絵画保存修復を学ぶ2:向き不向きより大事かな…ってこと

修復を学ぶ

先の「絵画保存修復を学ぶ1」ですこしだけ「どんな人にむくんだろう?」という         話を書きました。

「では、ブログ主自身はどうなの?」といわれると、実のところ、                私は自分自身が「向いている」と過去に思ったことはありません(汗)。

仕事としてやっている今も、「向いている」からやっているのではなく、               「作品に向き合って出てきた疑問(why)に対し、自分で回答できるようになった」        という「自分はこれはできる(わかる)」の積み重ねに立脚している気がします。

日本の某国立大学大学院に在学中、同級生が修士2年生のしょっぱなに              「私は、この仕事に向いていると思う」と言ったときに、                    度肝を抜かれたと同時に、うらやましかったです。

自分がそう思えなかったので、「なにを根拠にそう言えるのだろう」と思っていました。      自分には「向く」の根拠がなかったからです。

楽観と悲観、向き不向き?

先に、ブログ主は結構怖がりで悲観的な人です(苦笑)。                    リアルに私を知っている人で、表面的なお付き合いだと、あまり信じてもらえないかも。

ただ、この「悲観的」というのは、悪いことだけじゃないと思っています。            とはいえ過剰に「悲観的」だと自分を傷めつけてしまうばかりですので、             そういう方には自分自身を大切にしてほしいです。

でも、ある程度「悲観的」なほうが、自分を過信しすぎないので、                慎重な対応ができる…気がします。

言い方を変えると、レポート、研究、発表など、あらゆることをする際に、            失敗をせず、高評価がとれるような「転ばぬ先の杖」とか                   「石橋を叩いて渡る」のがこのタイプ。

私が教員をやっていた期間は短いので、見ていた学生数は少ないですが、             それでも「学習の理解度」が高い学生は、「自分を疑う学生」だったと思います。        「本当に自分はわかっているのかな?」と質問に来るのは、そういう子が多かったですね。

こういうと、楽観的なのはだめですかー!となりそうですが、そうではありません(^^;)。   私の知る素敵な修復家さんの一人に、びっくりするほど楽観的な(に見える)方がいますし、    また、優秀な成績を修めた学生の中に、困っているだろう場面で                 なぜか楽しそうに「困ったなー、どうしようかなー」という学生がいました(^^;)。      悲観傾向の強い、教師の私のほうが固唾をのんでいるという(笑)。

楽観的な学生の良さというのは、「恐れずどこかの方向に進むことができる」ところです。     転ぶことがいろいろあっても、立ち上がりやすい(そう見えるだけ?)ところもよいですよね。

学生の思いこみあるあるですが、「転ぶこと」は悪いことではないんですよ。           悲観的な子は「転ばないよう」に、前もっていろいろ仕込むという、下準備ができているから    あまり転ばない(あるいは転んでも、大きな転びにはなりにくい)。

逆に楽観的な子は「転ぶ」ことが多いけど、転んだあとに                   「こうならないために、今後はああしよう」を学んで、繰り返さなければよいの。

結局は「下準備する子」も「転んだ子」も、「きちんと学んだ」なら、              実は結果は同じだから。

ダメなのは、「転ばないようにどこにも進まず、同じ場所にいようとすること」。         あるいは、「転んだら、転んだまま、学ぼうとしないこと」。

向き不向きより大事なのは

上記を書いていて、ふと思ったことに、「向く」「向かない」って               「車の免許をとりにいく」課程に似ているかもと思いました。

教習所で、慎重に失敗も少なく運転する教習生もいれば、                    教官が「おまえー!!」って思っていそうな怖い運転をする教習生も               いるわけじゃないですか(なにか…身につまされるものを感じつつ書いております)。

でも、慎重であれ、乱暴であれ、車を動かなさいと、練習にならないですし、           運転、上手にならないですし、学びにならないですよね?

さらにいうと、教習所にいったら終わりじゃなくて、普段車に乗らないと、            どんなに教習所でうまく運転していても、運転が怖くなっちゃうのね。 

よく言われる言葉ですが、「向く、向かないじゃなく、慣れ」だから、って。           みんな下手くそから始まって、練習したから上手に運転できるんだよって。

「車の運転ができるようになりたい!」が目的ならば、頑張るしかない。             下手な人がうまい人と同じに運転できるようになるには、                    うまい人より何時間も練習する必要があるんですよね。

「失敗しないように、ずっと車を動かさないままいる!」って人は、               確かに失敗はないでしょうけど、失敗ばかりの人より車の運転を学べませんし、          ましてや上手下手すら計れないし、自信もつかなくなっちゃいます。

そういうのと同じで、専門的な仕事をしている人の中にだって、                 実は最初っから「向いている!」なんて思ってない人がここにいます(^^;)。         最初っから「向いている!」と思える方は、きっと運命的な職業なんだろうなぁと思ったり。

この「向いている!」って気持ちとともに頑張れれば最強ですよね。

逆に「向いているなんて思えない」って人が「向いていない」わけじゃなく、           こういう人は「できた」を積み重ねて、ふと下を見たときに                   いろんな「できた」が重なっていることに気づくと、自信がもてるのかな、と思うのです。     私自身もそうなので。

本日のまとめ

結局うさぎと亀のお話に再度戻るのですが、                          走りが得意(向く)うさぎさんは「慢心」したことで目的地に着かないですし、          走りの遅い(向かない)亀さんは「あきらめなかった」ことで目的地にうさぎさんより早く着いた。

個人の資質を基とした「向き、不向き」はある種の要素ですけど                (例えば不器用だとか、理解が遅いとか、理系科目が全然わからないとか)、           それだけで物事は決まらなくて、                              「~のためなら、どんなに苦手なことでも頑張る!」って                    努力できることが大切なこと、とお伝えできればと思います。

大分長くなりましたが、最後まで読んで下さり、ありがとうございます。

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