卒論のテーマってどうやって決める?:テーマが見つからない理由

修復を学ぶ

正直3月のこのころにする話ではないとは思うのですが(このころに卒論のテーマが未決定というのは、ちょっと困る事項ですので…)、遅くとも4年生になった4月の最初あたりの授業で卒論のテーマ確認などをすると思うので、こういうことをテーマとしております(^^)。

論文提出の締め切り、卒論発表、卒展の時期というのが、各学校、各学科によって異なりますので(ブログ主が教員をしていた大学の場合、ブログ主の担当学科と、別学科の卒論提出日が1カ月近く違っていました)、当然論文提出の締め切りによって、テーマ決定の締め切りも違うはずです。その点は十分ご留意ください。

ただ、少なくとも研究期間に半年は要りますよね、とか。研究期間とは別に、論文等の形にまとめる時間を別途用意した場合にどれくらい時間がいりますか?ということを考えると、1月の冬休み明けに卒論提出としても、4月の開校日当たりにはテーマは決まっていないと、特に論文を初めて書くという「大学生」にとっては、テーマ決定の締め切りは4月かなぁと思っての4月デッドラインですので、卒論〆がそれ以前であれば、当然テーマ決定もそれ以前になるかと思います。

なぜ卒論のテーマが見つからないんだろう?

「卒論のテーマが見つからない」ということは、誰か一人が特別に劣っているからとかではなく、全国どこの大学生にとっても、行ってしまえば海外の大学生にとってさえ、共通の問題ですのでそこはご安心ください(ブログ主自身、留学で大学および大学院経験者ですので、ヨーロッパ人でも論文テーマで頭を悩ませていたことは知っています)。

その上で、「なぜ見つからないのか」という根本的な理由をいいますと、3つくらいあるかと思います。

①勉強不足

②興味不足

③プライドの高さ(あるいは自分の力量への理解不足)

上記箇条書きにしますと、結構ぐさっときますね…。ただ、繰り返しいいますが、誰かが特別に上記に匹敵する、というのではなく、「若さゆえ」、「経験不足ゆえ」のあるあるですので、時代限らず、ところ問わず、ブログ主の若い頃もふくめ、若者は(あるいは年をとっても)程度の差はあれ、皆そうなのだということでご理解ください。また、どうしたらいいのかのお話もしたいので、以下引き続き。

上記の箇条書きの①②が特にそうなのですが、卒論のテーマっていうのは、何もないところからは見つかりません。掛け算の場合、「どんな数字にゼロをかけてもゼロになる」というのを習いますが、「興味がゼロ」「学びがゼロ」の場合、どんなに自分の周りに面白いテーマの原石が落ちていても、ゼロです。

本人が「ゼロ」である限り、100とか、1000みたいな大きな興味のありそうなテーマをたとえ与えられても、価値はゼロになります。逆を言えば、わかりやすくいうと、どんなに価値として「1」くらいしかないテーマであっても、本人の「興味」「やるき」「理解度」が高い研究というのは、それに伴って価値があがる、ということです(わかりやすくお伝えするために、いやらしい言い方をしています。ご容赦ください)。

あ、逆説的には「興味」や「やる気」が空回りして、掛け算にならない場合も、実はあります(汗)。ですので必ずしも「興味」や「やる気」があれば高い評価の得られる論文がかける!という絶対的なものではありません。しかし必要不可欠なものです。

上記箇条書き③に「プライドの高さ」というのを書いた理由としましても、最近の学生さんの傾向として(あくまでもブログ主自身が日本で学生だったころや、留学時代の周りの印象との比較になりますが)、「自分ができない学生だと【友達や後輩に】思われたくない」、「すごいことをやったと思われたい」、「価値のある研究がしたい」という傾向があるんですね。

我々の時代のころや海外の学生さんの場合「これが好きだから、これをもっと知るためにやりたい」、「これが疑問だからこれを理解するためにやりたい」、「この本にこう書いてあるけど、違う本にはこう書いてあるし、何が正しいのさ!きーっ!」みたいな感じから始まるんです。ものすごく単純な動機です。

この違い、わかりますか?最近の学生さんのテーマ設定基準は「他者評価」。ブログ主や海外の学生さんのテーマ設定基準は「自分本位」。こういうことです。

ですので、後者のほうはテーマ設定の段階で「こんなの論文になんねーよ!」という教員学生間の論争が毎年あります(苦笑)。私も留学中論文テーマ、却下されました。ちなみに、海外の学会発表なんかは、本当に現場の論争が激しいので、怖いですねー(笑)。

本日のまとめ:好きこそものの…

2021年だったかな、柴田亮君という当時小学生の子のカブトムシに関する論文が米国の生態学専門誌「Ecology」に掲載された、という話がありました。

詳細は省きますが、いわゆるそれまでカブトムシの常識とされてたことが覆される内容だったらしいのですね。

ただ、こういう大きなことに至った元は何かというと、この当時小学生だった男の子がとてもカブトムシが好きだったというところだと思うのです。そうじゃなきゃ、ずっと観察もしませんし、「カブトムシの常識」も知らないですし、カブトムシの観察という経験を踏まえた上でその「カブトムシの常識」に対して「おかしいのでは?」という疑問も持たないですから。

そういう意味で、「研究のテーマ」を考えるときに、興味関心や、知識(勉強量)がないと、そもそも「テーマを支える疑問」にたどり着けない、ということはご理解いただけるでしょうか。

さすがにね、このすごい小学生みたいに連綿とした興味とかを持て!というのは大概の人間には無理です(笑)。この小学生の方は本当にすごい。でも、なんていうのかな、まず自分はどんなことに興味があるのかな、ということは考えられると思うんですよ。勿論、卒論の研究に関係することでね(苦笑)。

そういう「楽」ではなく「自分の楽しいって何だろう」からまず考え見るのはどうでしょうねと思います。

すでに長くなりましたので、本日はここまで。このテーマちょっと続きますのでご容赦ください。

最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

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