文章の向上には「書く」経験と同様に「読む」経験が重要

修復を学ぶ

ここしばらくは卒論関係の記事を書いていますが、この記事は別段卒論を対象にしているわけではなく、「文章を書く」ための話です。

端的に言いたいことはタイトル通りです(笑)。記事の内容のほうがおまけみたいなものですが、よろしければ読んでみてください。

上手に絵を描くためには「よい絵」を見、上手な文章を書くためには「よい文章」を読む必要がある

ブログ主が最初に得た学士の称号は「油絵専攻の学士」(絵を修復するほうではなく、画家になるべく絵を描く技術を得るほうの学士)でした。

この学士の4年間(+ブログ主の時代はAO入試などはなく、最低12倍の倍率の受験戦争を戦う必要があったので、画塾に通っていた3年間も加え)、絵を描く経験が多ければ多いほどというのもしかりですが、「よい絵」と言われている作品を見る、研究するということも非常に重要なことでした。

また、単純に「写実」という「目に見えたものを見えたままに描く」技法においては、その「描くべき対象を見る」ということが非常に重要です。この時、「見る」なんて当たり前の行動じゃないかと思われると推察するのですが、日常生活の「見る」と絵を描く際の「見る」は意識の違いがあるので、ちょっと違うんですね。これはおおらく絵画科という場所で学んだ方はご理解いただけると思うのですが…。

なんていうんでしょうね。絵を描くという一見、「創造的」なことなんですけど、実のところこの世には「全くのオリジナルの芸術品」はないと言われていて。というのも、あらゆる芸術的技法というのは過去からの積み重ねで、いろんな過去に極められた技術が未来に具体的に人に受け継がれることもあれば、秘密の技法として作品のみが伝えられる場合もあって。だから過去よい現在、現在より未来ほど、高い表現性というのは理論的には高まるわけです(勿論謎の技法を使う超人なんかもいるので、すべての技法が具体的に引き継がれるわけではありませんが、作品は存在するのでね。^^;)。ですので実際絵を生業にしている画家さんなんかが「困ったなぁ」という時に行く場所が美術館であると画家さんから伺ったことがあります。美術館にある作品たちから、そうやって学ぶこと、見るべきことっていっぱいあるんですね。

あるいは一番簡単に絵を学ぶ方法として言われているものに「模写」という方法があります。すなわち参考にしたい良質な絵を、自分の手でコピーのように描くという方法です。この模写によって構図や色の配置のバランス、色の作り方や人物などの描き方など、模写した画家さんの考え方のようなものを学ぶことができます。この方法は逆に、技術的な方向性のみで、学び手の個性の尊重などがないのような視点もあるのですが、そもそもに「絵を自由に描きたい」のであれば、「技術」がないとそれが実現しないことを考えれば、それほど不利益が大きすぎない学び方です。この「模写」という学び方においても、「模写する対象」をよくよく観察し、「見る」ことが非常に重要だったりします。

このように「描く際」には過去の「よい作品」を見て学んだり、あるいは写実や模写のように「描くべき対象」をよくよく「見る」ということが、描く技術と同様程度に大事ということはなんとなくでもお分かりいただけるかと思います(なお、ブログ主が小学校1年生くらいのころ、「お友達の顔」を描くという授業がありましたが、1分間一部分のみ、例えば片目だけのように観察し、観察した部分のみ描くことができるという福笑い形式のような描き方を要求されました。意外と思われるかもですがこれ、小学1年生でも上手に人の顔が描けたりします。普通1分間、片目だけ見るとかしないですからね)。

これは文章を書くときも同様です。まず「よい文章」ってどんななの?という、青写真が頭の中にないと、五里霧中の中で文章を書く羽目になります(苦笑)。特にレポートや論文はおおよその形式がありますので、その形式さえ踏んで入れば「読みやすい形式」のレポート・論文にならないわけがありません(勿論内容まるうつしはダメですが。苦笑)。

ですので、レポートに関してはレポートの書き方のような本を購入されて、それを読むことをお勧めするのですが(レポートの具体的な例を読むことはなかなかできませんからね…)、卒論に関しては過去の卒論がありますし、特に卒展などで「優秀作品」や「順優秀賞作品」と言われた論文がどれかなどのチェックできますので、そういう「優秀」とされた論文(研究)がどうして優秀なのかを過去論文を見て見るとよいのです。

もし卒論は非常に文章として長いので、数を読むのが大変というならば(とはいえ、教員は短期間でそういう学生さんの論文を何度も読むんですよ。大変ですね。笑)、大学あるいは大学研究機関、もしくは美術館などが出している研究紀要などを読むように心がけましょう。研究紀要は全体で見てもページ数そんなにないですし、1つの案件に関してわずかなページ数で説明がなされているので、「専門に関する」説明は勿論、端的にものごとを説明することの参考になると考えます。

もし時間があったらやってみて

ブログ主は6年間留学をしていたのですが、フランス語は付け焼刃でしたし、言語には本当に困りました。特にフランス語圏の大学は文法に非常にうるさかったり(日本のように、「まぁまぁ、外国人の文章だから…」がない)、非常に論理性を求めるので、日本という情緒系の国出身の場合、この「論理性」というところで躓く気がします(というか、ブログ主はここで躓きました。苦笑)。

というのも、おそらくフランス語圏だけでなく、ヨーロッパ全体の傾向だとは思うのですが、「論理的な説明」ということを大学に来て初めてやるのではなく、小学校段階から連綿と学びます。なんなら「遅刻の理由」なんかも論理的に説明するそうです(これは小学生などのお子さんがいる方からの受け売りですが)。

これが大学ともなれば、試験は全て記述なので当然論理性が求められ、レポートも理屈が合わないものは不合格、半期に一度提出する報告書は数十ページと日本の卒論程度の文章が要求され続けるという地獄でした(真顔)。

そんな地獄を非フランス語圏出身者の、フランス語付け焼刃の人間がどう頑張っていたかというと、「フランス語母語者が書いたとみられる、専門関係に関わるできうる限り短く、フランス語初心者でもわかりやすい文章の要旨(ある程度権威のある活字のもの)」を探し出し、常にそれを下敷きに文章を書きました。

「構成がどうなっているか」「言いたい主題に対して、どう説明しているか」「文法がどうなってるか」こういうことをその短い要旨から研究して(短いものだと何度も容易に読める上、上記がわかりよい)、最低限そのセオリーを守るとなんとかなりました。

とはいえ、海外の大学の場合、与えられる資料が各授業につき100ページ越え。それに加えて自分で文献研究しないと与えられたものだけではどうにもならないので、半期に10以上試験(あるいは報告書提出)がある場合は普通に自主的に探した資料だけでも1000ページくらいは探し出して眺めるので、普通にいろんな文章を読んでいる、ということが前提になりますが。

「こういうことを説明するのに、どういう言い方、構成をすればいいんだろう」を自分でゼロから考えるより、よい文章を知っているとそのマネをすればいいことを知っていると、読んでいる資料などの量が多いほど、「あれをマネよう、これをマネよう」と引き出しが多くなるので、初心者でもよりよい説明文が書ける確率があがります。

実際作家さんとかも、プロになる前に、文体研究とかのために参考にしたい作家さんの文章をPCで全打ちするみたいに「模写」したりする人もいたりします。だからマネって非常に大事ですし、マネができるネタ(よい作品、よい文章、よい報告書)を知っていることが大事ですし、またそこからその「良さの本質」が獲得できると一番いいんですよね。

ですので、学生さん本人が色々専門の本なり報告書なりを読まれて、「これは参考になる!」っていう指針がひとつ得られて(適正なものがよいですが…)、そこからしっかり「よさの本質」が見いだされると、格段に自身の文章にそのよさが投影されるので、ぐっと文章がよくなります。

是非そういう指針の文章を見つけて頂きたいものです。

本日のまとめ

ちなみにブログ主が過去に読んで一番「うわっ」と思ったのは専門関係かつ理系の要旨です。

理系の話ですので、そもそもに起承転結の理由が非常に明快でわかりやすかったのと、ブログ主はそもそも理系が得意ではないのですが、その得意ではない人が「なるほど」と理解できる文章だった、ということが「うわっ」の理由です。

その要旨は留学中の授業の課題で自主的に探してきた(物理的にコピーした)もので、最終的に授業の終わりに先生に持っていかれてしまったので、私の手元にありません(苦笑)。いまだ、あのコピーがあればなぁと思うことがあるのですが(^^;)。

そういう「わかる文章ってこういうのか!」という実感の経験を学生の皆さんが経験されるといいなぁとも思いますし、同時にブログ主が留学中に常に「下敷き」にしていた要旨はそこまでの感動はないのですが、「使える」要旨だったので、文章が苦手な方の場合はこういう「使える」要旨が見つかるといいねと思います。

いろんな文章をただ読むのではなく、いろんな視点で考えながら読めるとよいですね。

というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

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