【雑記】全体の意識が変わることが大事:唐招提寺に意図的に傷

雑記

このブログを始めた意図としまして、「当ブログの目的」を読んでいただけるとお分かりいただけると思うのですが、「文化財」を守るのは、文化財保存修復家に限らないと思っているからです。

勿論文化財保存修復関係者だけでなく美術館・博物館の学芸員さんなどの尽力などもあって、文化財は守られているわけですが(学芸員さんは「保存修復」に関する知識・技術を持たないので、修復関係に手出しはできません)、正直それだけでは足りない、と日々思うことからこういうブログを始めています。

あくまでも日本だけではありませんが、ニュースを見ていると結構な頻度で絵画に限ったことではありませんが、文化財に関する損傷の話が出てきます。

それは勿論「事故」「天災」「経年」という「どうしようもなかった」あるいは「予期しなかった」というものもあれば、「テロ」「戦争」「保存修復の知識も技術もない人間に修復を依頼した」「故意に」という「人災」もあります。

近年においては、例えば「地震」に対して「耐震装置」を設置するような、「天災」などに対しても「備え」がなされていることも結構あり、「そもそも損傷しないように、させないように」という予防的措置がなされています。

これだけ色々なされているなかで、それでも「損傷した」というニュースを見ると、大体においては「人災」で。今回見ましたニュースも外国人の少年による「人災」ですね(「文化財、傷付けないで」 唐招提寺が日英2カ国語で注意喚起 奈良 (msn.com) 外部リンクですので、自己責任でご覧くださいませ)。

それは「損傷させた人」が勝手に「これは傷をつけても構わない(あるいは損傷しても大きな問題はない)」と決めつけたことによることが多くて。なぜ、こういう思考に走るのかなぁと、こういう専門にいる身としては不思議でなりません。

だってそもそも自分の持ち物ではないもので、大事にされているもので、「その個人がどうこうしていい権利を有さない」ものに対して、傷をつける、損傷させるということが気楽にできるのが、本当に意味がわからないからです。泥棒とか、放火とかそういうものとなんら変わらない行為じゃないですか。

こういうニュースが頻繁にみられるのが、果たして年々モラルが低下しているからか、昔よりも旅行など他地域に行くことへの利便性が上がったためか、あるいは情報量の向上やブログ主の個人的なニュース内容の興味の肩よりによるものか…正直それはよくわかりません。

ただ、現実としては、世の中の人全員が全員、文化財を大事に思うわけでも、守ろうを思うわけでもないわけで、またそれを完全に間違っているとは言い難いような気もします。

例えばですが、美術館博物館に所蔵されている作品点数を調べてみるとよいですが、日本の美術館などで多いと数万という数の所蔵品があったり、あるいは小さな美術館でも数百点の作品を持っていたりします。

これらを果たしてどれくらいの頻度で点検し、調査し、補修処置をし、場合によっては保存処置などをしているのか、と考えた場合、作品自体のポテンシャルにもよりますが、一度修復を要したような作品の場合、50年(~100年)に一度程度は保存処置などが必要になります(私が知る作品の場合、10年単位で修復処置を要する作品もあります)。

でも実際1館につき1年にどれだけ修復処置が可能でしょうか?仮に1000点作品を持っている美術館の場合、100年に1度、全ての作品の保存的処置を施したいなら、1年に10点、作品を保存修復家に預ける必要があります。しかし実際にはそうはなりません。お金が大変かかるからです。

有名な作品、大事にされている作品は比較的早いサイクルで保存的処置あるいは必要とあらば修復処置がなされるでしょうが、ほとんど収蔵庫から出ない作品、集客が見込めない作品などは、よほど壊れないかぎりはこういう処置にかかる機会は殆どないように思います(だいたいは作品を展示するという直前などに処置が求めらることが多いです)。

勿論1年に1作品も修復しない、という美術館博物館もあります。勿論作品自体のコンディションがよいのであればそれは不要で結構なことではありますが、実際は「したくてもしていない」ということが多かったりするんですね。それは各美術館博物館さんなどの事情によりますし、意志一つでどうしようもできないことですので、美術館博物館さんにとっても歯がゆいことかと推察しております。

こういうのは勿論美術館博物館さんに限ったことではなく、ブログ主なんかは個人所有の作品や企業様所蔵の作品などのご依頼も受けておりますが、「したくてもできない」事情を抱え、処置せずに時間が経過している作品というのは少なからずあるのが現実です。

それは日本だから、ではなく、西洋絵画作品あふれるイタリアや、ブログ主が7年暮らしたベルギーなどでも同じです。

言いたいこととしましては、「守るべきもの」があまりに多すぎると、守っている立場の人としても優先順位をつけて守らざるをえなくなっている状況になっている、ということです。今後この守るべきものというのは増える一方で、減ることがないことを考えると、さらにこの「選択的保存行為」がなされていくだろうと美術館博物館の外から考えています。

でもね。何度もいいますとおり、そもそもにできうる限り損傷させない「予防的保存」がきちんとなりたっていれば、「修復しなくては!」というところまでいくことも少ない可能性も上がります。

近年ある学生が修学旅行先で訪ねた美術館で、作品を壊したという事件がありましたが、正直美術館の所蔵作品を壊すなんて前代未聞…とは思いましたが、もしかしたら若い世代にとっては美術館博物館という場所がどういう場所なのか、わからないのかもしれません。

リアルという場所で生きてきた昭和世代と比べて、ネットのようなある種ヴァーチャルな世界で生きていると、「一つの作品が、いかなる苦労の上で成り立っているのか」ということが想像できないのかもしれません…。

あるいは本当に豊かな世の中になったことで、なんでも「お金で解決できる」「新しく買うことができる」と思っているのかなぁ…と色々考えてしまいます…。奇しくも今回のニュースも、異国人ではありますが、若者のやったことですから…。

なんていうんでしょうね。現在不況な世の中だからこそ、「新しいもの」を買うわくわくのためにお金は出せても、なかなか「もともと持っているものを修繕する」というところには財布の紐は固くて。それはそれでそうだろうなぁと理解はできると同時に、だからこそですが、できるだけ最大限多くの方が、「人災などで壊さなければ、そもそもそういうお金を使いたくないところでお金を使う(修復にお金を割く)必要はなく、もっと有効なことにお金を使えることになるかもしれない」とご理解いただけると、最終的にいろんな人にとっても、最終的に作品にとってもありがたい状況になるのではないかと思うんですよね…。

そうすると修復家の仕事がなくなるじゃないですか?といわれそうですが、そこは無くなりません(^^;)。だって、「人災」的な損傷がなくなっても、どうやっても「経年」などに伴う損傷はなくなることはありませんから。そしてそういう手入れというのは、お支払いする方からするとそれほど巨額なお金が動くことにはならないので、やはり誰にとっても幸せなことだと思うのです。いわゆる歯医者さんなどによくある、「治療のための処置ありき」ではなく、こまめに「予防的保存処置」をして、できるだけ死ぬまで最大限歯を残すようにすると、最終的に人生を健康に生きることができるようになるのと同じです。

だから…というのはなんですが、そもそも論として、単純に「作品を大事にしましょう」という話ではだめなのかなぁとか、色々思います。根本として、「自分たちの手で触れていいものじゃない」という意識をもってもらったり、貴重で大事なものなんだというのが呼吸をするのと同じくらいに当たり前になってくれないと、なかなか難しいのかなと思ったりします。

なんていうんでしょうね。作品なり、作者なり、あるいは宗教、神に対してでもなんでもいいんですけど、「恐れ」「尊重」あるいは「愛情」のようなものがあると、乱暴なこと、傷つけることってしないんですけどね。先に契約書(金銭的恐れ)でも書かせないと、難しい世の中になったのかなぁ…?みんながみんな共通の価値観を持たないからこそ、「大事にしてね」ってことを共通意識にすることって難しいなって感じると同時に、少しでもなんとかできないものかなと祈るような想いをしています…。

急に世の中が変わる!なんてことはないのでね…。でも、今世の中にある文化財や各種作品は本当に大事なんだよーってことが少しずつでも伝わるといいなぁと心より願っています。

本日はここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

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