最近の学生さんに見られる現象として、心理的な問題がよく取り上げられます。
ブログ主自身、短い教員生活の中で、毎年精神的な問題をかかえる学生さんに出会ってきました。
正直そういう学生さんの心に十分寄り添えたとは思っていない上(努力はしたつもりですが、気持ちの差し出し手と、受け取り手が同じように感じるわけではありませんから)、心理的問題の根本は学生さんの数だけ…と思っているので、ひとくくりにこういうことが原因ですよね、とは言うことはできません。
ただ、共通点としては大変まじめで素直で自責の念の強い学生さんの場合、こういう心理的な問題が発生することが多かったかなと思います。全ての学生さんに共通することではありませんが、例えば「親に心配かけたくない(一人暮らしをしているので尚更)」、「多忙な先生の時間をとるのも申し訳ない」みたいな感じで一人で抱え込んじゃうみたいなイメージもあります。
なんていうんでしょうね。お友達にも本音が言えているだろうか…とか。特にリモートで授業をしていたころなんかは、「友達への迷惑」なども考えて、孤独になってしまう学生もいたのではないかと推察します(それが嫌で、私の授業は大学の許可が出るものに関しては対面で実施するようにしていました)。
特に現在4年生くらいになっている学生なんかは、入学段階で最初からリモート授業で、なかなかお友達と打ち解ける機会がなく、サークル活動などもできずだったので、大変だったのではないかなあと考えたりします。
なんていうんでしょうね。心理的な問題って、具体的に何かがあって、ということもあるのですが、金属疲労的に具体的に何かあったわけではないのだけど、よくわからないのだけどいきなり気持ちがぽきっと折れてしまう、みたいなこともありますよね。
で、そういうときって本当に何もできないと思います。変な話、眠ることすらしていなくて、ただふとんの上でぼえーっと身動きひとつできずに転がっていることしかできないことってあると思うんですよ。
こういうことを言うのは、かくいうブログ主も精神的な問題が発生したことは複数回あるからです(^^;)。
まじめだからこそ、「ちゃんとしなくちゃ」と思う反面、身体が動かなくて、「自分が嫌になっちゃう」ダメスパイラルに入っちゃったりしますよね。
ただね、このときにやらないでほしいのが、「ちゃんとしたいのにできない自分、ほんとダメで嫌!」って自分を否定すること。
そもそもそういう状態になっちゃったのは、精神的に疲れちゃったから。もし体が疲れたときなんかは、おいしいもの食べたり、ゆっくりお風呂に入ったり、できるだけ長く眠るように気を遣うのではないでしょうか?
あるいは風邪ひいちゃったって時に、自分はダメなやつだ!って冷水を浴びたり、北風にさらされるようなことってしないと思うんですよ。治るまで安静にしていてもそれほど罪悪感ってないと思うんです。
もっといえば足を骨折した人に、「どうしてお前は走らないんだ!怠惰だ!」なんて言わないと思うんです。治るまで安静にして、松葉杖や車いすの補助を得たり、少しずつ元の日常に戻っていくことを普通に許容すると思うのです。
それが精神の問題だとどうしてこんなに自分を責めるんでしょう。
心が折れてしまうほどに頑張った自分、あるいは悩んだ自分をほめてあげてほしいですよ…。
同時に、そういう精神的なお疲れモードの際は、心おきなく休憩してほしい。
「いや、やらなくちゃいけないこと沢山あるのに、休憩なんかしてられない」って真面目だからこそ思っちゃうんだけど、疲労しているところに鞭うって何かしろっていってもできないから!十分休む必要があるのですよ。
罪悪感を抱かず、3日間とか1週間とか、最初は期間を決めて何もせず休んでください(ゲームとか、youtubeとかもこの期間にやると脳みそが休めないので、とにかく休むこと)。脳みそを休めることが大事ですから。
これに飽きて、「あ゛ー!何か漫画とか!youtubeとか!ゲームとか!あ゛ー!!」と禁断症状がでましたら、やってみてください。それだけの元気が出たってことですから(^^)。でも実際やってみても、ぼーっとするとか、集中できないようでしたらまだ脳みそをお休みさせる必要があるかもですね。
そして可能でしたらできるだけ朝は起床して太陽の光を床にねっころがったままでいいので浴びて、夜に寝るようにしてください。結構これが難しいのですけど、大事なのはおひさまの光を浴びること。できれば外で日光浴がいいのですが、難しければ家で窓辺で寝っ転がっていて結構ですので(^^)。
日照時間と精神状態というのは関連性があるようで、日本より冬場日の光が少なくなるベルギーでは、ブログ主も精神がおかしくなりそうになりました(苦笑)。これはブログ主の個人的感覚ではなく、実際ベルギーではよく言われていることでした。ヨーロッパはほんとに冬の日照時間が短いので、日光浴への欲求の大きさには目を見張るものがありましたが、単純に暖かいからとかそういう理由だけじゃなくて、太陽の光の下ではあまりじめじめしていられない、というのもあるのでしょう(ブログ主は零感ですが、おばけも日中はでないのではないでしょうか?だいたい暗い時間にでますよね)。
とはいえ。こういう「あれやってみたら」「これやってみたら」に縛られる必要性はありません。疲れているなら、とにかく休むことが第一だからです。そこで「罪悪感」を覚えるくらいなら、やらないことが前提で全然いいのです。
反面、もしあまりに辛いなら迷わず精神科的なものに行きましょう。物理的にお薬で楽になることもあれば、全く利害関係のない赤の他人と話をすることで楽になることもあります。
またそのほかに病院を勧める理由としては、どういう形であれ「孤独」にならないでほしいからです。誰かは助けようと思ってくれていることを忘れてほしくないからです。
勿論病院じゃなくとも親でも恋人でも友達でも教員でもバイト先の誰かでも、誰かにヘルプを求められるならそれでもいい。あるいは、「あなたが大事で、必要とされている」ことが認識できるならそれでいい。
もっといえば、あなたが「助けて」と言ってくれたら、他の人は「迷惑」ではなく「よかった、言ってくれた」と安心し、喜ぶことさえ理解してくれたら、それでいいと思います。どうか安心して助けを求めてほしい。
ブログ主自身、人に理不尽に痛めつけられて感情を失うようなこともありましたが、それを助けてくれたのも人でした。依存してしまうことはだめですが、他者を信用し、要所要所で助力を求めることは必要だと思います。
ちなみに、ブログ主自身「自立」というものを「人に頼らず、自力で生きること」と思っていたのですが、何かで「それは違う」という説を知りました。それは「できるだけたくさん拠り所を作り、どこか一か所に依存せず、少しずつ誰かに助けてもらいながら、そして誰かを助けながらいきること」が「自立」なのだそうです。そう思うと気楽にはなりませんか?
頼るべき場所が1箇所だからこそ、「もしそこを頼れなくなったら…」と恐怖に思いますし、またその1箇所に依存してしまう。でも、もしあまたに拠り所があれば、「あそこがだめでもあそこがある」みたいに、蝶々のようにふわふわしていられますし、「そうだよね、その人にもその人の都合もあるよね」とふんわりした気持ちが持てるのではないでしょうか。
真面目な人ほどどうしても色々負の感情みたいなものを一人で抱えちゃったりしますが、そうじゃなく、いろんな人と助け合えたら…と思います。誰かに助けてもらうのは「迷惑」ではなく、未来に助けてくれた人が困っていたときに「助け返せ」ばいいんですから。
なかなかねー。若いほど気持ちが頑ななので、難しいんですけどねー。
というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
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