油絵の発展⑨:基底材の板から布への変遷:テキスタイルと絵画

修復を学ぶ

最初の記事より油絵の発展のお話を書いております。また2つ目の記事には油絵と写本との関わりについて書きました。さらに3つ目の記事においては美術史における油絵と「国際ゴシック」との関わりを見てみました。加えて4つ目の記事では15世紀における2つの絵画上の勢力、フランドルとイタリアにおける相違、それに対して5つ目の記事では比較として東欧のイコンに関しての概要、そして6つ目記事にてイコンの構造を簡易的にお話しました。

また、7つ目の記事では基底材の板から布への変遷に関する簡単な概要、直近の記事にてその続きである当時のヴェネツィアに関してお話をしています。

こういったことを踏まえた上で、さらに別視点で、「布を基底材として考えないことってないじゃないか?」と考えてみようということで、当時のテキスタイルの在り方を見ていこうと思います。

なお当ブログにて繰り返し書いておりますが、もし学生さんが読んでいたとしても、こういうブログはレポートや論文の参照文献にはなり得ないことは重々ご理解いただいて読んで下さい(ぺこり)。

「布に絵」って、そもそもテキスタイルってものがあるじゃない?

可動式な絵画(建物や地面と一体型ではない、移動可能な絵画)の基底材として板が主流な中で、布を用い始めたのは、偶然ではないと考えられます。

なぜなら、中世では、タペストリーがその当時ヨーロッパで栄えたためです。このタペストリーの発達の背景には、テキスタイル技術の向上だけでなく、タペストリーの在り方の影響もあったと考えられます。  

英語でタペストリーとよばれるこの織物は、日本語でつづれ織りとも訳される、壁掛けの用の毛織物を指します。さまざまな色に染めた糸や金糸・銀糸を用いて、風俗的主題や神話や聖書の物語をテーマに織ったものです。ものによっては一つの作品を仕上げる迄に3年を要するものもあるといわれています。

このタペストリーはもともと東方の産物として手織りの絨毯を十字軍遠征から持ち帰ったのが始まりとされます。

この手織りの絨毯は中世では贅沢な「実用品」とされ、聖堂や城館、あるいは住居の「壁に掛けて」鑑賞されました。

不思議ですね。絨毯といえば、床に敷くものなのに…?

なぜならヨーロッパは靴文化なので、高級な絨毯を靴で踏むのはどうかと考え、壁に飾ったとされます。また、ヨーロッパの石造りの建物は冬期非常に寒く、タペストリーを掛けることで、断熱を図ったともいわれています。タペストリーは、いわゆる壁に直に描かれた壁画とは異なり、「壁から外して巻いて持ち運び可能」であることからもその価値を高めました。     

テキスタイルに関し時系列に見ていくと、10世紀から11世紀ごろ、地中海貿易などの関係から、イスラム圏からヨーロッパに足踏み式の水平織機が入ってきます。それまでのヨーロッパにおいては、原始的な垂直織機(竪機たてばた)が主流でした。  

中世後期に入ると、都市の発展と技術発展により、織物業の専門化が進みます。ここからギルドが織物の生産販売を独占し、専業化することで、技能の改良・伝承がなされ、より細い糸でより高品質の織物が生産可能になり、交易品として発展していきます。

特にフランドル地方、北方ベルギーのブリュージュにおいては、大規模な織物製造業が発展しました。13世紀には問屋制家内工業体制が成立。このころまでに、足踏み式糸車の開発によって、糸の供給が潤沢となり、織物生産の速度が向上していきます。14世紀後半から15世紀には、タペストリーは王侯貴族たちがパトロンとして資金的に大規模な作品の制作を支え保護がなされていきました。そして、とくに新たに富裕化した市民階級が手ごろな規模の作品を数多く購入したとされます。こういった背景をもとに、タペストリーはフランス北部、ベルギー、オランダといった北方諸地域の特産物として確立していきます。

さらに16世紀、イングランドでは囲い込みなどにより、織物は工場制手工業に移行するなど、特に16世紀はテキスタイルが発展した時代でもあります。

こういったぜいたく品が王侯貴族や富裕層に歓迎されている時代に、こういう織物で二次元を表現しているものを見て、布を絵画の基底材にする発想がでないわけがないと考えられます。なぜならば、中世当時にタペストリーにおいては、染めるための染料は多くはなく、20色ほどで染めていた、つまりはたった20色で二次元表現をしていたことから、リアリティのある表現がやや困難でした。それに対して絵具の場合は、絵具自体は20色でも、混色すれば色のバリエーションは無限大であることから、布を染めるのではなく、直接布に描くことが、脳裏にうかばないはずはないと考えます。

このように、絵画の基底材として布が中世世界で視野に入ってくる反面、フランドル地方、いわゆる北方ベルギーにおいては、15,16世紀中、基底材は板であるべしと頑なに死守し続けられました。

本日のまとめ的なもの

日本にいるとテキスタイルとか、タペストリーとか、「油絵」以上に未知の世界といいますか、その価値がわかりにくいような気がしますが、西洋美術の歴史を振り返るとテキスタイルが与える影響というのもあるんですよね。

ブログ主はテキスタイルに詳しくはないので実際はどうなのだろうと思うのですが、日本の掛け軸みたいな印象をわずかに受けたりするんですよ。

ま、タペストリーは絨毯サイズなのでバカでかいですし、本来床に敷くものですので「壁にかける」前提の掛け軸とは構造的には違うとは思いますが、求められていることは似ているような…と個人的に感じてしまいます。

テキスタイルとかタペストリーとか興味ないわーという方も少なからずいらっしゃると思いますが、例えば有名作品「貴婦人と一角獣」とかは圧巻じゃないかと思います。

なかなかテキスタイルやタペストリー、特に有名なものが日本に来ることはない気がしますので、是非海外に行くことがありましたら、こういったテキスタイルやタペストリーなのかも見てみてほしいものです。

いろんな美術は個々で成り立っているのではなくて、同時代的な影響や、過去や未来との縦方向の影響もありますから。

というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

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