【雑記】奈良県大和郡山市でマリア観音石造発見?

雑記

奈良県大和郡山市にて、ある町家の改修時に「マリア観音」の石造と思しき像が発見されたとのこと。

「マリア観音」というとあまり聞きなじみのない言葉ですが、「マリア」と「観音」と異質なものがくっついていることはなんとなくご理解いただけると思います。

無宗教的日本人でも「宗教」で「マリア」と聞くと、「イエス・キリスト」の母「マリア」を連想するでしょうし、同じく日本人が「観音様」と聞くと、「観音菩薩」を思い描くと思います。そう宗教的に「混ざっていいのかそれ?」というのが混ざっているのが「マリア観音」です(^^;)。

なんでこんなことが起こっているのかといいますと、かつて日本が欧州から鉄砲とかを手に入れると同時に、キリスト教も入ってきたからです。

現代だと、日本からヨーロッパに行くには飛行機を使えば半日程度で到着できますが、当時は人力や風力を使っての船旅で、ほんのちょっとのほころびや天候などによっては生きるか死ぬかすら関わる大旅行だったでしょうね。だからこそ、「信仰」というものが大きな存在であっただろう時代でもありますし、同時に当時のヨーロッパにおいては(カトリックにおいては)信者を増やしたいキャンペーン時代ですので、わざわざ船旅でも損傷しにくい宗教絵画(大量生産版)が船内に持ち込まれて布教に使われたわけです。

なんせ言葉や文化の異なる人間に布教するわけですから、「言葉だけ」での布教は難しいことでしょう。そういう意味では「絵画」は「言葉」が異なる人、あるいは同じ言語を持つ人間でも文字を知らない人に対してすら共通言語になる方法ですので、そういう意味で宗教絵画というのは非常に布教において重要な意味合いのあるものだったんですね(当時のヨーロッパにおいては文字への理解がある人間というのはそう多いものではなかったこともあり、また「聖書」自体、「印刷技術」がやってくるまでは手にできる人間が非常に限られていたので、違う国で船旅をする時に絵画や小さい彫刻のような「美術」が布教に大きく役立つと予見があってのことだったんでしょうね)。

しかし江戸時代において、キリスト教というのは都合の悪いものでした。おそらく今の小学校とか中学校とかの歴史の時間でも習うと思うのですが、「踏み絵」とか言って、キリスト教関連の絵図などを「踏めるか否か」で信者を探していたほどに。ですので、弾圧することによって、キリスト教信者になろうとする者を「増やさない」「ならせない」「やめさせる」ということをしたかったのでしょう。

しかし時代が変わっても、国が変わってもの宗教あるあるですが、熱心な信者さんほど弾圧されればされるほど…という印象があります(すいません、ブログ主自身は宗教に無頓着なのであくまでも個人的な印象です。汗)。

こういう言い方も正しくはないというか、ぴったりくる感じではないのですが、ロミオとジュリエット効果といいますか。「だめよだめよ」と言われると、さらに熱心になるような。自身が宗教に熱心になったことがないので、こんな感じだろと考えるのは失礼で、ぴったりした感じではない違和感はすでに抱えているのですが…(汗)。

まぁ、いわば幕府がキリスト教弾圧する中で、それでも日本のわずかな信者さんがそれでも隠れて信仰するわけですが、これも宗教あるあるといいますか、人間の心理としてだろうと思うのですが「心のよりどころ」というのは必要なんですね。

寺や神社、モスクのような「場所」だったり、あるいは仏像や仏壇神棚、宗教画、十字架(ネックレスや指輪)、数珠(パワーストーン含む)、お守りといった「物(視覚的あるいは物理的な)」、あるいは教祖といった「人そのもの」のように、「何か」を必要とします。「自分はこの神様(仏様)を信じているから」という心だけでは微妙なんですかね。いえ、ブログ主もお守りとか持っていますので、お守りのある安心感というのを感じるので、あくまでもそういう個人的な感覚の話でしかないですが。

まぁそんなわけで弾圧されているキリスト教徒の方も「なんらか」の「心のよりどころ」が欲しいわけです。

そんな中でブログ主自身が過去に見たことがあるのは、「掛け軸」タイプの「マリア観音像」です。観音様というのは調べてみると性別が決まっているものではないようですが、おおよそほっそりとした体躯で表現されることが多い気がしておりまして、ある種女性的な表現がなされている気がします。そこに目を付けられてですかね、「観音像」が「子供を抱えていても、不自然ではない」的に、「なんちゃって観音像」的に、「聖母子」を描くことで「いざとなったら言い逃れできる」ようなものが制作されたんでしょうね。

なお「掛け軸」というのは非常に便利なもので、広げれば大きな絵画として飾るともできれば、巻いてしまえば大きな作品も中身を見られず小さく収納し、隠すこともできる(信者が実際するかはわかりませんが、巻物の素材からして最終的に焼いて逃げ切ることもできるな、とも思います)。

ただ、これら「マリア観音像」関係や、隠れキリシタン関係はそもそも海外と関わりのある長崎で主に見つかるもので、「奈良」で、というのはめずらしい。

とはいえ、キリシタン検挙の際に、長崎から長崎よりも東の西日本エリアにキリシタンが追放された過去があるようで、その追放された方がお持ちだったのかもしれませんね。

また、ブログ主は文化財保存修復の中でも油絵関係の修復関係者ですので、「絵画」関係のマリア観音像関連は何作品か拝見したことはあるのですが、彫像、しかも石造なんかでも作っているのだなと感心した次第。

ただ、古いものな上大分摩耗など損傷もしているようで、「本当にマリア観音像なのか」など、今後も細心にわたり研究を進めていくようです。

こういう風なことを考えますと、こういう話は文化財保存修復の話なのか、考古とか歴史遺産の話なのか、単純に歴史の話なのか、あるいは宗教や美術の話なのか…といろんなことの複合であることがご理解いただけると思います。

そして、それらすべてを学ぶべきなのが、実は文化財保存修復の業界であったりするんですね。勿論全てを専門的にというわけにはいきませんが、考古や歴史の先生、宗教や美術の先生などとの会話がスムースに行く程度には自ら学ぶ必要性があります。

そういう意味合いで文化財保存修復の人間が「壊れている→手をいれよう」という業界でなはなく、医療と同じにいろんな研究を要する業界であることが少しずつ広まっていけばいいなと思っています。

また、こういう新しい発見により、小さなことであっても歴史的なことがわかっていくとよいなと思います。

というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました