只今全4話で、大学入試における「面接」ってどういうものなのかというお話をしています。今回は第3回目。
このシリーズの最初の記事にて、大学入試の面接を「合否が決まる場所」とかそういう場所として認識するのではなく、「自分自身をアピールする営業活動」の場所であると説明しました。これはあくまでも目的として1つ目ではありますが。
その理由として、面接官はだいたいは受験生に関して詳細を知らないことから、「自分という人間の良さ、独自性」が面接官に伝わらないと、面接官は「この人は当大学(当学科)によさそうだな」と判別しきれないんですね。
加えて直近の記事においては、営業活動の成果を上げるには、「営業先が適正か」ということを考える必要もあることを説明しました。漁業関係者に、コンバインとか営業してもしょうがないじゃないですか(^^;)。ですので、これはあくまでも受験前の話とはなりますが、そもそもとして「自分に合うところか否かについて」も真剣に考えてほしく思います。
自己アピールは、自分への信頼や自信があってこそ
さて、とはいえ、「面接は自分をアピールするところ」。こういうと、「自分の売り込める部分なんてないですよ…」と言われそうなのですが(汗)。あくまでも「大学入試」の「面接」なので、高校生に「高度な中身」というのはそんな求めてないですよ、どこの大学でも(^^;)。
でも、例えば自分のお財布に216円しかなくて(200円+消費税分ですね)、「特にこれが食べたい!」という具体性はないけれど、何か食べたいかも…という状態にあって。スーパーに行ってみたら、新商品の販促の「試食」がやっているとします。その商品は消費税合わせて丁度216円で、あなたが買ってもいいかもと思う、お腹のニーズにもあった商品ですが、いかんせん新商品かつ知らない会社のお品物なので、「本当においしいのかな?全財産を出すのに本当にこれはいい品物なのかな?」と悩むことでしょう。その際にものすごくいい笑顔で、「すごくおいしいけど、カロリーも少なくて、罪悪感なく食べられる上、食べ応えもありますよ、是非試食してください!」など、自信のある感じで販売員が説明するのと、もじもじして小さい声で、なにか言っているけどよくわからない販売員…というのでは、どちらが「この商品よさそうだな」って思えますか?
販売員の違いは、笑顔と自信のありなしだと思うのですが、結構これ、「面接」でも大事でして。だって、営業販売している本人が「大丈夫かなこの商品」って思っているもの、買うほうだって「本当に大丈夫?」って思うの、当然じゃないですか(^^;)。逆に商品に絶対の自信があって「今、この良さがわからなくても、絶対後日ほしくなるでしょうから」のような余裕すらある場合って、「そこまでよいお品物なら…」って考える人、多いと思うんですよ。
ただ、上記は本当の営業は会社や商品やサービスを営業しているので、商品の良さとか独自性とか、そういうのはわかりよいとは思うのですが、「面接」は「自分自身」の「営業」なので、「自分自身に自信がない」状態だと営業が成功するの、難しいです。
ですので、「面接」で学生の皆さんが「よい自分自身の営業担当」になりたいなら、「自分への自信」というのが「売り込みに必要」なもので、かつ「別段高度な能力ではない」ものだったりします。
ただ、面白いことに優秀な方でも自己肯定感の低い方がいますし、むしろ優秀な方ほど自分を卑下する傾向もなくはないですので、「自分への自信だなんて…」と、今この記事を読まれて困惑している方もいらっしゃるように思います。
だからこそですが、高校時代あるいは幼いころから継続していることなどを考えてみてほしいんですね。もしかしたら「あなた自身にとっては頑張っていることでも、特別なことでもない」ことかもしれない。でも、高校時代の間に続けた経験というのは、すごいことだと思うんですよ。だって、世のお父さんが、子供のためにお弁当を作ってインスタに挙げていたら本になってしまうような世の中ですよ。お父さんからすると「頑張った」というより「作らなくちゃならなかったから」でしょうが、「やらなくちゃならなかったことを実際にやってきた」というのは十分すごいことで、さらにそらが「年単位での経験」というのは、場合によってはこういう風に評価されるわけです(こういう説明を、自己評価が低めの学生さんに何度も説明しても、あまりわかってもらえないことが多いので、これはいつも声を大にして言いたいのですが)。
上記に書きましたとおり、自己評価低めでなくとも、実際自分に自信を持つというのは大人でも難しいことだとは思っています。実際自信って、実は一朝一夕に得られるものでもなくて。だからこそではあるのですが、「なにかで賞を獲得した」とか「上位の段位をもっている」とか、「誰かにありがとうといってもらった」というような部活やボランティアのような活動で、全くの第三者である他者が公平に評価した何かがあると、自信が持てるのかなぁと思わないことはないです。
ただ、賞も段位なども、なかなか得られるものではないからこそではあるので、どの学生さんも皆が皆得られるものではないことが前提です。「そんなもの、持っていない!」ならそれでもいい。何かにチャレンジし続けているなら(チャレンジし続けている上で賞などが難しい状態であるなら)、「どう工夫してみている」とか「どう苦難を乗り越えている」とか「どう難しい状況を楽しいものにしているのか」など、長く苦しんだこその「頑張り」というものがあると思うのです。そういうダメでも、あきらめずに頑張り続ける姿というものを大人は評価すると思うのです。継続して努力できる人だって。
本日のまとめ
実際ブログ主自身、大学で学生の話をよく聞いておりましたので、実際のところ本当に「自分の良さ迷子」の学生というのが思いのほか多いことはわかっています。
そして「迷子」に限って、自己評価が低いだけということもよくよくありまして。
教員の欲目じゃないよと前置きしながら、その学生の良いところをあげつらうんですけど、「そんなの普通です」とか「そんなに良い人間ではありません」と突っぱねられてしまうことも多々ありまして(涙)。
なんというんでしょうね。自分で自分の良さが分からないという方は、周りの人に聞いてほしい。そして周りの人の言うことを多少信じてほしいです(苦笑)。
自分が信じられなくても、「そう言ってくれる他人の言葉」を信じれてくれたら、せめて自信になってくれないか…など、こういう点はいまだブログ主も色々考えます。
単純にね、頑張ったことが「学校での良い成績」でもいいんですよ(笑)。だって、よい成績を3年間キープするって大変なんだもの。
なににせよ、継続して頑張ってみたことがあってくれるといいなと思います。
長くなりましたが、最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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