文化財保存修復のための西洋絵画の歴史:ロココ美術

修復を学ぶ

このシリーズ最初の記事より、美術や絵画の発展の歴史について、ごくごく簡略的なお話ですが、書いております。また、美術史の順番どおりとしてまずギリシャ美術に関してや(ギリシャ美術続き①ギリシャ美術続き②)、ローマ美術(ローマ美術①ローマ美術②)、ロマネスクとゴシックおよび北方ルネサンスルネサンスマニエリスム、バロック美術(バロック①バロック②)に関してすでに記載しております。

本日はバロック美術の次にあたりますロココ美術について記載します。

なお、このシリーズの記事で常に同じに書いておりますが、当ブログでは美術史に関しごくごく簡略的なお話のみを書いていきます。あくまでもこういう記事を読むことで、当時の美術作品および西洋美術史などに興味を持ってただけたら嬉しいな、という記事であって直接研究やお勉強に役立つものではないとお考えください。

ですので詳細な美術史などを学びたいなどの場合は、いろんな文献などがでておりますので、是非そちらをご参照くださいませ(ぺこり)。

ロココ美術とは

フランスバロックの象徴でもあった太陽王ルイ14世が没したのが1715年。

その後を継いだのが太陽王のひ孫にあたるルイ15世でしたが、当時ルイ15世はわずか5歳。

当然ながら幼すぎるルイ15世には政治は行えず、ルイ14世の甥にあたるオルレアン公フィリップが以後8年間の間摂政、つまりルイ15世に代わって国政を仕切ることとなりました。

享楽主義的なオルレアン公フィリップは、かなりの遊び人で、私生活は「酒とバラの日々」でした。

荘重(そうちょう)で儀式ばった宮廷的、貴族的なバロック精神から軽快でカジュアルな市民的ロココへの転換は、ロココの始まりが1720年頃であることを考えても、時代的にはこのオルレアン公の摂政時代にほぼ一致しています。

軽快で流麗、さらに官能的な作品がうみだされたのがロココです。

一般に、ロココ美術においては、直線よりもしなやかな曲線を、静止よりも軽やかな動きを、重厚な色彩よりも、明るい青やバラ色、金や白といった軽快で明るい色彩が好まれました。

また、テーマという点に鑑みても、風俗画や風景画、あるいは静物画といった、美術アカデミーで確立された古典主義の理論の中では低く位置付けられた分野で優れた作品が生まれた様式です。    

この背景には、歴史画を重視する古典主義への反発と同時に、鑑賞者として市民の登場が考えられます。

ロココのこの様式はフランスを発信地としてヨーロッパ各地、すなわちドイツ、スイス、オーストリアなどに伝播していきますが、パリにおいては世俗的な様式をとり、ヨーロッパの他の地域では高貴かつ宗教的な様式をとりました。おおよそ1760年から70年に終焉する様式です。

ロココという言葉が本来は装飾様式を示す言葉であることから伺えるように、ロココの新規性は、市民の生活と芸術の融合、すなわち、「用と美」の調和にありました。絵画や彫刻のような本来の芸術だけでなく、ファッション、インテリア、家具、食器などが一段と華やかに開花したのがロココ時代です。その様式は豪華絢爛ですが、見方によっては贅をこらした、装飾過多気味なものでした。       

また技法材料としても、重厚緻密な表現を特徴とする油彩画に対して、軽快な表現を可能とするパステルが18世紀フランスで好まれ、魅力的な作品が生み出されました。

ちなみにパステルが一般的に使用され始めるのは17世紀から。人肌の表現に適したパステルは、製作が迅速に行えることもあって、肖像画に好んで用いられました。価格的にも手ごろということもあり、上層市民階級の期待にもかなうものとなりました。

本日のまとめ的なもの

あくまでもブログ主の個人的な好みの話でしかないのですが、ロココ美術は「美しいなぁ」とは思うのですが、「美しいなぁ」以上の何かを感じにくくて困ってしまうことが多いです(汗)。

美しいバラを描けば「美しい絵」だろうか。では逆に「老婆」を描けば醜い絵なのだろうか。おそらく絵画が好きな方がこういう問いを与えられた時、「バラの絵」に対して何の感情もわかないのに対し、「老婆の絵」に心を奪われるような経験、ゼロではなかったと思い起こすことがあると思うのです。

とはいえ、「人生自体が大変なのだから、絵画くらいはきれいごとなくらいに、ただきれいなものが見たい!」というご要望な方もいらっしゃいます。「堅牢で荘厳で重苦しい作品を寝室に飾りたくない。むしろリビングや寝室に明るい、軽やかできれいな絵がほしいの」というニーズも、「家に飾る」ということが念頭にあればそうだと思います。寝室にキリストの磔刑図とか、どんな意地悪か、と思いますからね(^^;)。

そう思うと、過去のニーズや画家の意識みたいなものが、今まで見てきた時代毎に段々かわかってきて、こういうところまできたんだなと、ちょっとはっとするかと思います。

我々が当たり前に世界史とか日本史で見る歴史上の人の顔とか、こういう画家さんによるんだぞ~と思うと、世界史とかの挿絵の流れを見るだけでも、変遷だけじゃなく、なんで…っていう表現があったりして、色々調べてみると面白いと思います。

というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

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