3つ前の記事、2つ前の記事、直近の記事とシリーズでタイトル通りの話を書いております。
当記事を読む前に、もしご興味がありましたら前記事を読まれるとより内容が理解しやすかと思います。ぺこり。
2つ前の記事などは外国の大学と日本の大学を比較したりもしましたが、今回は少し同じ日本の大学でもブログ主が大学生だった頃(早くも四半世紀近く前のことですね)と現在の大学とか、大学とか教員の立場の難しさという点をお話したく思います。
日本の大学といったらブログ主時代においても、あるいはおそらくバブル期とかにおいてもそもそもに海外とは違って「卒業しやすい」とはいわれていました。でも、当時よくいわれていた海外の大学との違いとして「入学は難しいが、卒業しやすい」だったんです。美術系なんかの倍率は当時「最低12倍、最高45倍」(これでもブログ主の時代は受験者人数のピークから少し落ちた時代ですので倍率が下がった口ですが)、AO入試や総合型入試はなく、センター試験なども受ける必要性がある上で、画塾にいく必要がありましたので、入るまで本当に大変でしたし(美術系は多浪は当たり前でしたので、ブログ主は一浪していますし、同級生にはすでに大学を卒業していてもおかしくない年齢の方が初めて大学に入るという状況で同級生をしていました)、「大学に入れた」ということは大学が求める知識と技術があるからだったんです。
ですので、ブログ主が大学生だった四半世紀位前の頃の「大学で勉強しなくても」というのは、もともといかなる学部であろうとも、センター試験での足切りにも耐え、少なくとも今現在の大学受験の倍率よりははるかに高い倍率でも戦い抜けるほど勉強してきたという実績のある人達が大学生をしていたので、「勉強の仕方」とか「勉強の要領」がわかる人たちばかりが(あるいは少なくとも受験戦争という苦痛と苦悩に耐えてきた人達が)大学で手を抜いても卒業できた、という話だったんだと思うのです(勿論全然コスい手を使わなかった人がいないとは言いません)。同級生に普通に浪人・多浪経験者いますし、上から落ちてくるのも当たり前。「できなきゃ、やってなきゃ、単位もらえない、進級できない、卒業できないは当たり前だよねー」ってOKでもダメでも、誰かのせいではなくボーダーに足りなかったんだなーってフラットに生きていたと思うんですよ、当時。
現在はどうかというと、学生の出席回数が危なくなると学校から連絡がいきます。一部の授業の出席数に限らず、大学に学生が来なくなったなと思うと、面談を実施したりします。私が教鞭をとっていた大学だと、1年生の前期後や2年生の前期の後(夏休み前くらい)に状況の危ない学生の親を読んで面談もしました。正直いうと、「中学生か?!」と思いながらのことを大学生に対して実施していました。これって「大人扱い」ではないですよね。
勿論全ての現在の大学生が子供かというとそうではなく、精神的に悟っているような学生さんもいましたし、非常に賢い学生さんもいましたので全員が全員ではないのです。でも、大人になれないまま、なるつもりがないまま大学生をしている学生さんの割合というのが各学年に1人2人ではなかったというのが現実で。「大人じゃない」から、「自分にとって困ったこと」が全て「他人のせい」となるので、大学側も最大限そんな彼らが単位を落とさないように、卒業できるように必死になるわけです。
だからどんなに「単位を贈呈するには不足すぎるだろ~!」と教員自身が思っていても、大学のあるいは学科などの規定をぎり侵していないものであれば、涙を呑んで単位を渡します。今の学生(あるいは学生の親)は、「アメリカの訴訟か?!」と思うくらいに「学生は弱い立場なのに!」ということを言います。いかに学生本人が勉強していなくても。「私(学生)が勉強していないのは、教員の教え方が悪いから」と転換するからです。自分で自分の責任をとらないからです(勿論全員が全員ではないことはご理解ください。学生が大人でないほどに、そういう行動に出る、という話です)。
そういう総合的な結果として、日本の場合、少なくとも諸外国の大学と比較しても大学入学の苦労がなくなった上(今、大学は学生の取り合いをしているので、ほんの少しでも学生に面倒を与えないよういろんな配慮をした上で、試験を実施しています)、入学後は非常にたやすく単位がとれる、卒業できる場合もあります。ただし、それは理系学部ではほぼありえないとは思いますが…。
こんなんなんでね、そりゃ学生も大学を甘くみると思うのです。悪循環なんですよ。
とはいえね、今の学生さんのメンタルって昭和生まれ学生のメンタルと違うんですよね。嫌な言い方をすれば非常に弱い。失敗とか躓いた経験が少ないせいか、在学中に精神的にダメになってしまう学生さんが増えました(ブログ主が大学生の時は同級生はじめ、先輩後輩にそういう学生は皆無でした…。なお、ブログ主が大学院生の時は、大学院って結構特殊なんでね、教員に好かれないと理不尽な目に合うので、各学年に一人おかしくなる学生はいました。ブログ主も教員に好かれなかった学生で、おかしくなった部類ですので、今の学生さんの「うつになる」という状態もよくよく理解はしてはいます)。現在の大学の学生さんで、学校にこれなくなっちゃう、友達に会うのが怖くなっちゃう、あるいは自殺願望がでる方、毎年いました。
成績ごときで精神やまれてしまうとやっぱり大学も困ってしまうので、そういう対策としても「単位を上げない」「留年する」が決定するまでといいますか、そこに至るまでに、ものすごくたくさんの命綱とか救命網とか、いろんなものを駆使して「もう何度も崖っぷちって宣言しましたよー」「親もわかってるよー」とか、そういう状態にならないと落とさない(というか親とか学生が怖くて落とせない)ってシステムに日本はなっていると思います。
だからこそ現在の日本の大学で単位を落とすとか、留年するとか、卒業できないというのはよっぽどのことで。学生にとっては「楽な状態」であっても、相当大学や教員からすると非常に苦悩と多大な労力をかけた上で、「勉強なしでの卒業」が成り立っていると思っていただけたらいいのかなと思いつつおります。
多分国立大学みたいに入学に努力をしたタイプの大学の学生さんの場合は、いまだ昭和生まれタイプの大学生のように要領よく、最低限の労力で卒業する学生さんがいて、そういう意味で「勉強せずとも」と言っている方もいるのだと思いますし、こういうタイプの学生さんの場合、正直大学や教員もそれほど困らないんですよ。なぜならこのタイプは「大人タイプ」の学生さんで、自分でわかってやっていることだからです。しかし今後幼いタイプの大学生が減ることはない上、おそらくますます増えるんだろうなと推察しております。そしてそういうタイプの学生さんを落とさない、卒業させなくちゃということで、大学や教員が非常に難しい状況にますますなるんだろうなと予想されてしまいます。国が大学の在り方を再検討しない限り(改悪ばかりするので、本当に大学や教員は困っていると思います…)。
こういう状態だからこそ尚更、大学は「自分で学べる子」「学ぶ目的のある子」「考える力のある子」といった子を求めていることもご理解いただけるかと思います。
ということでこのシリーズはここまで。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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