嘆かないためにも、普段からどういう選択肢を選ぶこととなっても後悔のないように、その時その時を充実して過ごしてほしいものです。

充実というのは、「何もしなかった」という生活ではなく、少なくともこういうことを頑張った、継続したっていうことですね。ちなみに、お家でのお手伝いとかでもいいんです。毎日お弁当を作るとか、そういうのって実際やってみるとすごく大変です。自分が継続して頑張れたことなどを、是非紙などに書きだしてほしく思います。

ここまで読まれて、なぜこういう話を書いているか、お分かりでしょうか?

勿論大学や学科にもよると思いますが、大学が求める学生像としては、「自ら(能動的に)」「継続して」「努力できる」ということが求められます。というのも、大学の学びというのがまさに「能動的に、継続して、努力(主に学ぶ)」ということが必要だからです。

美術系大学の場合、卒業において「卒業制作」が求められもするでしょうが、学科によっては、特に文化財保存修復においては、3年生あるいは4年生から自ら「研究」をして「卒論」を書くことになるんじゃないでしょうか。「卒論」は、自分一人で行く道ですし、お手伝いや協力はしても、誰も引率はしません。孤独な道のりです。そういうことに耐えられる学生というのが、「能動的」「継続可能」「努力できる」という学生かなぁと思うのです。

さて、こういうお話を書くと、誤解もされる部分もあると思いますので、実際にあった面接の例を少々アレンジしてお話したく思います。

AO試験の面接でのお話ですが、高校時代に合唱部だったという学生さんが受験にいらっしゃいました。受験先は、某美術系大学美術学科。大変熱心に合唱部に参加していたようなのは伝わったうえで、試験官が「では、そのような部活動での頑張りを、実際の大学生活でどのように生かしたいとご希望ですか?」と質問しました。その解答として、学生さんは、「合唱サークルに入り、一層がんばりたいです」と回答。ちなみにこれ、残念な回答の例として出しています。

なぜ面接の回答として残念であるのか。「美術大学で、美術学科で、合唱を頑張ることで、大学の学びにおいてどういう実りがあるのかが試験官に伝わらない」ためです。もっと言えば、「そんなに合唱がしたいなら、どうして音楽大学、音楽学科を受験しないの?」という疑問がわくからです。更に端的に言いましょう。「どうして当大学にきたいのか、どうして当学科じゃないのか」が全く伝わらないからです(誤解なきようにですが、「合唱部」が悪いのではなく、それと受験先や大学の学びとのつながりのない回答をされても困る、ということです)。

ですので、こういう回答ですと、いくら「能動的」「継続可能」「努力ができる」といいましても、回答としては違う、ということになるだろうことはご理解ください。

なお、近年の受験の面接は非常に親切になっています。ですので、「こちらが求めている意図に適した回答」が得られない場合、手を変え、品を変え、言い方を変えて、全く同じ質問を2回程度は繰り返すと思います。一度の質問で、「質問に合致した回答」が得られなかったからと、切り捨てることはおそらくしないはずです。緊張して回答に瀕しているなどのことも想定していますので。ですので、「あれ、もう一回同じような質問がきた」と思ったら、「会話が成り立っていない」と教員は判断していると思って、「何を教員は聞きたいのか」と深く考えてほしく思います。

こういった面接の回答一つを考えても、大学自体のカラーや、学科の学びについての理解がないと、回答がとんちんかんになってしまうということ、ご理解いただけるでしょうか?そういう意味で、就職活動とも似ているのですが、まず大学(あるいは学科)を知ることを必ずやってほしく思います。これは過去の記事でも色々書いているのでそちらもご参考いただければと思いますが。

あと、過去に「文化財保存修復学科に入りたい学生」から、「貴学科に入るには、最低限何をしたらいいですか」という質問を投げかけられたことがあるのですが、これ、いかなる大学や学科を目指す学生に対しても同様かと思うのですが、某先生の回答が全てであったと思います。先の質問の回答として、某先生は「まず高校の勉強をおろそかにせず、興味を持って取り組んでください」と述べていました。

なぜなら、大学の学びというのは、高校時代の勉強を土台にしているからです。特に論文などを書きますので、現代国語や英語(外国語の文献を読む必要があるためです)、基礎物理や基礎化学は絶対的に必要です。また、作品の保存や修復においては、作品の背景などに対する理解も求められますので、歴史などへも興味をもっていただけたらと思います。そうすると、高校時代の主要科目などへの理解がないと、大学での学びが結構大変であることがご理解いただけると思います。

ましてや、総合型選抜入試(旧AO入試)の段階で、最後のイスを二人の人間のが争っている場合に、学校や学科、状況によっては、「より成績の良い子に」「より高校の評価がよい子に」と選ばれることも、可能性としてはゼロではないすよね。普段の積み重ねが合否を分けてしまっては、悔やみきれないです。

そういう意味合いでは、センター試験などのように、一度の試験の実力のみで測ってくれるもののほうがらくちんで、面接などを含むものは、高校時代の継続した3年間の重なりを見られてしまうのが難しいところではないかなぁと思っています。

ただね、こういう記事を書きながら思うこととしまして、「画一的な合格のひな形」というのが存在するわけではないんですよ。だって、それこそ総合型選抜入試(旧AO入試)の良さというのは、その学生さんごとの「良さ、個性」を見るものであって、既製品のように、画一的なクローンのような学生集団がほしいわけではないためです。逆に金太郎飴のように、「学生Aさん、学生Bさん、学生Cさん、同じことを言ってて、区別がつかなかったね」というのは、その人そのものが全く伝わっていないので、良い面接結果とは言い難いです。ひな形的なことを言ってほしいのではないので、なかなかこういう話は難しいですね(とはいえ、突飛なことを話してほしいわけでもないので、本当に難しい…)。

まとまりがない状態ですが、またの機会にでも、こういうお話を書けたらと思います。

長くなりましたが最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

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