大学では勉強せずに卒業できるの?3/4

修復を学ぶ

2つ前の記事直近の記事との続きとして、タイトル通りの話を書いております。

直近の記事において、今の日本の大学のシステムはよその国もシステムを中途半端に持ってきている状態かつ、どういうことがシステムを持ってきた国と違うのかということを説明しました。

その上で当記事ではもう少し踏み込んだ話をしようかと思っています。

ブログ主は日本で大学・大学院を出て、海外でも大学・大学院を経験しているので、その上で日本の某大学の先生の話を知人に持ってこられた時に(これは紹介してもらったという意味で、就職する上では勿論普通に何度も面接試験などを受けています)、大学の先生の仕事ってそんない学生に構わなくてもいいし、いいな~と思ったことは事実です(苦笑)。

その上で本当に日本の大学で教鞭をとって本当にびっくりしたことですが、学生だけでなく学生の親御さん自体が「学生のつまづき(単位が取れない、留年の可能性、引きこもって大学にいかない等)」を学生の問題ととらえず、教員あるいは大学が悪いと捉えるってパターン、本当に多いんですね。自分自身が大学生の頃には本当に考えられないことで、ただただびっくりしましたし、今改めて考えてみても正直どうしたものかなぁと思うことではあります。

もともとね、ブログ主が日本で大学生だった頃も、皆が皆勉強がしたくてしょうがなかったというわけではなかったことは理解してるのです。なんといいますか、そもそもモラトリアムを楽しみたい人が来ている部分も勿論ありましたし、もともとやる気があった学生さんが色々な現実を知ったり経験をすることで落ち込んだり諦めたりする現実も知っています。でも、そのために成績が低空飛行だったり、単位を落としたり、留年しても、「自分の選択である」「自分の招いたことである」っていう覚悟みたいなものが当時の学生にはあったと思うのです。おそらくそれらの学生さんは、親御さんから怒られることなどもあったでしょう。でも、大学に親が文句を言うなんてことは前代未聞でした。だってどういう理由にせよ、勉強しなかったのは自分(学生自身)だからとか、自分自身頑張っていたつもりだったけど、よくよく回りを見渡してみれば周囲の頑張りと自分のそれの違いというものに漠然としてでも薄々気づく部分があったりしたからです。

反面、最近の学生さんにおいては(こういう言い方は古代エジプトからの言い回しのようでちょっと嫌ですが)、「高評価は自分の実力、低評価は教員が悪い」と思う方が少なからずいて、しかもおおよそ学生がそういう考え方をする場合というのは親がでてきちゃったりするので、日本の大学の教員も正直な低評価がしにくくなっている部分、あると思うんですよ。

実例としては、「一つでも単位を落としたら、即大学辞めさせます」と教員側に宣言する親御さんがいました…。教員側にそれをいうと、ちょっとした「うちの子の単位落とすなよ」という強迫的なものになりますからね…。そういうセリフは自分の子供だけに言って、発破をかけてあげてほしいです。

さらにいえば、「自分が試験で正しく回答できないのは、教員の教え方が悪いからだ!」と授業アンケート(学生が授業を評価するもの)で低評価されちゃいますからね。学生自身が勉強しないだけなのに、教員の命綱を握っているのって、正直どうなのかなと思うのです。そこは、教員の立場として、勉強しない学生の単位をきっちり正直に落とせたり、あるいは留年をさせやすい状況であって初めて50:50だと思うのです。勉強していないことが明白な学生に単位を与えなくちゃいけない、その上で学生が教員に理不尽な評価をするって変でしょう?でも、今の日本の大学、特に勉強しなくても入れる大学なんかはその傾向あるんじゃないかな。

海外から日本に戻って見たら、パワハラだのアカハラだのよく耳にするようになりましたが、今の日本の学校でよほどのバカでない限り、パワハラもアカハラもする先生いないですよ(昔は勿論いましたよ。気にいらないというだけで理不尽なことを大学・大学院教員から言われ、されたことあります。死んで出直せとか、普通に日常で言われましたよ。笑)。でもね、今の日本の大学機関の場合、教員が弱い立場なんですよ。もっと明確にいえば、パワハラ・アカハラという大義名分をもってして、学生は喜んで弱い立場を競ってとろうとします。弱い立場が、今や社会的に強いことを知っているからです。「自分が弱い立場なのに、教員に●●って言われた~」って言えば、本来自分がやらなければならない義務(レポート、研究、卒論など)を免れた上で卒業できると理解しているからです(自分がレポートを提出しない上、男性教員に単位くださいと言い、男性教員が拒否したところ、自分で自分の服を破り、「乱暴された」と言った女性学生が過去にいたという話も聞いたことがあります)。だからこそ、教員は学生に強い立場では接しません。そういう風に接することはできません。成績においても。「勉強しましょう」が学生から「パワハラ」だと言われれば、「パワハラ」だからです(当たり前のことしか教員は言っていまっせんよね?でもパワハラの定義は「感じた人がそうなら、ハラスメント」だから。最近はこういう逆ハラスメントが大学に多いです。このため最近教員は学生を適正に叱ることができないことも多い。)ですので「不可(F)」は相当な覚悟をして、どの先生もつけているはずです。学生が「ハラスメント」だという可能性もありますし、親が乗り込んでくることもよくよくあるからです。

と、本日はここまでですが、どうでしょうか。教員の苦労とか苦悩はご理解いただけますでしょうか。

かつて、ブログ主が日本で大学生だったころは、教員である先生は自分の研究にある程度没頭することができ、正直学生への対応というのは最低限で済みました。でも今の大学はそうではなく、殆ど中学生相手レベル(義務教育レベル)での学生対応、しかも非常に理不尽な学生対応に追われることが多いです(こういうのはすでにブログ主が大学での業務をしていないためです。大学で業務をしている頃には口が裂けても言えないことでした)。

ですので本来大学から求められるような「研究」をしたいにも関わらず(大学に対してお金になる研究結果を提出する必要があるにも関わらず)、実際はそれが非常に難しかったり、「大変」という言葉では言い尽くせない状態だったりするんですね。大学と学生の板挟みですので…。

というわけで最後までお読みくださりありがとうございます。

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