絵画の保存と修復:作品にとり「負担」の少ない処置って?ー善意があれば「処置」は全て問題ない行為であるのか?

修復を学ぶ

先の記事にて、文化財(絵画)の保存修復の実際的な処置の前には「作品理解」「損傷発生原因の理解」そして「先の2つに基づいた修復計画の作成」の必要があるとお話しました。

また、最後の「修復計画」において、「修復する」「なんらかの処置をする」際「作品にとり負担の少ない処置」の選択が重要であるというお話をしました上で、医療であれ文化財保存修復であれ、「処置」は患者に負担をかけることであること、作品への負担はずっと負担でしかないこと、また、修復家の実施する処置によって損傷が「なかったこと」にはならないことを書きました。

では、そもそもに「損傷」や「負担」というのは何を指し示すのでしょうか。

処置の「理由」に「善意」があれば、いかなる処置であっても作品にとって「新な損傷」を与えず、「負担」にもならないのだろうか?

例えば、紙の作品にはさみを入れるのは、完全に加害であり、「作品に損傷を与える行為」であることはご理解いただけるでしょうか?

では次に、はさみで刻まれた紙作品を、糊やセロテープでくっつけることは、全て「処置」でしょうか?

小学校からもらったプリントなどであれば「処置」でしょうが文化財をセロテープでくっつけて処理というのは、なかなかない話ですね。

では糊は?

はさみで切られた紙作品の部品同士をくっつけるには、糊的なくっつけるものは必要。

でも、「どうやってくっつけるの?」「糊は何を使えばいいの?」となりますよね。

糊での処置は、子供がやると加害なのか、素人がやると加害なのか、修復家がやれば処置なのか。善意があれば処置で、悪意がれば加害なのか。

実際はいかなる人が、いかなる方法を使っても、「本来作品にないものを付加する」ことは「作品への負担」であり言い方は悪いですが、ある種の「加害」ということができます。

「糊」は、「紙の固化・脆弱化」「紙の変色」「紙の劣化」を促す要素でもあるからです。

では、いたずらで文化財である紙作品に糊をつけることと、修復で文化財である紙作品に糊をつけることの間に何が違うというのでしょうか。

そこに善意があるから?

でも子供は「善意」から、修復家は「自分の生活(仕事として)」のためにやっていたら?

作品に糊を付けているという現実には全くに同じではないでしょうか?

「作品に糊を付ける=負担である」という意味では、実のところ、いたずらも修復も、作品に負担を与える行為に他なりません。(こういう説明をすると学生は「では、修復は完全悪で、すべきではない」という結論をよく言いがちですが、私が言いたいのはそうではありません)。

でも、くっつけないと元の作品に戻す行為としてままなりませんよね?

だからこそ、「将来的に作品に問題なく除去できる」「作品にさらなる損害を与えない」「作品への負担は最小限にする」という方法や素材を選択する必要があるのです。

今いう、「紙に糊」の場合、対象となる紙を「固化させる」「脆弱化させる」「変色させる」「劣化させる」「作品に加重する」「作品にくっついて二度と除去できない」などが負担であり、損害です。

いわば、作品を壊しやすい要素を負荷させることを「負担」と考えるとよいでしょう。

これらは一度起こると、おおよそ元には戻せなくなる、あるいは戻すために別の多大な労力とリスクと負担を強いることになります。

そして残念ながら物体である作品の場合は、生体である生き物とは異なり、「休息」や栄養摂取などで負担をどうこうすることはできません。

「処置」という行為は作品に「負担」を与える危険性もなくはないからこそ、どういう素材をどういう風に使うべきかを修復家は考える必要がある

あくまでも「紙に糊をつける」はわかりよい例でしかないですが、「オリジナルにオリジナル以外を付加することは、作品にとって負荷である」、そして「物体は生物と違って、休憩や睡眠などで回復することはできず、与えられた負荷は、ずっと負荷である」とあくまでもおおざっぱな考え方ですが、そう考えた場合、じゃ、どういう方法で、どういうものを使えばいいんだよぅ!って当然思いますよね。

そこを考えるのが修復家の仕事です。

もっといいますと、作品のオリジナルの素材と、後年修復のために負荷した素材が同じに経年変化するわけではないのため、修復したその時は遜色ない見た目であっても、20~30年もすれば、どんなに上手になされた美観的補完もオリジナルと違う見た目になり、可視化されます。

あるいは経年で物体は脆くなるので、補強素材なども永遠性はありません。

このような、我々の処置の限度は美観的にも保存的にも50年も持たないのが現実な上、そもそも我々の処置はオリジナルではないからこそ、「将来的に作品にとり必要な際に、作品に負担を与えず除去できる」必要性があります。

本日のまとめ

上記のような考え方を元にすると、「作品が壊れている→処置しよう」ではなく、まず「作品自体の理解(どんな技法材料からなるかなど)」に始まり、「損傷の発生原因の理解」を経ないと、「どのように処置すべきか」という計画が立てられないということはご理解いただけるでしょうか。

この「リスク」とか「負担」の話は結構難しいので、何度も多分記事にするだろうなあと思うのですが、学生の場合「修復=悪」と脳内転換されてしまうことが多いので、すっきりと伝える難しさを感じております。

より分かりやすくご説明できるといいな。

長くなりましたが、本日はここまで。最後までお読みくださり、ありがとうございます。

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