なぜ油絵の下地には「体質顔料」を「色を担当する粉末」の主体にできない?⑨:「屈折率の理解のために」-「油性下地」を構成する「粉体」の違いによる「見え方」の違い-

絵画の構造

ここしばらく、絵画(主に油彩画・テンペラ画)の構造についてお話しておりますが、中でもタイトルに数字が入っている通り、特に「下地層(地塗り層)」のお話を詳細にお話させて頂いています。

また直近の記事では、「水性下地」と「油性下地」の違いとして、水性地の「接着成分」は水性であることから水分が蒸発し、そのために「粉体(顔料や体質顔料)」が露出している状態であること。これに対して「油性地」においては「接着成分」である「乾性油(あるいは加工乾性油)」が蒸発することなく「粉体(顔料や体質顔料)」の一粒一粒を覆っている状態にあるという違いがあることを説明しました。

また、この「下地」を構成する素材の中でも「粉体(顔料や体質顔料)」が露出しているあるいは、乾性油などで覆われていることで、視覚的な相違があることも説明しました。

本日はようやくここでフラグ回収的に「屈折率」のお話に戻ることができます(笑)。

ややこしい話が続ているとは思いますが、お付き合いくださいませ。

今までの記事の要約をつなげると:水性下地や油性下地の在り方

こういった長いシリーズ(?)を書いているのは、そもそも「なぜ水性地(水性下地)と油性地(油性下地)では、構成する素材、特に『色を担当する粉体』の素材を変える必要性があるのか」というこれが起点となってのことです。

その理由として出したのが、「屈折率」が視覚的に関わってくるから、ということをお話しました。特にこのシリーズの5番目の記事では屈折率が近似値の物体Aと液体Bがあるとして、その液体Bの中に物体Aを入れると、大気中では視認できる物体Aが液体Bの中では視認しにくくなる、というお話をしました。つまり、液体あるいは気体でもそうでしょうけど、それらに近しい屈折率をもつ物体がそれらの中に入ると見えにくくなる、ということに関わるからとご説明しました。

さらに、直近の記事にて水彩や水性下地は、いわば「色を担当する粉体(体質顔料あるいは顔料)」大気に露出した状態であると説明しました。これに対して油絵具や油性下地は、「絵具に含まれている顔料(あるいは体質顔料)の一粒一粒が、きちんと乾性油に覆われている状態であり、それは乾性油が重合反応をしたあとも、ずっと顔料(および体質顔料)の周囲を覆ったまま存在している」ともご説明しました。

もっと想像しやすいようにご説明しますと、例えばお風呂の湯舟いっぱいに接着剤を塗布した軽石を入れた図を想像してください。いわば、軽石が「色を担当する粉体(体質顔料あるいは顔料)」の代わりです。軽石に接着剤を付着させているので、軽石同士、あるいは軽石と湯舟はしっかり接着して取れないことでしょう。でも、その湯舟のなかに更にお水とか砂を入れようと思うと、どれだけでも入ります。つまり、それだけ空間があるということは、その軽石は、大気に包まれた状態ですよ、ということや、凸凹した表面を持つよ、ということがご理解いただけるかと思います。

これに対して油絵具や油性下地はどのような感じかといいますと、同じくお風呂の湯舟に石をいっぱい入れて頂いて(軽石でもいいのですが、原理的に浮いてしまうかもしれないので…)その上でさらにゼリー溶液を入れていただく感じでしょうか。想像しすいようにゼリー溶液なんですけど、これは別にそのまま「乾性油」を入れて頂くので構いません。

なぜ石を詰めた湯舟にゼリー溶液というのが油絵具や油性下地に似ているかといいますと、ゼリー溶液は温かいうちは液体ですが、一定温度で個体になります(乾性油は酸化重合反応で固化するので、温度は関係ありませんが、液体から個体へ変わるものの代用として、想像しやすいということです)。いわば、湯舟に石を入れて、ゼリー溶液をいれたものは、我々の身近なものに想定すると、フルーツが入ったゼリーみたいなものですよね。

油絵具や油性下地というのは、そういうフルーツが入ったゼリーのような状態にあるわけです。それは視覚的にだけでなく物理的にも、です。先の水彩や水性下地の例の際に、軽石をいっぱい詰めた湯舟にお水をいれると、お水を入れることができると説明しましたが、それは軽石が大気に露出している状態だから。でも、湯舟に石を入れてゼリー溶液で満たしてゼリーを固化させた状態のところに水を入れても、もうお水の入る余地はないんですよね。

油性下地や油絵具というのは、こういうフルーツを内包したゼリーのような状態であるからこそ、油絵具や油性下地の「色を担当する粉体(顔料あるいは体質顔料)」は大気に露出した状態ではない、ということが非常に重要になります。

それはすなわち別の記事にて書きましたお水で満たしたグラスの中に、まっすぐなストローやお箸を差し込んで観察した時のように、視覚的に「ゆがみ」が出てくることと似たような状態ですよね。

物体を視認するには、物体、光、目(そして脳)が必要ですが、その物体の状態によって、光がどう反射して、どう目に入ってくるかで「見え方」は異なるのです(ああ、これでこれまで8回続いて書いてきた記事を回収できたわ…)。

油性下地の構造と、屈折率、そして「粉体」の違いによる見え方の違い

ここで常に想定していただきたいのは、油絵具あるいは油性下地における、「色を担当する粉体(顔料あるいは体質顔料)」は、常にゼリーに包まれたフルーツのような存在である、ということです。だから、(本来であれば)油絵具あるいは油性下地において「色を担当する粉体(顔料あるいは体質顔料)」は、乾性油(あるいは加工乾性油)に覆われていて、大気には露出していません。

ブログ主が作成した、大学での授業用のパワーポイントから

もし「色を担当する粉体」がチョーク(白亜)である場合、チョークの屈折率はおよそ「n≒1.5」。それに対して大気の屈折率は「n≒1」であることから、双方の違いは「0.5」あるので、通常チョークは白色の粉体に見える。

これが油絵具あるいは油性下地の場合、チョークの屈折率は「n≒1.5」に対し、乾性油の代表であるリンシードオイルの屈折率は「n=1.484」と、チョークと同じく「約1.5」と言える数値です。

つまり、およそ近似値の屈折率をもつ油に覆われてたチョークは、視認しにくくなる、あるいは「こうあってほしい(大気中で見える)色彩」を保つことができなくなります。

さらに、別の記事でも述べましたとおり、油絵具や油性下地の場合、油は蒸発などして無くなることはなく、ずっと「色を担当する粉末」の周囲を覆っているわけですので、水彩や水性下地のときのように、「水」を度外視して考えることはできません。

こういう説明を言葉だけでしていても、実感がわかないので実際に「石膏(体質顔料①)」「白亜(体質顔料②)「鉛白(白色顔料)」を水あるいは油と混ぜて観察するとよいのですが、石膏や白亜を油で混ぜると、本来求める「白色」を得ることができなことはたやすくご理解いただけると思います。

ブログ主が作成した、大学での授業用のパワーポイントから:石膏、白亜、鉛白を水や油で混合した結果

繰り返しますが、上の写真で水と混ぜた「石膏」や「白亜」も「色が変わって」おりますが、水は蒸発して無くなります。ですので、水の場合はその美観の変化は換算する必要はありません(ただしこれはあくまでも「水」を混合した場合であって、水性の「接着剤」の場合は接着成分が残りますので、その点は念頭に入れて美観を想定する必要性あります)。

本日のまとめとして

今回お話しましたとおり、油絵具あるいは油性下地を考えるときに、「色を担当する粉末」は「フルーツインゼリー」のフルーツのように、油に全体的に覆われているんだ!ということを覚えておくと、油彩画を理解するだけではなく、ほかの技法材料との違いを理解する上でものすごく役に立つと思います。

上記のことが理解できると、油彩画の構造として今後お話する「絶縁層」に関する理解も容易になるからです。

また「本来」油絵具や油性下地というものが「フルーツインゼリー」的な形であるという「本来」という意味合いも多分わかりよくもなると思います。

一般的に、時代として古ければ古いほど、絵画に使われる「色を担当する粉末(顔料あるいは体質顔料)」というのは洋の東西に関わらず面白いほどに同じ素材が使われていて。それでいて実際の絵画表現が全然違ったり、見え方が違うのは、どうしてだろうってことを考えたり理解する第一歩が、こういう素材の特徴と、組み合わせへの理解だったりします。こういう屈折率の問題だけでなく、pHの相違、混合の可否問題など、いろんなことを知っておくと、作品のポテンシャルに始まり、どうして作品が損傷したかの理由など、いろんなことへの理解に繋がると考えます。

とりあえず、油性下地の説明だけにものすごく長く時間がかかってしまいましたが、少しはわかりやすく説明ができていることを願います(汗)。

ややこしいお話を最後までお読みくださり、ありがとうございます。

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