【雑記中の雑記】本の中の絵画:五匹の子豚:アガサ・クリスティ

修復を学ぶ

ここ最近本棚の整頓をしたく、趣味的に購入した本の読みなおしをしています。

過去に紹介した作品のように「絵画」が主役の作品もあれば、絵画がアクセントとして用いられている作品も色々あって、読み返してみると、意外とクリスティは絵画がでてくる作品がいくつかあるんですね。

今回ご紹介する五匹の子豚もそう。

話の本題と絵画は大きく関わらないのですが、画家が被害者というお話で、傑作となる(と画家自身が思っている)作品を制作している最中に亡くなる、というお話。なので、文章の中では何度か作品に関する構図や色味、印象が描写されており、それがどういうものか想像するのが結構楽しかったりする反面、ドラマや映画のような「映像化」をした場合に、どのような絵画がでてくるだろうか…と色々想像が掻き立てられます。

実際この5匹の子豚はポアロシリーズで映像化されているのですが、原作(本)の中の描写のイメージとはあまり一致しない感じで件の絵画作品が描かれているようです。

原作(本)の中の登場人物の一人が、被害者である画家の作品を酷評するシーンがあるのですが、この描写の印象だとクラシカルな描き方ではなくて、どっちかといえば印象派あるいは色彩的な印象だとポップアート的な印象を個人的に受けました。

これに対して、映像化されているものは、絵画作品自体はチラっとしか出てこない気がするのですが、結構クラシカルな描き方をしているように思います(^^;)。

小説作品の中で「偉大な画家だった」と表現される方の作品を、ビジュアルで出すのはなかなかややこしいものだなと考えたりします。

これと同じに思うのが、音楽系の漫画や小説を映像化するときの難しさではないかと推察します。

ブログ主は一応10年近くピアノを習っていたので、楽器の中ではピアノの音が一番好き…なのかもしれません。だからこそですが、ピアノが出てくる漫画も好きでして、10代くらいの頃に読んだ漫画で、ピアニストがコンサートだったかの前の音の調整で、同じピアノでも「重く、甘い音」に調音するようなシーンが確かありました。そういうのを読みながら「調音だけで同じピアノでそんなに音を変えられるの?」とか、「重く甘い音」というのが非常に気になって仕方がなかったです(笑)。

でも、それこそ絶対音感などを持っていないブログ主。もしドラマ化などがされたとしても、「重く甘い音」ということに納得できないまま見ることになる気がするんですよ(汗)。

なんていうんでしょうね。文章の良さというのは、どこまでも「自分の理想」の絵画だったり音だったりを想像(創造)して読むことができるのですが、自分の想像(創造)と映像化する方の想像(創造)が一致しないことが多々あったりするんですよね(あるいは映像化する上での限界がある)。

あるいは、勿論登場人物の風貌なんかについても想像しますよね(^^)。

五匹の子豚は2023年7月現在、youtubeでドラマ化したものを見ることができますが、画家のエイミアスが甘いマスクの優男で、本で読んだ印象と違ってちょっと困りました(汗。映像化されているものは、原作と話の内容が少々変えられている、ということも要因かと思いますが)。

酒を一気飲みする、気難しい、子供っぽい、リュウマチ持ちの女にだらしない…という描写だと、少なくとも線の細い優男は違うのではないか…と「酒好き」「女たらし」のテンプレ的な風貌をちょっと想像する反面、「女にもてる」ということを考えると、想像が色々膨らみますよね(^^;)。

反面、画家の最後のモデルとなる女性に関しては、本当にはっとする美人が映像化で使われています。伝統的な印象の家庭の中に、(当時にしては)少々先進的な人がいて、違う色彩を放っているような印象を受けるのも面白いところかなと思います。

また、先に原作におけるエイミアスの画風は、クラシカルな印象の作品ではないと考えられると書きましたが、映像化されたモデルのエルサ役を見る限りは、印象派とかポップアートでは確かに収まらない人物な印象。どちらかというと世紀末美術とか、場合によっては新古典主義とかの雰囲気があるかも…と思いつつおりました。そう思うと、映像化された絵画作品が、どちからかというとクラシカルな描き方がなされているのは納得…という感じかもしれませんね。

こういう当てはめなんかをしてみると、小説作品や映像作品など、いろんな娯楽を違う形で楽しめたりする気もします。(反面、全然棚の掃除が進まなくなります。滝汗)

というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました