【雑記】作品を守ることは、保存修復関係者のみでは難しい(2/2話)

雑記

この記事は全2話の後半となります。よろしければ先に直近の記事をご覧いただけました幸いです(ぺこり)。

先の記事を大まかにまとめますと、画家自身や作品の価値への不理解のために過去に大事な作品が破棄されたことがありましたが、それは勿論残念なことであるのは前提として、それでも今後、百年、二百年、それ以上後の未来に「全ての作品が、本当に残っていけるのか」という疑問を呈しております。

なぜなら、美術館博物館にあれば作品は安泰…とは思うのですが、美術館博物館の敷地面積的に限度があり、今後増えていく一方の作品を全て所蔵できるのかなという疑問があること。今後、税金をかけて(あるいは個人や企業が大枚はたいて)、土地を買って特別な建物を建てて、年中無休でエアコンつけている建物を新規で経営するなんてこと、特に景気が悪い昨今、どうなんだろうなぁ??と個人的に(あくまでも学術的にとか、業界的にというのではなく)思うところに立脚しています。

さらに言えば、地方にある県立美術館などに収蔵されている作品数はいかほどでしょうか?各美術館などによってまちまちではあるとは思いますが、5000点くらいは、作品を所蔵しているのではないかと考えます。

美術館博物館では予防的保存の観点の下、「そもそもに作品を損傷させない環境」を整備して、作品を保存しますが、それでもどうしても「経年」に伴い傷んだり弱ったりする作品はあります。

そういう「痛む」作品の出現が、美術館博物館の建設当初は仮に5年に1点だとしても、美術館の歩みと共に、作品は経年していきますからね。永遠に「痛む」作品が5年に1点というのはありえなくなるでしょうね、5000点作品を所蔵している限り。仮に1年に1点修復するという頻度だとしても、5000点所蔵していたら、全ての作品をたった1度修復するのに50世紀かかります。50世紀の間、作品が経年老化、損傷しないなんてことが夢物語であることは、容易に想像されるかと思います。

ましてや、油絵なんかは保ちのよい古典作品の場合でもワニスの塗りなおしの必要がありますし、壊れやすい近現代作品は結構短期間内で修復を求めるものが多かったりしますので、思いのほか「頑健」ではありません(むかし、「油絵は日本画と比べて頑丈なのだから、修復は必要ないと言われたこともあったようですが、それは本当に考え違いなのです…)。勿論予防的保存処置によって、「壊れないよう」美術館博物館にて対応されているので、いきなり大きな問題などが発生することもそうそうないでしょうが、それでも「もの」が延々と壊れない、しかも何世紀も、ということは難しいので…。

つまり、一般的に美術館博物館内であってさえも「手入れしたい作品はある」、「でも、手入れしたいものをすぐに手入れできる状態にない」場合もあるのではと。この場合、優先順位の高いものは修復されますが、低い作品の場合どうでしょうか?5000点作品がある中で、年に5点修復している美術館でも全部を平等に修復するのに1000年(10世紀)かかります。こうなると、作品が残っていくことって大変だと思うんですよ…。

こういうのを踏まえて、そういう実はひっそりと劣化していく作品があるかもしれないことと、公にバレバレの形で作品が破棄されることの、何が違うのだろうと実は先のニュースを見たときに、個人的に思ったりしたんですね。

文化財を守る側の立場であれば、なんとかしろよ、対処しろよ、考えろよと言われるかもしれません。でも、我々も人間で、全ての作品を無料で、寝食忘れて、ボランティアで処置することはできません。霞を食べて生きているわけではなく、衣食住が必要な人間ですので。

また、全ての美術館に必ず保存修復関係者を置けというのも、実際的にそれをカバーするだけの対応できる保存修復関係者がいないことが現実です(そもそもに現状美術館博物館という場所は、必要最低限の人間で回している現状ですので、保存修復関係者を各館に1人常駐させたところで、その方がひねもす修復作業のみに専念できるのかなと疑問も残ります)。

もっと言えば、修復するのにお金という対価が必要な限り、全ての作品を平等に処置するということもある意味夢物語であるとも思っているのです(これは何度か過去の記事で例に挙げているとおり、同じ人間でも皇族の皆様と我々一般人を医療というカテゴリ-上、平等に扱われるわけではないのと同じと考えれば、理解も早いかと思います)。

だからといって黙って見ているのかと問われると、なかなか回答としては難しく。

だからこそではあるのですが、専門の人、愛好している人という限定的なところでの「価値共有」ではなく、広く広く、その美術館博物館が所蔵する作品、あるいは画家への理解、その価値の理解、いえそこまで言わずともそういうものに対する愛情が少しでも広まることが大事ではないかと考えたりします。

東大の例は、「価値への無理解」や「作品への愛着のなさ」が問題の要因となっている部分がありましたから。

その上でも、もしかしたら全ての作品を守ることは難しいのかもしれませんが、画家や作品への認知が広まっていけば、場合によってはクラウド・ファンディングのなどの有志(元気玉的な、大きな人数による小さな協力)によって、救われる作品も増えていくのでないかなどと考えたりもするのです。

そもそも県とか市などの管轄の美術館博物館などの所蔵品を修復する際は、間接的であろうとも税金が使われているという意味でも、地域のみなさまのお力やご理解というものが大事だと感じています。

そういう意味でも、作品を守っていくのはもはや専門の人間だけではどうにもならないと思っていますし、市井の人々のご理解とご協力ありきだと考えているのです。

経済がひっ迫するごとに、こういう衣食住とは関係ない部分というものの扱いというのは難しくなるのですが、それでも1点でも作品にとり収まりのよい、幸せな状況であってほしくはあるのです。

そのためにも、少しでも多くの人にこういう美術業界に興味をもっていただけたら幸いですね。

記事を2つに分けるほどに長くなりましたが、最後まで読んで下さりありがとうございます。

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