このシリーズ最初の記事より、美術や絵画の発展の歴史について、ごくごく簡略的なお話ですが、書いております。また、2つ前の記事及び直近の記事ではギリシャ美術に関してお話しました。
今回はギリシャ美術の次に当たります、ローマ美術についてのお話です。
なお、このシリーズ上ではごくごく簡略的なお話のみを書いていきます。あくまでもこういう記事を読むことで、当時の美術作品および西洋美術史などに興味を持ってただけたら嬉しいな、という記事であって直接研究やお勉強に役立つものではないとお考えください。
ですので詳細な美術史などを学びたいなどの場合は、いろんな文献などがでておりますので、是非そちらをご参照くださいませ(ぺこり)。
ローマ美術ってどんな美術?
先の記事でお話しましたギリシャの次に古代地中海世界を支配したのはローマです。先のギリシャ美術に対してローマ美術は、その土地固有の要素とギリシャからの外来の要素との組み合わせなどによって複雑な様相を示しました。
これはローマがギリシャの影響下にあった都市に次々と攻め入り、その勝利の度にギリシャ美術を大量に強奪したことに由来します。その結果、ローマ美術は、その形成期において、土着の伝統文化を基盤にしつつ、より洗練されたギリシャ美術を理想的な美として吸収し続けました。
同時に古代ローマがギリシャを征服すると共に、文化面においては逆にギリシャ文化を受け入れ、保護、継承することとなりました。
つまりローマの行いの結果、現代においては大部分失われてしまった古代ギリシャの彫刻作品の原作の片りんを伝える重要な資料となっています。なぜなら当時ギリシャ彫刻の主な素材はブロンズと大理石でしたが、ブロンズは鋳直すことで何度でもリサイクルできることから、戦争時に武器や武具に形を変えるために、異民族の略奪の対象にもなりました。つまり、ギリシャのブロンズ像は略奪された場合、必ずしもそのまま像の形を保っていられたわけではなかったということです。
また石像の場合、神殿に付属する彫刻作品は、宗教の異なる征服者による破壊の標的となったため、作品が残りにくかったのです。
しかし古代ローマにて空前のギリシャ美術ブームが起こり、美術コレクターはコピー作品でもよいからギリシャの著名な彫刻家や画家の作品を欲しがりました。このように、ギリシャ彫刻はローマ文化のもとで、ローマン・コピーとして再生され、時代や地域を超えて伝えられたのです。
このようにギリシャの影響を強くうけたローマ美術ですが、人間の理想の身体や相貌を求めたギリシャ美術とは異なり、肖像彫刻においては個人的、あるいは政治的な目的から「その人らしさ」のあるものが作られました。
ギリシャ美術のお話にて、ギリシャ美術では「神のような理想の肉体」を目指したわけですが、これに対してローマ美術においては超越的な理想ではくて個人を表現するようになったということです。
ローマ美術と初期キリスト教美術への移行:概要
ギリシャ、ローマ初期の宗教は多神教でした。ギリシャの場合、有名なギリシャ神話がありますので、そこは想像に難くないですよね。
しかし1世紀頃にローマにキリスト教が入ってきます。多神教のローマにキリスト教のような一神教が入ってくるのは、異質ですので、当初、かなりの抵抗を受けますが、313年に、長く迫害され続けていたキリスト教がコンスタンティヌス帝によって公認、つまり信仰の許可を受けます(ミラノ勅令)。
ただし注意が必要なのは、このミラノ勅令では「キリスト教を信仰しても、まぁ、いいよ」という許可であって、「これを国教としよう」という積極的なものではない、ということです。
とはいえここから爆発的にキリスト教は普及し、美術としても初期キリスト教美術へと移行がなされていきます。
ちなみにコンスタンティヌス帝は330年に、ローマ帝国の首都をローマの他に、東方のコンスタンティノポリス(現イスタンブール)を第二の首都(第二ローマ)とします。これをきっかけにキリスト教世界は東西二つの文化圏に分裂し、東ローマ帝国と西ローマ帝国に分かれての分担統治が始まります。
このように帝国が東西に分かれてからも、5世紀末頃までは、美術としては未分化な状態にありました。すなわちモーセの十戒にあるように、神の姿をかたどって拝む偶像崇拝が禁じられていたため、初期キリスト教美術では、イエスの姿を描くかわりに魚の絵や、シンボルが多用されました。
本日のまとめ的なもの
日本人からすると、海外の古い絵画って宗教的なものが多いなぁと感じると思うのですが、実のところいろんな宗教において元来「偶像崇拝はダメ」から始まっているにも関わらず絵画あるいは彫刻にする、ということが結局生じます。
「西洋絵画=キリスト教絵画」と思いこんでしまいがちですが、こういう印象を持ってしまう理由も今後お話していきますので、また読んでいただけると幸いです。
というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうとざいます。
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