本日はニュース記事から。
2023年4月26日に、エジプトの観光・考古省が、紅海に面する古代の港湾都市ベレニケで釈迦(しゃか)像が見つかったと発表したそうです。
これによってインドとローマ帝国時代のエジプトの交易活動を知る手掛かりになるとみられている様子。
ニュース自体はこちらエジプト古代神殿から釈迦像出土 インドと交易の印 (msn.com)をご覧ください(外部リンクとなりますので、自己責任でご覧ください)。
こういう文化財っていうのが、ただ存在するのではなくて、歴史の生き証人としてキーとなる例ですね。
ブログ主はエジプトにも、東洋美術史にも、仏像、考古にも恥ずかしながら詳しくはないのですが、発掘物から明確な証拠を得るまでには長く色々な調査を必要とするでしょうから、これからが楽しみですね。また、考古・発掘関係の場合、かつて日本で「自分で埋めて、それを掘り出してうんぬん」という人もいたので、慎重な調査や研究が肝要ですね。
こういうのはあくまでも一例ではあるのですが、ある文化財がその当時の姿のままであること(後年に手を入れて、全く違う姿になる、ということがないこと)は、単純にその文化財の「美観を楽しむ」という意味だけでなく、歴史を正しく理解し、伝えるなどの意味でも非常に重要となります。
反面、「当時の姿のまま」という捉え方もなかなか抽象的かつ哲学的な問題で、どうとも捉えることができる表現でもあるわけです。
文化財保存修復倫理を学ぶ際に必ず名前の出てくる2人セットの有名人がいますが、「当時の姿のまま」という表現の場合は、その2人のうちのひとり、ジョン・ラスキンが頭をよぎります。
ジョン・ラスキンは簡便な表現をしますと「保存修復自体、オリジナルに対して手を入れていることとなんら変わりない(=修復自体が破壊である)」と考え、「手を入れず、壊れていくのをよしとする」方でした。人間をはじめとした生き物と同様、生まれ落ちたものはいかなるものもいずれ必ず無に帰す、ということです。
ジョン・ラスキンの思想は、もう一方の有名人と同様度が過ぎる極端ではある反面、完全にこの人を非難や批判することもできないと思いもします。なぜなら少なからずの人間が、おそらく中学や高校時代にこう思ったことがあると思うからです。「なぜ歴史を学ぶ必要性があるのか」と。もっと明確にいえば、過去を知ったからってどうだと?とテスト前につぶやいた経験、きっと現代の中高生もあるあるかと思います。現代社会でいうと、目に見えたお役立ち度で言えば、理数系に比べ歴史系がどう具体的に人生に役立っているか、わかりにくいですからね…。
また、これは思考実験の「テセウスの船」的ではありますが、「ではどこまでの修復が手入れとしてOKで、どこからが加害となるのか」みたいな論争もありますので、その思考の起点として「修復は、すなわち加害か」という出題を、何度でも突き詰めて考えてみるということは、無駄なことにはならないとも思うんですね。
なんていうんでしょうね。別の記事でも書いているんですけど、基本文化財保存修復のお仕事って「善意」であって、「悪意」ではないんですよね。でも、「善意」でやったから何でもいいってわけでもなくて(わざと嫌ないい方をすれば、この世には「ありがた迷惑」もありますから)。
そういう意味で修復家というのは中立的であるべきで、作品を「そのまま」理解し、評価しなければならない。文化財を引き継ぐ途中の人が、途中で「善意」で、「こうしたらもっとよくなるから」っていう、個人的な意見や考えを作品にくっつけちゃうと、後年の人が「これが当時のそのままの作品?」と、歴史の証人としての疑い(歴史的歪曲など)が出てきちゃったりもするのね(勿論、そこはきちんとした関係者ならきちんと調査しますが)。
そういう意味で、昔のものが出てきたときに我々は「おお、昔の生き証人が!」と思うと同時に、「過去の人がわけわからんこと、してないだろうな」とめちゃめちゃ疑います(苦笑)。「オリジナルのまま」ってことはそういう意味で本当にいろんな方面において重要なんですよ…(極論ではあるんですけど、そういう意味では、ごくごく部分的な意味としてラスキンは正しいわけなので、完全にラスキンが悪とは個人的には言えないと思っているわけです。ただ、現代の文化財保存修復関係者としては、伝えることが可能なモノを次世代に伝える適正な努力をしないことは、未来にとっての幸せではないのではないかと考えますが)。
こういうことを考えるのは無駄なとではなくて、文化財保存修復における「どうしてその作品を残すのか」「どうやって保存していくのか」「どうやって処置していくのか」というところに繋がる話だったりするんですね。
そういう意味で、文化財保存修復関係者は「壊れている→手を入れよう」ではなく、いかに「作品を理解し、それに対して適正であろうとし」ているかをご理解いただけたら幸いです。
最終的に少々ニュースの話からずれてしまいましたが本日はここまで。
こういった修復倫理のお話もまた別途していきたいですね。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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