先日、本当になんとなくではあるのですが、世の中にどれくらいの割合でギフテッドと呼ばれるような方っているのかしらと検索してみた結果、2%程度の割合でいらっしゃるということを知りました。
2%って100人に2人ってことですよね。50人に1人ってことですよね。
ブログ主世代は子供が比較的多かった時代ですので(とはいえピークよりはやや落ちですが)、中学高校では1クラス45人程度でした(しかも1学年11クラスありました)。ほぼ1クラスに1人程度ギフテッドがいてもおかしくなかったんだなぁと考えたり。
あるいは小学校時代は1学年で120人弱だったかな。それで3クラスあったわけですが、もしかしたら1学年中2人ほどギフテッドがいたかも、ということですね。
でも、そんな割合で本当にいたのかな?と結構疑ってしまいます。
なんていうんでしょうね。こういう2%というのは本当に全世界に満遍なく均等に分布していると考えるのが間違いではないかと考えてみたりして。圧倒的に人口の多い東京都だったり、東大進学率の高い開成高校でしたっけ?そこらへん周辺に多かったりするのでは…とか思ってしまうのは偏見でしょうか(^^;)。
実際自分の周囲に対して、「ギフテッドですか?」と確認する術はなく。ギフテッドというものを調べてみればみるほど、「こんな超人的な人、いるのか?」と疑問しかでてこない。
なんていうんでしょうね。勿論周囲に優秀な方、たくさんいます。東大出身者も京大出身者も知人に複数人います。当然これらの人たちは非常に優秀なわけで、ブログ主の知能では「…??」という領域にいらっしゃるわけなのですが、こういう「優等」な方と、いわゆる「ギフテッド」はいっしょくたにできるものなのか?と悩ましく感じています。
日本人のギフテッドである有名人を検索すると、「へぇ、この人がギフテッドなんだ」とびっくりする方とかもいますので、多分、実際には私の周囲にもギフテッドな方、いらっしゃるんでしょうね~。でも、誰も申告してくれるわけじゃないし、微妙ですよね~(苦笑)。
ただ、「ギフテッド」というのは「幸せ、嬉しい、よかった」といった肯定的な感情だけでなく、いわゆる「一般ぴーぽー」とは抜きんでているという意味合いにおいて、孤独だったりするのだろうかと思うことがあります。私のような凡人と一緒に仕事をしていると、「この凡人は、どうして私の考えが理解できないのだ?」とか思ったりするのかなぁとどきどきしてしまいますね(汗)。
ブログ主がまだ高校生だった頃、画塾と呼ばれる美術系大学受験のための専用の塾のようなとこに、文字通り1週間のうち7日間通っていたのですが(さすがにその画塾自体が盆正月などでお休みの際は通っていませんが)、その時どうにもうまくならず。上手に描ける人、教えて下さっている人の「目」が欲しかった覚えがあります。
この人たちにはどうものが見えていて、どうそれが処理されて紙の上に再構成されるのかを知りたかった。
ギフテッドをうらやましく感じるときというのは、こういう「目がほしい」状態と似ているのかもしれませんね。
とはいえ、こういうギフテッドの割合は2%とかいう話を聞くと、ついつい昔の顔ぶれをできる限り思い出して反芻するような感じになるのですが、ブログ主の同級生の場合、個性豊かな同級生が何人か思い出さされてしまいます。もしかしたらギフテッドよりもそっちのほうがちょっと目立つ状態だったりするので、そのせいでギフテッドが隠れて見えてしまうのかもしれないなぁと思ったりもします(あ~でも、賢いからこそ自分の突飛な能力とかを上手に隠し通しているだけなのかなぁ??)。
中でも、マイナースポーツのオリンピック選手だった人が同級生にいるのですが(といってもリアルタイムでは知らず、後に同窓会だか何だったかで知った)、学生時代も目立つ子で、オリンピック選手をするほど人生が順風満帆に見えたその子が、あるインタビューにしていた回答が結構びっくりもので。
人気者で、人情味があって、自信がありそうで…と見えていたその人自身が、「当時の友達と比べると何も優れた部分がなかった自分にコンプレックスがあった」のようなことを回答していて。「こういう人がそんなコンプレックスを?!」とまさにそのコンプレックス時代を知っている周囲の人間だった立場からすると、本当に驚きました。
隣の芝生は青いとはいうけれど、それは一方が一方に思うことではないのかもって。私のような一般ぴーぽーからすると超越した「ギフテッド」とか「オリンピック選手」とか、「ほえ~」って感じでしかないのですが、そういう手の届かないような印象の人々も、悩みがないわけじゃないとか、勝手なラベリングとかで逆に困ってるとか、色々あるんだなと思った次第です。
なんか話がとっちらかるだけとっちらかって申し訳ないですが(汗)。
結論としては結構な割合でいるギフテッドですが、ここまでの人生で明確かつ容易に「あの人はギフテッドだ!」とわからない程度に紛れているようなので(あるいは私の人生に関わらないほどの天上人でいらっしゃるので)、人生上の「ギフト」というのはもしかしたらそんなに大きなものでもないのかなぁと思ってみたりもしています。有名人にギフテッドがいるとはいえ、有名人が全員ギフテッドだったり、お金持ちがみんなギフテッドだったりするわけじゃないですから。
というわけで本日はここまで。取り留めもない文章ですが、最後まで読んで下さりありがとうございます。
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