本日は専門的でも教育的でもない、あくまでも個人的にこういう風に感じているというお話です(汗)。
ブログ主が大学で教鞭をとっていた頃に、ブログ主自身が授業で話していたことな上、私のゼミに所属していた学生の何人かが同じことを口にしていたので、今回はそれをテーマに記事を書いてみます。
当ブログ内で何度も、文化財保存修復のお仕事は「お医者さん」のお仕事に似ている、ということは書きました。また、ブログ主が勤務しておりました大学のオープンキャンパスにおける説明会でも全く同じお話をしておりました。
しかし、文化財保存修復のお仕事においては、「処置をする」前に必ず調査をする(これは医療などでも同様ですが)必要があります。医療においては、例えばX線をかけたり、CTを撮ったり、サンプル採取などをして調査することなどに当たります。これらの作業、個人医院の場合はある程度お医者さん自身がなさいますが、検体サンプルに関しては専門の調査機関が実施しているでしょうし、全ての専門的調査をお医者さんだけではやりようがなかったりします(そういう意味合いでは総合病院とか、大学病院というのはあらゆる専門の方が揃っているので、必要とあらば最大限に調査ができるというものですが)。
文化財保存修復においても、調査は必須事項で。国宝や指定文化財など、「権威」(とでもいうのでしょうか)が高いものほど、実際的に処置をする前に本当に様々な調査を実施します。これは作品自身への理解を最大限深めるとともに、どうして損傷が発生したのかや、現状の保存状態、今後どのような環境や保存体制にあれば同じような損傷(およびあらゆる損傷)を発生させない、あるいは発生リスクを緩和させることができるのかなど、「リアルタイム」だけでなく「未来」のことも含めてあらゆることを考えるために必要な調査をしているわけです。
これ、国宝や指定文化財に関しては、という言い方をしていますが、本来処置をする限りはあらゆる作品に対しても同等に調査をすることが好ましいのです。でも、実際はそこまでの調査はしない。なぜなら、「調査にはそれなりにお金と時間がかかる」ためです。
皆さん、非常に身体がつらい、でもここで休んだら休んだ分だけお給料が得られないかも、こんなに病院関係で仕事をお休みしたら近い未来にお仕事への信頼が得られないかも、そもそも医療に裂けるだけのお金が潤沢にない…、と来たときに、今日も検査、明日も検査、検査、検査…、一カ月検査って、きっと嫌になると思うんですよ(苦笑)。全然身体はよくならないし、ずっと検査でお金ばかりなくなるし(汗)。
特に現代は「迅速さ」が求められるな世の中で、できるだけ「早く、迅速に、効果的に」という状態で。そうでなくとも、病院に行っている段階ですごくつらい状態にあるのに、それが治らない状態でそのまま何日もすぎる、お金も無くなる、というのは誰しも耐え難いものなんですよね。
それは「モノ」に対してもそうで。「ぱぱっとなおしちゃってよ」と、我々保存修復家はよく言われます(言葉としてこうではなくても、ニュアンスとしてこういう言葉を言われます)。正直いいますと、すごく悲しい瞬間です。
でも、実際は修復ってそういうものではなくて。最小限でも調査がしたいわけです。感情論ではなく、病院でも事前調査なしに治療しないよね?という当たり前の行動として。
調査を深くやるほど、処置への安心感が重ねられるということへの理解が得られれば、色々できるのですが、実際調査には「時間とお金」がかかる。結局のところ、その「お金と時間」を負担するのは作品の所有者あるいは所蔵者なわけで、現代において「修復」という、新しいものを購入するのとは異なるアクションに対してなかなかお金って出ないわけです。
勿論、軽傷(人間でいうと転んで擦り傷ができたとか、食べすぎでお腹が痛いみたいな、病院にいくほどでもない、あるいは病院でもそれほど検査する必要がそもそもない症状)の場合、がんがん無駄な調査や検査をする必要もないとも思いますが。
調査や検査って結局こういう「本当に必要なの?」「無駄じゃない?」「処置自体だけじゃなくそこで稼ごうとしていない?」という疑いがかかる部分でも確かにあるとは思っていまして(病院などで一度は疑ったことがある経験、誰しもあったりしませんか。苦笑)。だからこそですが、ただでさえ「修復」という処置自体に二の足を踏むのに、調査代がかさみにかさむ状態を、一般的に人は好まないとも思うんですよね。だって、調査だけでは何も治った状態にはならないから。急がば回れなのですが…、世が不況的な状態であるとなお、そうは思っていただきにくい部分もあると思います。
とはいえね、国宝やら指定文化財に対してなにかやらかすことは絶対できないため、有名な作品大事と考えられる作品に対しては、どんなにお金(と時間)がかかっても!とはなりますが、それ以外の作品にとってはなかなか状況は難しいですね。
と、なかなか話自体が遠回りしておりますので閑話休題。
規模の大小の差はあっても、作品に相対する際、一番最初に「調査」なしということは決してありません(調査なしでやる人がいたら、それは業界の人・専門家ではないので、そいう方に頼むのはやめましょう)。で、その調査において、少なくともブログ主のゼミの中では、「なぜ?」「どうして?」ということを常に聞いておりました。
例えば「この作品のこの傷は人為的なものである」ということが言いたい場合など、「なぜならば」が必要です。なぜなら、我々の仕事は壊れているものに処置することだけが仕事ではなく、再発防止などにも努める必要があるためです。人為的であることが確実な場合、さらにそれが「故意」なのか「事故」なのかを追求し、再発リスクの低下・緩和のための提案をしなければなりません。
専門外の方が思う我々の仕事にはこの「なぜならば」と「再発防止」という考えが抜けていて、ただ「壊れている→処置をする」人と考えられがちですが、そもそもに「作品(および作者)」そのものへの理解もなく、また損傷の発生理由などへの理解もなく、処置は不可能なんですね。いや、処置自体はできるかもです。でも、「適正処置」は不可能です。
ですので、「この作品のこの損傷は人為的なものである」ということを、あてずっぽうで言われても困ってしまいます。必ず「~だから」が必要ですし、さらにいえばこの理由には必ず明確な証拠がほしいものです。
これがミステリ小説である場合、都合よく都合のいい証拠が落ちていたりします。ちなみにブログ主はアガサ・クリスティ―の小説、大好きですので、よく読むのですがそれでも突っ込みどころはありまして、【アクロイド殺し】なんかに見られる【~の切れ端(話の重要な物品ですのでごまかしております)】なんかは都合よく落ちてないよ!と突っ込みたいところもあります(苦笑)。
とはいえ、クリスティー作品のポアロシリーズなんかで本当によくポアロ氏が語る言葉が非常に文化財保存修復でも重要でして。というのは、「一つの証拠(一人の発言)を見つけても、一気に全部を考えない」「複数の証拠、複数の証言が同じことを指した時に1歩進むことが可能となる(あるいは信用するに足る)」ということです。
学生さんが授業においてはじめて作品の調査をする際にあるあるなのが、一つの証拠で「決めつけてしまう」こと。そして「一つの証拠で一気に一歩以上前進してしまうこと」。それは間違った道に誘われてしまうやりかたです。
どうしてこれらがまずいのかということは、次回の記事に続きます。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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