4つ前の記事より油絵の発展のお話を書いております。また3つ前の記事には油絵と写本との関わりについて書きました。さらに2つ前の記事においては美術史における油絵と「国際ゴシック」との関わりを見てみました。加えて直近の記事では15世紀における2つの絵画上の勢力、フランドルとイタリアにおける相違を見ております。
直近の記事の15世紀フランドル絵画とイタリア絵画の違いは非常に重要な内容ですので、ブログ主が大学で教鞭をとっていた頃も授業にてそれは重々お伝えしておりました。
だからこそですが、あくまでもこういうブログは色々絵画を知るきkっかけ程度に利用していただき、「おっ!」と思うものは自ら色々文献を紐解いていただけたらと願っています(^^)。
特に当ブログにて繰り返し書いておりますが、もし学生さんが読んでいたとしても、こういうブログはレポートや論文の参照文献にはなり得ないことは重々ご理解いただいて読んで下さい(ぺこり)。
というわけで先の記事にてフランドル絵画とイタリア絵画の違いについて書きましたので、その比較として東欧にいけるイコンの概要についてみていきます。
ただ、以前ロシア正教教会関係の神職(という言い方でいいのでしょうか…?)とお話する機会があったのですが、美術史関係の本で読んだ印象と、実際の信仰者の思うイコンの在り方の不一致性のようなものを感じたりもしました。勿論、そういう関係者と100人知り合っているわけではありませんので、その方の見方が完全に正しいのか否かはわかりません。宗教というのは宗派(細分化されたもの)で考え方も変わりますし…。
ですので、あくまでも美術史的によく言われている話として…ということでご理解ください。イコンに限らず何かを「正しく」理解するのは本当に難しいので、「それは大きく乖離しているよ!」ということがありましたら教えて頂きたいですね。
というわけで以下本日の記事。
東欧のイコンに関して:概要
前回お話しました15世紀のイタリアやフランドルの絵画の基底材は木材である「板」であった、ということに付随して、東欧におけるイコンも基底材が板からなることから、これについても簡単に見ていきます。
ちなみにイコンという言葉はギリシャ語のエイコン(EIKON)から生まれた語で、広義には聖画像一般をさしますが、古くはビザンティン帝国で栄え、ロシアや東ヨーロッパで受け継がれた、東方正教会において崇拝されているあらゆるキリスト教の聖画像(板絵)を特に指し示します。
9世紀の中頃以前のイコンは聖像破壊論争によりほとんど破壊され、イエス・キリスト像がそれ以前に描かれたということを立証できるものはあまりありません。しかし、9世紀ごろから聖像礼拝が復活し、それ以後、イコンは東方正教の教会典礼や信徒生活に不可欠となりました。
ちなみに修道院の画僧においては、聖なる図像を描くこと自体を礼拝行為ととらえ、イコンを描くことは修道院にとり聖なる仕事でした。
これらの画僧にとってイコンを描くことは祈りや修行の一つであり、表現や個性を求めてはいませんでした。加えて、一つのイコンを製作際、一人の人間が一つの作品を通して仕上げるのではなく、複数の画僧が描画を分担するようなのです。
すなわち、あるものは目を、あるものは髪の毛を、また別の人が手を描き、さらに他の人間が衣服を描くような分業がされたといわれます。
だからこそイコンの製作においては、芸術家の個性という要素の欠落が見られます。さらにいえば東方教会の絵画には、自由な表現のための芸術家の空想的な要素すら欠けている傾向があります。また、基本的にはイコンは無署名で制作されているのも特徴的でしょう。
加えてイコン制作時は、優れた作品から写しをとり、模写を繰り返すことで伝統的な画像を伝えてきました。
このようにイコンにおいては数世紀もの間、聖人の特定の形式に倣うことが繰り返されました(こういう話って、中国だかの美術も確かそうじゃなかったでしたっけ)。
この「形式」は、時代や民族によって、ある程度の相違をみせますが、それでも西ヨーロッパの宗教芸術における表現や想像力と比較すると、わずかです。
ちなみに10世紀半ば、ギリシャのアトス山に、東方正教会の大本山とも呼ばれるラヴラ大修道院が建設され、そこでイコンの製作法および聖人画像の形式が取り決めるようになりました。18世紀ごろには、この修道院から画法の指南書「アトス山画説」が発行されて、イコンに関する技法やイコノグラフィーが厳重に守られています。
また、10世紀のキリスト教受容により、イコンの技法はビザンティンよりロシアに伝えられました。その後ロシア・イコンとして独自の展開をみせていきます。
ちなみにイコンは人間による作品としてではなく、むしろ天国の現象そのものの現れであると、東方正教の神学者たちは解釈しているといわれています。いわば、イコンは、我々俗世と聖なる世界である天界との間に取り付けられた「窓」、つまり天界の人々が我々の世界を見下ろすための「窓」であるとされました。
反面、東方正教においては、聖なる存在が窓から俗世を眺めるとは考えても、我々の目の前に一つの肉体あるいは現象などとして現れないと考え、聖像の彫塑、すなわち三次元的な表現は禁止しています。よって絵画表現としても、東方正教美術では、聖なるものの三次元描写は行われません。
更にいえば、東方正教のイコンは「手書きではない(人の手によって描かれたわけではない、という意味合いです)」という伝説に根本まで遡ります。いわゆる、キリストが顔を洗った後、布を顔に押し当てたことで、キリストの顔が布にプリントされるという奇跡が起きたという、自印聖像、つまりは手で描かれざるイコンが現れた、という言い伝えに遡るのです。
加えて、こういう布にキリストの顔が勝手に写ったという逸話で有名なのは、聖女ヴェロニカが、十字架を担いで歩かされているキリストの顔の汗を布でふいたときに、その布にキリストの顔が写って残ったという伝説かと思います。先の自印聖像やこういう伝説、すなわち「図が自ら現れた」「現世に人間の手描きではない」というところに軸足を置いてイコンは成立しているわけです。
本日のまとめ的なもの
現代からすると西欧絵画でキリスト教絵画なんてわんさかあるので、奇妙に思われるかもしれませんが、過去記事で書いたとおり、もともとキリスト教というのは偶像崇拝禁止の宗教だったわけで(でもそれはおそらく元々はいかなる宗教でもその様子が見られますが)、それを結構頑なに、必死で守ってきたのが東欧のイコンなのでしょう。
それでも「イコン」という「二次元的表現」「絵画」を作っているじゃないか!という矛盾を感じないわけではありませんが…。なんでしょうね。人間はそんなに強くはないのだと思います。誰しも、拠り所って必要ですからね。
なんていうんでしょうね。二次元や三次元的な表現があることで、信仰がブレそう!って恐れを感じているのならば、ですが、なんとなくそんな気持ちもわかる気がするんです。
ブログ主はそもそもお葬式のときだけ思い出す仏教徒ですが、ミケランジェロの宗教的彫刻とか、日本の阿修羅像とか、「わー!」って思うものってあるじゃないですか。そういうときって、自分がずぼらな仏教徒なせいか、宗教ほっぽって、「すてきー!」ってなっちゃうので、そういうのが熱心な宗教関係の方からすると邪な感じなのかなぁとか。色々思うんですよ(^^;)。神の教えを守るのが大事なのに、なに「推し」に会ったときみたいになってるんだ、みたいな(汗)。
反面、そういう制限された中でも自分たちが大事にしている宗教に関わるものですのでね。「すごい、いい…!」という、何かものすごく伝わるイコンもあるので、是非、食わず嫌いをせず、色々イコンも見てみてほしく思います。
というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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