ここしばらく紙の記事を書いていますが、2つ前の記事からその中でも羊皮紙の話を書いております。
なお、2つ前の記事や直近の記事でも書きましたが、羊皮紙は一般的には「紙」ではない、ということを前提としてご理解ください。
また、多くの場合この羊皮紙が「絵画」に使われるという機会は決してゼロではないものの、実際「絵画」としての作品を見ることは殆どないこと。そして多くの場合は文字のための基底材(媒体)になってることから、直近の記事より文字に関するお話をしております。
また直近の記事にて、文字の発祥は不明ではあるが、紀元前4000年から紀元前3000年ごろには体系としては完成していない上で、何かを表すシンボルのようなものが生まれていたようだ、ということをお話しました。それはある種の必要に駆られて、ということでした。
でも、文字の使用がもし「所有」などに関わる(「このプリンは俺様のものだ」的な)ものに終始していたとすれば、ここまで発展することはきっとなかったのでしょう。それだけなら例えば地図記号的に「マーク」があればよいことですから。
こういった疑問に対し、私は文字などに関することが専門ではありませんが、本を参照するに、文字の発明の理由として一つ目に考えられるのは、法令のためなのだそうです。なぜなら社会の秩序を保つには、社会のきまり、法令が必須ですが、同時に法令は永続的に提示される必要性があることからも、文字を要したのだそう。
また、二つ目の理由としては歴史が考えられるのだそうです。
程度の差こそあれ、いかなる人間にも虚栄心があります。虚栄心とは自分を実力以上に見せたり、見栄を張りたがる心を指すものですが。「文字として自分の何かが後世にずっと残りますよ」ということが前提である場合、そしてそれが権力のある王様ともあらば、「自分はほんとダメな人でした」というよりは、「自分って、こんなにすごいことをした、すごく優れていた、すごく頑張った」ってことを遺すと思うのです。誰しも。
現代とかだと「デジタルタトゥー」で一度ネットに載っちゃったものは、永遠に消えないと言われていますが(「忘れられる権利」すら求められていますね)、ネット上でも「キラキラ生活」を載せたい!という人、「かわいい私」「かっこいい僕」を見せたいという人はいても、「ダメな自分」を世界中に、後世まで残したいという自虐的な人は多くないと思うのです(後世ではなくて、「今」「現在」自分がこんなで困っている!助けて!の発信のための方はいると思います。こう考えると、「書く」「記録を残す」「伝える」の在り方が昔と現在では違う部分もあるのかもしれません)。
閑話休題。こういうことを考えると、一国の権力者である人が、「自分の業績が残る形で示しておきたい!そのため、碑文や歴史書を遺したい!」となるのもわかります。また「勝てば官軍」という言葉があるとおり、「勝ったものが正義として、勝者にとって有利な歴史が残される」のも理解できることでしょう(歴史は勝者の都合のよいよいに作られているという話はよくよくありますね)。そしてそのために文字が発明されたと考えられているようです。
そういった経緯を経て、例えばものの形や動作、現象などの姿かたちを単純化し、文字として体系化したのが象形文字です。象形文字といえば、紀元前3200年ごろの古代エジプトで成立したヒエログリフ(神聖文字)が有名です。
ヒエログリフは神官や王族など、限られた人々だけが読み書きできる一種の暗号だったようです。とはいえ時間をかけて石に刻まれたために、記録として残り、世代を超えて変化せずに長く使われたようです(つい「恩は石に刻め 恨みは水に流せ」という言葉が思い起こされる感じです)。
ちなみにヒエログリフで有名な遺物だと、ロゼッタストーンがありますが、これには、プトレマイオス5世の戴冠式を行うという布告が書かれていたといわれています。
また、他の文明では別の文字が使われていました。例えば、紀元前2600年頃、現在のイラク、クウェート周辺で栄えたシュメール文明では、シュメール文字が成立しました。
シュメール文字は、楔型文字ともいい、象形文字のヒエログリフとは全く異なる文字体系でした。粘土の板にとがらせた葦という植物の茎を押し当てて、楔のように見える線を数本刻んだ、単純かつ抽象的な図形で構成されていたようです。
柔らかい粘土の板に書けるため、石の上に刻むのとは異なり文字を記すのに時間もかからず記載することができます。さらに基底材が粘土であるため、仮に書き損じをしても修正することができます。また、天日乾燥や焼いて陶器にすることで長く保存することもできる特徴がありました。…いや、これ、正直すごい発明ですよね!
文字が作られたこと、そしてこの「消せない基底材」の存在(焼いたり乾燥させた粘土に刻まれているため)のおかげでシュメール文化においては「契約」が登場したといわれています。「そちも悪よのう、越後屋」的なことがあると、「お約束事」が揺らぐといいますか、信用のないものになりますが、「消せない基底材(偽れない基底材)」と文字の発展によって非常に堅固な強固な約束(契約)ができたというわけなんですね。だからこそシュメールのタブレット(石版)は、証文や約束手形のような役割を果たしました。こうして商取引信用が保証されたことで、シュメールは繁栄し、富が集中したそうなのです。こう考えると文字の存在と、「基底材の性質」の在り方が経済すら変えるというすごさを感じますね。
反面文明が栄えたことで、シュメールは周辺から戦争をしかけられるようになり、周辺諸国との戦争が絶えなかったようです。新に経済的に発展した街や国を作るより、すでに発展している街や国を制圧・略奪すればことは簡単ですからね(いえ、される側からするとたまったものではなく、制圧・略奪する側にとってもあくまでも一時的な「幸せ」に過ぎないですが)。ただ、皮肉なことに、戦争によって粘土板の倉庫が焼かれたため、焼成されたタブレットが後世に多く残ることとなりました。こういう基底材を使っていてくれたからこそ、戦禍に合ってすらこうして我々は色々知りうることができた、というわけです。
とはいえ、石板や粘土版の場合、多くの情報を持ち歩いたり、「あの文章どこにあったっけ?」と探すのが大変だったり、保管に場所をとったりといった困った部分も多かったとは思います。でも、紙以前に記録媒体がなかったわけではなく、また文字があったからこその恩恵もあったことがわかりますね。
なんといいますか、それこそ中学高校生の頃は、こうした紀元前の歴史みたいなものを学ぶ意味というのが正直ブログ主にはわからない、と思っていたこともありました(汗)。
でも、それっていうのは「面白いと思えるほどまでは理解していないから」ともいえるのかもと思いつつおります。
直近の記事や当記事にて、「なんで紙の話で文字の話?」となっている方もいるとは思いますが(そしてもう少し文字の話は続く予定ですが)、こういうことを知っておくと、今すぐじゃなくとも、そして直接的ではなくとも役に立つこともあるかもねくらいに思っていただけるとよいかなと思いつつおります。
というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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