この記事は全5つの記事からなるシリーズですので、どうかこの記事から見ているという方は、最初の記事から読んでみてほしく思います。必要な事項の説明をしております。
その上で直近の記事ではそもそも「研修」機関は「学ぶための場所じゃない」ということなどをお話しました。「研修したい!」という方の見当はずれな部分ですね。「学びたい」なら「留学したら?」と研修機関側からいわれるのは自然かなと思うんです。
その上で、「日本で大学院に行ってるのに、学びが足りないとは言わせない!」という方もいると思うので、本日は先の記事の続きとして「エキヴァランス」についてお話したく思います。ブログ主が研修した際には規定が最近よりは緩かった時代ですので求められなかったものではありますが、2つ目の記事でご説明した前提からして、これが求められてもおかしくないのでは…とブログ主の個人的な疑念ですが、思う部分があるんですね(苦笑)。
その上でここから本題をお話するのですが、先の記事同様の注意的としましては、これはブログ主が研修した海外研修機関の「記入すべき書類」の内容からの推察になります。ですので、ヨーロッパの全ての文化財保存修復関連機関で同じことが言えるか否かは疑問ではあります。しかしながら、同じ「EU内」であれば類似した状態である可能性を留意していただきたい程度である旨ご理解ください。あまり当記事の内容をうのみにせずに必ず各海外研修機関のサイト等をご自身で確認するようお願いします。
そもそもにエキヴァランスとは、特にEU圏のまともな大学に入学する際および、必要とあらば飛び級申請をする際などに必要となる書類です。日本からEU圏の大学入学する場合に、高校以降の自分が日本で卒業した学校全てに関し、卒業証明書、成績証明書、シラバス(これは大学および大学院のみ必須)を自分が研修なり留学する予定の国のエキヴァランス機関に提出して作る書類です(研修先への提出の必要の有無は、必ず研修先に確認してください。ブログ主の時代は必要なかったですが、今はわからないので)。
で、実際ブログ主は日本で大学(油絵科)も大学院(文化財)も出た上で、留学したのですが、飛び級なんぞ1学年分すらできなかった実績があります(汗)。さらに言えば、フランスの大学卒業者(仏人、文化財)の場合も、1学年分しか飛び級できていないので、日本の大学実績が留学したい国の大学の学年に換算した場合に、殆ど有用性を見ないということが結構わかっているんですね(苦笑)。
よくよく考えれば当然ではあるのですが、日本の大学のシラバスと海外の大学のシラバスにある「授業の名」が同一であっても、シラバスの内容が異なると「必要講義を受けてない」と評価される、というのもあります(これのせいで、留学した際、日本でとった授業でも再度受け直しだったりしたなぁと苦く思うと同時に、受けていなかったらその後の授業への理解が半減しただろうなとも思うので、結構こういうエキヴァランス機関の判定というのは厳しいとは思うのですが、最終的には学びたいと思う人間のためになるものだと思うのです)。
で、ここで「今のテーマは海外研修」であって「留学」ではないとお思いですよね。わかっています。
ここで重要なのは、このシリーズの2つ目の記事でもちらっと書きました、E.C.C.O.(欧州修復家組織連盟)により「修復家養成および資格に関する教育レベル」に関して明文化されていることが前提です。E.C.C.O.(欧州修復家組織連盟)という名称からして、ヨーロッパ、とくにEU圏の国においては、文化財保存修復に関する「修了証明」を取得するには、おおよそ同一の科目を受けている必要性があると考えるとわかりよいでしょう。
この考えがあるからこそ、直近の記事(3つ目の記事)のエラスムスの制度が成り立ちます。
例えばで言えば、おそらく日本のどの大学あるいは大学院の文化財保存修復学科(油絵専門)でも、樹木学、高分子、溶剤学、修復倫理などの授業をやっているところはないと思います(日本でも彫刻専門や、科学関係が先述の一部を学ぶことはあります。でも、医大と同じく「専門分け」前に学ぶこととして、全体が同じ知識を持つ、という体系は日本にはありません)。
ブログ主は日本の大学で教員をしていたので思うことですが、別段これは日本の先生が悪いとかの問題じゃなくて、システム上できない話なんだなぁと思っています。詳しくはここでは語りませんが、だからこそ先の記事にて「徒弟制度的な学び」も「理論的な学び」も否定しないと言明しているのですが、それでも結果的には日本の大学では、E.C.C.O.が「必須」としている学びが十分にできていない傾向があります。
ですので、いくら日本の大学あるいは大学院を出ようとも、それが博士課程であろうとも(特に博士課程は研究課程であって、授業を受けるわけではないですから)、エキヴァランス機関の判定として、「EU内の大学で学んだと同等の知識や技術、経験があるとは判断されない」とされると考えています(これは油絵関係のことであって、保存科学の場合は違うかもしれません。あるいはブログ主とは異なり、学部段階で理系授業を最大限受けられるような学部出身だともしかしたら…)。
まとめますと、EU圏の機関のいう「マスター(修士)修了者」というのは、EU圏の大学の大学院修了程度に知識、経験、技術がある人に限る、という話だよ、ということです。少なくとも、日本での経歴をエキヴァランス機関が「大卒程度」や「院修了程度」とは計上してくれない限りは、こういう機関に応募しても難しいのでは?というのがブログ主のあくまでも個人的な考えです。ブログ主が研修応募した時代から求められる資格が上がっているので。
また、こういったエキヴァランス機関の評価の必要性の有無に関係なく、ヨーロッパの大学の学生が当然として学んでいることを学ばないまま(先ほど具体的に書いた授業名はほんの一部ではありますが)、「大学院で学んだ!」「(例えば)板絵を扱える!」と研修したいと思っている本人が、正当に自分自身を評価してみる必要性があるのではないかと考えています。
本日のまとめ的なものとして
最終的に言いたいこととしましては、海外研修は「学ぶ」ために行く場所ではないよ、ということです。学びたいなら学校にいくのが自然だよねと言いたいのです。
あくまでもブログ主個人の経験の話なので微妙ではあるのですが、正直日本の大学院を出た段階で、「これで私は一人の修復家としてやっていけるぞー!」とは到底思えませんでした。「誰か、誰か、教えて」という寄木(指導する誰かの存在、あるいは確認できる誰かの存在)があってやっと立てる心持でした。
対して留学先での院生の頃となると、「どういう理屈建てが、作品の安全につながるか」というトータルが、「頭での理解」ではなく、腑に落ちるといいますか…。特に作品を「観る(視る、診る)」ということが理解できて、自信になったんですね(修士のときの報告書には、なかなか見ることのない教員の賛辞がついていたのも自信に繋がったのかもしれません)。作品がみえていないと、作品の安全の確保はできませんから。
ですのでヨーロッパの学校が思う「マスター修了」っていうのは、プロと呼ばれる人たちとおよそ同等の判断ができる人(理論の組み立て方を学んだ人)と考えると妥当なのかなと思います。不安げに「こうかな、ああかな」とか「教えて」とかではなく、「こういう観点から自分はこう考えています」とプロ相手にも自分の考えを説明できる、作品を軸として論理的に理屈建てができるってことかなと考えています。
ただね、こういうのはあくまでもブログ主が個人的に推察することであって、研修機関の本音は研修機関じゃないとわからないと思います(ブログ主が研修した先においては、所長がすでに2,3人変わったはずなので、機関の考え方とか指針とかもその所長の考えが大きく反映する部分もあると思うのです)。次回の記事ではその旨のお話をしておこうと思います。
というわけで本日はここまで。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
コメント